第十三章 四つの署名 (十四)
メアリーはワトソンを魔法省近くのカフェに誘った。
シャーロットも一緒に来たのだが、彼女は監視局に入っていった。
カフェの席には二人がいる。
「ワトソン」
「あの人は、きっとあなたを捨てるわ」
メアリーの視線は真っすぐワトソンに向かっている。
「そうね。そうかもしれないわね」
ワトソンはテーブルのカップを見つめる。
「それでいいの?」
「ええ。それでも一緒にいるわ」
ワトソンはメアリーの瞳を見て答えた。
メアリーは寂しそうな顔をしている。
それでもしっかりとワトソンを見つめている。
「でも、私は諦めないわ。あの人があなたを捨てるまで、待っているわ」
「あなたがそれでいいのなら」
「だから、また一緒にご飯を食べましょう」
メアリーは笑っていた。
その笑顔は、ワトソンが知っている中で一番の笑顔だった。
ワトソンがいなくなった後、シャーロットのそばには誰かがいてくれるのだろうか。
いや、シャーロットの中には、もしかして誰もいないのかもしれない。
ワトソンとメアリー。
二人の会話を離れたところで見守っていたシャーロットは思う。
ワトソンの友達だったのね。
飼い主と言われたときはよくわからなかったけど。
二人は昔からの知り合いらしい。
私と会う前のワトソン。
私が知らないワトソンがそこにある。
シャーロットは少しだけそれを想像する。
そう思いながらも、頭の中では別なことを考え始めていた。
ある日の午後。
「あ、また来たのね。ねこちゃん」
メアリーは窓を開ける。
メアリーは最近来るこの猫が気になっている。
自分は犬の方が好きだと思っていた。
実際に会ってみると違うこともある。
何故か懐かしい匂いを感じる。
ワトソンと別れたのは戦争だった。
戦争はワトソンの大切な一部を奪った。
ワトソンは自分を責めていた。
何故止めなかったのか。
何故行かせてしまったのだろうと。
彼女はずっと後悔していた。
ある日、ワトソンは突然、戦場に行くと言った。
私は何も言えなかった。
残って欲しかった。
でも彼女が壊れていくのも見ていられなかった。
あの時、私も何故か止めなかった。
止めたとしても、ワトソンは多分、戦争に行っていた。
戦争で亡くなったと聞いていた。
でも、生きていた。
本当はそれだけでもよかった。
真珠の件でシャーロットのことを聞いた時、ワトソンが生きていることを知る。
我慢できなかった。
ワトソンの心は、私にもう向いていない。
会った瞬間にわかった。
私が知っているワトソンとは違う。
あんなに優しく、哀しい顔。
それはシャーロットに向けられている。
でも。
もし。
私は何故か、待つと言ってしまった。
勝手に、ずっと待っていた。
まだ私は待つことを選ぶ。
わかっている。
私は待つことをやめている。
ワトソンの心に、少しでも傷をつけたかった。
私のサインを心に刻みたかった。
私が受けた傷を、ワトソンにも与えたかった。
ただ、それだけ。
ずるく。
ひどい女だ。
父の死がわかり、ワトソンの生死も知った。
その時にきっと、私の頭は心の中に眠っていたものを解放してくれた。
日が昇るごとに、私は気持ちが楽になっているのを感じている。
猫を家に入れることを受け入れたのも、そのせいかもしれない。
「にゃー」
猫はメアリーの家の窓から部屋に入り、彼女が用意したミルクをおいしそうに飲む。
ゆっくりと部屋を探索し、体を伸ばし、陽だまりの中で軽く居眠りをしていた。
まるで昔のワトソンのようだ。
あの頃の空気が一瞬だけ流れている気がした。




