第二章 赤髪協定 (一)
部屋に横たわっていたのは、赤い髪をした男だった。
シャーロットは、それにゆっくりを近づていく。
ここは、第三実験室。
魔導学園の研究棟のさらに西にある実験塔には、十の実験室がある。
その第三実験室には、ある実験装置が設置されている。
赤く脈動するその装置は、連結する魔導導管にも侵食している。
通常は、淡く薄い青い光を放っているそれを赤い色に変わり始めていた。
「紅魔装置」
シャーロットは呟く。
六色魔法理論の研究内で発表された研究装置一つ。
魔導学園でもその研究は、かなりの時間と予算をかけていた。
その研究の中心に紅魔装置がある。
六色魔法理論は、
『魔法は観測により現れる』
魔法観測理論から生まれたこの理論をさらに発展させたのが六色魔法理論である。
六色。
赤・青・黄・緑・白・黒
色の分類で分けられるそれは、人が認識しやすい色である。
元々は色事態に魔法性質の違いはない。
しかし、色事態に意味合いを持たせることで、色は様々な意味をもち始める。
今、紅魔装置から発動し、魔力導管から流れている色は赤。
赤は、変化の色である。
現在の状況を新たな観測をすることで、魔法特性を変化させる赤い色。
その色がシャーロットの目の前で光っていた。
魔導学園の中央正面に立つ学園塔。
そこには、魔導学園の学生たちが、講堂に集まり授業を聞いていた。
様々な学科がある中で、学生たちは興味のある授業に集まり、学科の専門である教授の最先端の教育を受けることができる。
講堂内には、外界の熱を遮断するために刻まれた冷却魔法機が、壁の奥で低く脈打ち、空気はひんやりと澄んでいる。涼んだ空気のなか、チョークの擦れる音だけが静かに響く。
黒板の前に立つのは、六色魔法理論学の権威――ジェイベズ・ウィルソン教授。
「魔法の発動には、大きく三つの段階がある。――点、線、そして角だ」
白い粉塵が空中に舞う。
教授は黒板に素早く線を引き、三角を描くと、その中心に一点を結んだ。
ためらいはなく、筆致は均一で、何度も同じ講義を繰り返してきた者の動きだった。
「点は起動の鍵。線は流れを制御し、角は基盤を形づくる。だが――さらに重要なのは、“色”である」
ウィルソンは、ゆっくりとチョークを掲げる。
「魔法とは観測の対象だ。視認され、理解されることで初めて輪郭を得る。ならば、より強く観測されるもの――つまり“色彩”を持つものほど、魔力は安定し力を増す」
黒板には、赤・青・黄・緑・白・黒の簡略化された色環が描き足されていく。
「髪の色、瞳の色、肌の色。人が持つ固有の“色”こそ、観測力を高める要因となる」
その言葉には確信と、そして微かな陶酔があった。
六色魔法構体系は、魔法省が長年採用してきた標準理論であり、学園の基礎講義でも繰り返し教えられる常識だった。色は魔法特性を分類する指標であり、魔法式の安定性を測るための“道具”に過ぎない。
だからこそ――
その“色”を人間そのものへと結びつけ、階層化する発想は、危険視されていた。
色による魔法特性の差異は、たしかに体系化されている。
だが、それは魔法の話であって、人の価値を測る物差しではない。
人種や外見による能力差を示唆するその主張は、学園内でも異端とされていた。
さらに、この主張は、 特定の色を“上位”と定義しようとする、危うい思想に近すぎる。
シャーロットは静かにペンを取り、ウィルソン教授の姿を見つめていた。
偏った発想は、必ず破城する。それは新たな理論が生まれたときに対応できなくなるからだ。今現在だけ通用する理論など意味がない、普遍性な理論こそが重要である。地球が中心に宇宙が回っていないのと同じである。どこかで矛盾が発生する。あたらな理論が生まれたときにこそ対応できるかが正しい理論である。
ウィルソン教授の理論にはそれがない。
しかし、人は、偏った発想に惹かれる。
それはただの思想でしかない。
まるで政治と同じだ。
声の抑揚。
色を語るときだけ、わずかに強くなる語尾。
理論を説明しているはずなのに、そこには「証明されたい」という執着が滲んでいるように感じる。
だが、ウィルソンの理論では――
極論さえ、正当化されかねない。
窓辺の日の光が教室内を照らす。
日差しが、ウィルソンの頭上をかすめたとき、整えられた赤褐色の髪の根元から、わずかに”黒色”が覗いた。
その瞬間、シャーロットは目を細めた。
色を語る者ほど、その彩に縛られている。
その執着こそが、この講義の危うさを表している。
「……黒か、赤か」
誰にも聞こえぬほどの声で、彼女は呟いた。
ウィルソンは黒板の隅に、一文を書き残す。
――《観測されない色は、存在しない。》
やがて鐘が鳴り、講義は静かに幕を閉じた。
学生たちは一斉に立ち上がり、講義から解放された声が、雑談となって講堂を響き始めた。
チョークの線と、かすかな粉の匂いだけが残して。
そのとき、黒板の前でひとり、式を見上げる影があった。
細身の青年。
淡々と、動揺のない手つきで、白墨の残像をなぞるように視線を走らせている。
ジョン・クレイ――ウィルソン教授の助手だ。
彼は誰よりも静かに、誰よりも正確な筆跡で、黒板の式を記録していた。
その動きには、“揺れ”というものがまるで存在しなかった。
彼女はその感覚を、静かに記憶の片隅へと置いた。




