ワトソンの朝支度作戦
ロンドン魔導学園、学生寮塔最上階。
通称――ベイカー室。
「ぎゃーっ、シャル! なにその髪!」
起きたばかりのシャーロットを見た瞬間、ワトソンは悲鳴を上げた。
「……なに。どうしたの」
シャーロットは、朝が弱い。
目覚めてから頭が動き出すまでに、かなり時間がかかる。授業が始まるまでは、ほぼ最低限の活動しかできない。
そして今、ワトソンの目に映っているのは、そんな寝ぼけ顔以上に深刻なものだった。
髪だ。
四方八方へ好き勝手に跳ねた銀髪は、もはや寝ぐせの域を超えている。
綿あめ。
あるいは、風に煽られたタンポポの綿毛。
「今日はいつも以上にひどいわね……」
「そう? 私は気にならないわ」
シャーロットは半分も目が開いていない。
「私は気になるの!」
ワトソンはずいっと顔を寄せた。
普段からシャーロットの髪の手入れは、朝も夜もほとんどワトソンがしている。だが、この時期だけはなぜか毎年ひどい。丁寧に整えても、翌朝には爆発しているのだ。
まるで本人の性格みたいに厄介だ、とワトソンは思う。
「よし。今日は本気でやるわ」
その瞬間、ワトソンの瞳に火が灯った。
世話焼き魂――いや、もはや職人魂である。
「だ、大丈夫よ。そのうち自然に収まるわ」
まだ眠そうなまま、シャーロットはかすかに危険を察した。
「なに言ってるの。こんな姿、誰かに見せられるわけないでしょ。私の沽券にかかわるわ」
「そ、そう……そんなに本格的じゃなくていいわよ……」
自由気ままで人の言うことなど滅多に聞かないシャーロットだが、身だしなみのことになると、なぜかワトソンには素直だった。
「はい、じっとして」
ブラシ、整髪料、コテ。
ワトソンは次々と道具を駆使して、シャーロットの髪を整えていく。
そのあいだ、シャーロットはワトソンが用意してくれた朝食を、もそもそと食べていた。
朝より少しは目が開いてきたものの、口はまだ小さくしか動かない。パンを口に運んでは、たまに髪を引かれて手元がぶれる。
「ちょっと、頭を動かさない」
「……がんばるわ」
それから三十分後。
ようやく完全に目が覚めたシャーロットは、ワトソンが差し出した鏡を覗き込んだ。
そこに映っていたのは、朝の惨状が嘘のように整えられたショートボブだった。
銀の髪はやわらかく艶めき、朝の光を受けて淡く輝いている。
「よし、完成」
ワトソンの額を汗がひと筋伝う。
だがその顔は、仕事をやり遂げた職人そのものだった。
「どう、シャル」
「……すごいわ。綺麗」
お世辞などほとんど言わないシャーロットでさえ、素直に感心する出来だった。
自分の髪だということを、一瞬忘れてしまうくらいに。
「そろそろ時間ね。行くわ」
満足したシャーロットは、すっと立ち上がって扉へ向かう。
「ちょ、ちょっと待ちなさい、シャル」
「なに? 忘れ物?」
「忘れ物以前の問題よ。その寝巻きのままじゃない」
ワトソンは呆れた声を出した。
「あ……そうね。それはまずいかしら」
「まずいわよ」
そう言いながら、ワトソンはクローゼットから制服を取り出す。
「はい、早く」
シャーロットは何も言わずにするりと寝巻きを脱ぎ、ワトソンに制服を着せられる。
ジャケットを整え、リボンの形を直し、最後に襟元を軽く撫でる。
「よし。……あ、ちょっと待って」
ワトソンはポケットからルージュを取り出し、シャーロットの唇にそっと引いた。
「ワトソン?」
「少し乾いてるから。だめ」
「はい」
シャーロットは素直に頷いた。
ベイカー室を出て、学生塔の廊下を歩いていると、向こうからヴァイオレットがやって来た。
「シャル、おはよう」
「おはよう」
いつものようにそっけなく返した、そのときだった。
ヴァイオレットがぴたりと足を止める。
「え……なに。今日のシャル、なんか、いつもよりかわいくない?」
「……そう?」
「そうよ。なんか今日、すごく輝いてる。髪も綺麗だし……あ、ルージュ? 珍しい」
シャーロットは無言のまま、少しだけ瞬きをした。
「好きな子でもできたの?」
「そうね」
シャーロットはヴァイオレットをじっと見た。
「え。な、なに?」
一瞬だけ、ヴァイオレットの鼓動が跳ねる。
「いないわ」
「……びっくりさせないでよ」
ヴァイオレットは胸を押さえて息をついた。
「でも、本当に雰囲気が違う。かわいいっていうか……いつもより、ずっと目を引く」
「……そうね」
シャーロットは小さく首を傾げる。
その仕草ひとつで、通りすがりの学生までつい振り返った。
本人だけが、まるでわかっていない。
ヴァイオレットはその背中を見送りながら、呆れたように、けれど少しだけ感心したように笑った。
――本当に、本人だけが気づいていないのだから。
日常エピソードです。事件とか全く関係ないです。




