第十四章 緋色の研究 (二)
「私が貴女を殺しましょうか?」
それが少女との最初の会話だった。
どうして、この少女は私にこんなことを言うのだろう。
人を殺す?
人は簡単に死ぬ。
この少女は何もわかっていない。
命の尊さを。
脆さを。
戦争から戻ってきた。
そこでは死ねなかった。
生きて帰ってきた。
帰る場所などないのに。
戦争から帰還した者の半数は、心と体に問題を抱える。
戦争で生き抜いて普通の生活に戻ってきても、普通の生活を送ることができなくなる。
穏やかな生活が心を潰し始める。
私は何のために戦っていたのだろう。
心と体を壊してまで手に入れた平和な生活が、自分たちを苦しめている。
生きて帰ることを望んでいた兵士たちのためにも、私は生きなければならない。
それなのに、目の前の銀髪の少女は一番の解決策のように言い放つ。
「どうされました?」
私は怒りを感じた。
でも、どこかでそれを望んでいる自分がいることも知っていた。
限界だった。
生きている意味がわからなくなっていた。
「貴女は自分を殺してほしい。生きていくことを、貴女は望んでいません」
「そんなことできるわけがない」
違う。
私はそう言うつもりはなかった。
死んでいった兵士たちのためにも生きなければならない。
そうしないと、彼らの死が無駄になる。
「大丈夫です。私、貴女が考えている以上に人の殺し方に詳しいです。証拠隠滅も問題ありません」
何を言っているの。
本気なの?
少女の目や口調からは、冗談を言っている雰囲気は感じられない。
むしろ怖かった。
この娘は誰かを手に掛けたことがある。
そう思わせる。
「あなたは、それでいいの?」
「そうですね。いいか悪いかはわかりませんが、貴女は楽になりますよ」
ああ、そうか。
私はただ自分が楽になりたかったのだ。
あの人を救えなかった時点で、何かをあきらめていた。
償い。
誰かを救うことで、自分を許してほしかった。
でも、誰も助けられなかった。
あの場所から、自分は生きて戻ってきた。
死んでいった人の分まで、幸せに生きていかなければならないと思っていた。
本当は、そんなことできるわけがないのに。
私は幸せになんかなりたくなかった。
誰かに罰を与えてほしかった。
私のせいで。
私がいたせいで。
戦場のあの場所で戦った人たち。
死んでしまった人たち。
彼らが私を責めてなじってくれれば、どれだけ心が安らいだだろう。
戻ったときには、意味のない勲章と心に届かない慰めの言葉だけが与えられた。
薬にも酒にも逃げることができず、それでも自分で死ぬことは選べない。
選んではいけなかった。
私に選択する権利などないのだ。
「じゃあ、お願い」
言ってしまった。
自分よりも若く可憐なこの少女に、私は殺してもらえる。
少女はいつの間にか銃を構えていた。
私の頭に照準を合わせている。
なぜ、こんなものを持っているのだろう。
おもちゃではない。
本物だ。
戦場で見てきた。
一つの銃弾で命が消えるもの。
私は今、どんな顔をしているのだろう。
笑っている。
泣いている。
怒っている。
どれでもいい。
少女は引き金を引いた。
ありがとう。
私はゆっくりと目を閉じた。
死。
死ぬとは、こんな感じなのか。
痛みがない。
目を開ける。
少女が私を見ている。
「あれ、ごめんなさい。弾が入っていなかったわ。もう一度いいかしら?」
笑ってしまった。
私は、その少女のとぼけた言葉を聞いて笑っていた。
笑ったのは、いつ以来だろう。
なんだろう。
目から何かが流れている。
あたたかい。
涙だった。
もう出ないと思っていた。
涙が出ないのは、私の罪だったはず。
止まらなかった。
私は泣いた。
大声で、恥ずかしげもなく。
泣き続けた。
誰かが私の体を抱きしめた。
私より小さい体。
その熱は暖かかった。
こんなに暖かいものは、いつ以来だろう。
私の涙が止まった後に、少女は聞いてきた。
「どうですか? まだ殺されたいですか?」
「まだ、いいわ」
別に生きたいわけではなかった。
死にたくなくなっただけだ。
「そう」
少女はつまらなさそうに言った。
スタンフォード。
「一度会ってみるといい。いい気分転換になるよ」
昔の知り合いの一言だった。
戦争から帰ってきたが、どこにも居場所がなかった。
今さらメアリーの元にも帰れない。
知り合いの家を転々としていた。
住む場所と仕事を探していた。
「ある少女の世話を住み込みでしてほしい。すぐ辞めるみたいでね」
きっと生意気な子供なのだろうと考えていた。
「もしかしたら、学園でも雇ってもらえるかもしれないしな」
学園の医務室でも空きが出るかもしれないとのことだった。
スタンフォードはそう言って、私にメモを渡した。
なぜだか、この少女に世話になったらしい。
魔導学園の学生?
学生に世話になることなどあるのか?
私は、その少女に会うまでそのことを信じなかった。
結果、気分転換どころではなくなったが。
魔導学園の寮塔の最上階。
そこに少女はいた。
学園に入ると、寮長の部屋に案内された。
寮長は私を見て一言。
「無理に相手をしなくても良いのです。ただ、生活習慣が酷すぎるのです」
私は適当に相槌を打つ。
別に、無理をして働きたいわけではない。
寝るところさえあれば、それでいいくらいだ。
部屋に入ると、寮長の言っていることがすぐにわかった。
汚い。
片付いていない。
物に溢れている。
どうやって生活しているのか不思議だ。
その奥の机に、少女は座っていた。
どこを見ているのかわからない視線を、空中に向けていた。
「それで、戦争はどうでしたか?」
少女は私に尋ねる。
「どうしてそれを?」
スタンフォードに聞いたのか?
あいつは、わざわざそういうことを言う性格ではない。
「日焼けと、歩き方と、匂いですかね」
少女は少しだけ私を見て答える。
匂い。
まだ染みついているのか。
血の匂いが。
「一番の問題は、体の変化ですか?」
「どこまで知っているの?」
「まだ何もわかりません。今は観察中」
「めずらしいですね。動物、それもネコ科」
少女は私を無視して語り続ける。
「変化する人は、実は結構いるわ。ネコ、イヌ、そして鳥とかも、たまにいる」
「そんなにいるの?」
「いえ、冗談よ。もしいるなら会ってみたいわ」
つまらない冗談だ。
「実験の副作用ですね。アフガニスタン。軍と元東インド研究所の管轄でしたか? いや、今は魔法省だったかな」
「研究内容まで知っているの?」
「ええ、大体は。ただ、細かい内容までは情報が入らないので」
「詳しく教えていただけますか」
少女は楽しそうにほほ笑んでいた。
「えっと、ワトソンさんでよろしいですか」
「ええ。ワトソンでいいわよ」
それが、この少女との出会いだった。
最悪の出会いだ。
「はい。では、私のことは……」




