第十五章 銀星号事件 (二)
事件が起きたのは、レース開始の三日前。
シルヴァー・ブレイズが忽然と消えた。
シルヴァー・ブレイズは競走馬であり、数々のレースで勝利し、今回の王族杯でも優勝候補である。
ただ、馬が失踪しただけの問題ではない。
名誉と金が絡むのだ。
馬の所有者は、アリスター・ジェームズ・ロス伯爵。
貴族としては珍しく、軍に所属していた。
軍に所属する貴族は、大抵、後方などや名誉職のような役職につく。
しかし、アリスター・ジェームズ・ロス伯爵は違う。
現場での実戦を踏まえ、大佐まで上り詰めた。
軍との関係も、いまだ深い。
退役後は、競走馬の育成や競馬杯への出資などをしている。
そして今回、ロス伯爵は最高の名誉を手に入れる予定だった。
フィッツロイ・シンプソンは、情報屋である。
情報とは力になる。
権力にも、金にもなる。
集めれば集めるほど情報は力を持ち、それは金となってフィッツロイの元に降りてくる。
情報が正しいか、正しくないかなど関係がない。
得たものを、こちらで味付けできるかどうかだ。
今回も、ある疑惑が流れていた。
それを集め、あとは売れる場所を探す。
特に高額で買ってくれる者を見つける。
誰でもいい話ではない。
貴族、商人、そして役人。
アリスター・ジェームズ・ロス伯爵には、ある疑惑がある。
フィッツロイは、ロス伯爵が運営する厩舎を訪れる。
馬が消えた。
普段なら、監視局ですらまともに扱わない事件だ。
しかも、場所はロンドンから離れている。
たとえ貴族の馬とはいえ、いちいち対応していられない。
だから、最初に通報を受けた監視局も、すぐには動かなかった。
むしろ、王宮親衛隊から連絡があるまで、調整室で止まっていたくらいだ。
ロス伯爵は、馬が消えたあと、監視局と王宮の競馬杯担当部署にも連絡した。
その結果、管轄の問題が出た。
場所は王宮でもなく、王族の被害者もいない。
しかし、王族が主催している競馬杯である。
王族が絡む事件を担当するのは、王宮親衛隊だ。
呼ばれたのは、王宮親衛隊のグレゴリー捜査官だった。
グレゴリーは、王宮親衛隊の中でも特殊な立ち位置にいる。
王宮親衛隊には、様々な仕事がある。
その内容により、大きく三つの現場に分かれる。
王族の警護をする親衛局。
ここは、エリートである王宮親衛隊の中でも、さらに一握りの者しかつくことができない。
女王はもちろん、その子息たちを一日中そばで警護する。
だが、それだけではない。
親衛隊になる方法の一つは、貴族であること。
貴族の推薦で入れるのは入り口までで、その後は実力だ。
能力も才能もない者は入り口で止まり、それ以上進めなくなる。
もう一つは、親衛隊の学校に入学することだ。
試験を乗り越え、卒業しても、親衛隊に入れる保証などない。
警備局は、王宮や王族が住む場所の管理と警護をする。
親衛局とは仲が悪い。
対等な関係のはずなのだが、親衛局の指示が最優先される。
その奥には王族がいるからである。
王宮親衛隊の中でさらに特殊なのが、グレゴリーのいる捜査局である。
捜査局の権限は強い。
この国の中でも、監視局より強い権限を持っている。
しかし、この局は人気がない。
その存在を知っている者も、あまりいない。
王族への聞き取りすらできるというのにだ。
親衛隊の中には、この捜査局を毛嫌いしている者もいる。
王族に対する捜査など、あってはならない。
捜査局には、十人足らずしかいない。
局長、捜査官二名、補佐官二名、そして事務員。
二人しかいない捜査官のうちの一人が、グレゴリーである。
捜査官の人数も、人手も足りない。
仕事がないわけではない。
あちこちで起きた親衛隊の問題の後始末をする。
捜査など、ほとんどない。
やる気のある局員もいない。
グレゴリーは、捜査局での勤務が長い。
当時の上司の指示で配属されたことを、あとになって知った。
その上司が辞めたあとのことだ。
グレゴリーは王宮親衛隊に入り、自分が警護という仕事をあまり好きではないことを知った。
誰かを守るということが苦手だった。
仕事ができないわけではない。
グレゴリーは、優秀な部類に入る。
若くして親衛局に配属され、王族付きの護衛になるくらいだ。
王族付きの護衛は、王宮親衛隊の中でも出世コースである。
それなのに、グレゴリーは捜査局に回された。
王族の警護担当から捜査局への異動は、ある意味では左遷だ。
同僚たちは、グレゴリーが何かをやらかしたのではないかと訝しんだ。
ただ、そのときの上司は、グレゴリーの適性を正確に把握していたのだろう。
だから、この捜査局に配属されたことは、悪いことではなかった。
最初は慣れない仕事であったが、仕事をしていくうちに、自分に適していると考えるようになった。
ただ、仕事は暇であった。
王族が絡む事件は少ない。
大抵、王族同士の揉め事は、彼らの間で話をつけている。
親衛局が間に入っているようだが、それでも解決しないことを捜査する。
捜査局が動くと、妙に張り詰めた空気が流れる。
前回起きた第三王子暗殺未遂事件は、久々の大きな事件だった。
解決に結びついたのは、ヴィクトリア王女と、その知り合いの少女だった。
シャーロット。
王宮親衛隊の中でも、かなり有名な少女だ。
今回のことは、王宮親衛隊にとって大きな汚点となった。
親衛隊局長や警護局長の更迭騒ぎにもなった。
内々で済んだのは、事件の捜査に監視局が絡んでこなかったことと、監視局とつながりが深いといわれるシャーロットが、このことを監視局に報告していなかったからだ。
もちろん、ヴィクトリア王女殿下も口を閉ざしていた。
王宮親衛隊の中では、その事件の首謀者であるとされる第二王子に対し、大きな反発が起きていた。
親衛局の第二王子担当部署は、肩身の狭い思いをしていたようだ。
捜査局のグレゴリーは、捜査の中で関係者への聞き取りをした。
ただ、シャーロットとヴィクトリア王女殿下の友人からは、聞き取りをすることができなかった。
それでも、報告書をまとめた。
上からの指示により、犯人などいない。
原因は魔法実験体の誤作動による事故。
それで終わっている。
グレゴリーの捜査では、第二王子と軍が関与していた。
魔法省外務調査局も、少なからず関わっているようだ。
かなり面倒な事案だった。
よく王族同士で話がついたものだと、不思議に思う。
女王自らが動いたのか、内務省が間に入ったのか。
そんな状態にもかかわらず、グレゴリーは自分の書いた報告書を見ながら、なぜか充実感を覚えていた。




