第十三章 四つの署名 (六)
シャーロットが研究所を飛び出した後、メアリーとサディアスは研究室で待っていた。
「どうして、こんなことに」
サディアスは自問していた。
メアリーは、シャーロットとワトソンの会話を思い出していた。
「これは毒よ」
ワトソンが、バーソロミューの遺体を確認しながら言う。
「致死性が高い毒ということね」
シャーロットは確認する。
「ええ。まだ体が温かい。死後硬直も始まっていない」
「我々が入る少し前ということね」
「抵抗した跡もないから、後ろから躊躇なく行っている」
二人は、まるで当たり前のように遺体を見ながら話していた。
それを見ていたメアリーは、何か危ういものを二人から感じてしまった。
特に、シャーロットという人物に。
そこに到着したのは、シャーロットが依頼したレストレードではなく、別の監査官だった。
エセリン・ジョーンズ。
魔法省監視局監査官。
監視局監査官の中では、レストレードと並ぶ出世頭である。
彼女の行動には、一つの鉄則がある。
面倒ごとは深く追求しないこと。
魔法省監視局は正義の部隊ではない。
事件を解決するのが目的である。
解決とは、真相を究明することではない。
着地点に収めることである。
なぜ、そうなるのか。
それは常に、捜査には横やりが入るからだ。
ほぼ政治である。
政治がわからない者は出世できない。
どんなに正しくても、白いものでも黒くなる。
それがこの世界である。
エセリンも入局当時は、熱い思いがあった。
それは年を重ねるたび、出世するたび、だんだんと冷めてくる。
全員が報われることなどない。
ただ、軽い痛みが残るだけのこと。
そう納得することで、彼女はこの地位まで登ってきた。
それなのにである。
同僚のレストレードは、自分とは違うアプローチをしている。
最近だと、魔導学園の学生を優遇している。
周りからの噂話を聞く。
監査局からも、その学生に依頼することがある。
しかし、その中でも怪しい話は多い。
前回のロンドンインフラ障害事件にも関わっている。
さすがに報告書を見たが、なぜか黒く塗られている箇所が多い。
こんな報告書は、報告書とは言わない。
上からの圧がかかりすぎている。
なぜか気に入らない。
そうは思う。
だが、エセリンはレストレードと違い、上層部に噛みつかない。
それが出世するのに一番大事だ。
しかし、レストレードは上層部との軋轢が多いのに、重要な事件の管轄になる場合が多い。
今回もレストレードが担当になるはずだったのだが、前回の事件が片付いていないため、エセリンが担当になった。
今回の連絡の相手が、あの魔導学園の生徒だった。
何度か魔法省で見たことはあった。
ショートボブの白銀の髪は視線を集める。
青い瞳の視線は、すべてを観られているようにも感じる。
見た目も小さく、そしてかわいらしかった。
しかし無表情だ。
愛想がない。
若い子など、愛想で生きているのだろう。
そう考えていた時代が、エセリンにはあった。
それよりも、一番の問題は、レストレードと仲がいいことだ。
ステラ補佐官から聞いた話では、この前、二人でデートをしていたらしい。
私が誘っても、ご飯も食べに行かないくせに。
なんだ、こいつは!
エセリンの苛立ちはピークに来ていた。
しかし、怒りをさらに増幅するものがいる。
それが、シャーロットのそばにいる長身の女だ。
こいつは、いつも魔法省の近くのカフェで、いつも、いつも、いつも、レストレードとお茶をしている。
私ですら、遠くから見ているだけなのに。
しかも、しかも、しかも。
近い。
近い。
近い。
近すぎる。
何なのだ。
お前は猫なのかというぐらい近い。
この前は、局内で、レストレードをシャーロットと長身の女が取り合いしていたという話を聞いた。
何をしているのだ。
レストレードもレストレードだ。
そんなにいいか?
少し若い女と、スタイルのいい女がいいのか。
私だって、年齢はレストレードと変わらないし、スタイルもある程度いい。
しかし局内では、どちらが本命かの賭けをしているぐらい、あの二人は目立つ。
だからといって、エセリンはレストレードとは仕事以外の会話ができない。
先日も、ロンドンインフラ事故の管理官会議中、ただただ報告を聞いて満足してしまった。
どうすべきか。
それが、エセリンの一番の悩みだった。
だからこそ、いつもそばにいるあの二人が好きではない。
話したことは一度もない。
単に感情論になっている。
それに、エセリンは気づいていない。
「監査官」
その声で、エセリンは正気に戻る。
「どうしましたか」
「亡くなっているのは、ここの研究所代理所長のバーソロミュー・ショルトです」
「研究所は本日、臨時の休みとなっており、その時いたのは被害者のみだそうです」
ステラ補佐官が言う。
レストレードが来られないので、彼の部下が応援に来ていた。
エセリンは、実直なステラには好感を持っている。
レストレードの無茶な仕事の依頼や、銀髪の少女や長身の女の無理難題を上手にかわしながら対応している。
局内でもかなりの人気がある。
しかも、かわいい犬までいる。
確か、モコモコだったような気がする。
エセリンはまだ触ったことがないが、一度触ってみたいと思っていた。
こんな機会はあまりないので、頼んでみようと画策していた。
「そして研究所に入れたのは、弟のサディアス氏のみです」
ステラはそんなエセリンの心などわからないので、報告を続ける。
「そう。じゃあ、弟が犯人ね」
エセリンは迷わず言う。
「待ってください」
メアリーは言う。
「彼はずっと私たちといました」
「あなたたちと会う前に殺したのよ」
「いえ、この毒は致死性が高い毒です。毒を打たれてから数分くらいらしいです」
メアリーは、シャーロットとワトソンが言っていたことを思い出しながら話す。
「その時間は、我々といました」
「じゃあ、あなたたちも犯人の仲間でしょう」
「一緒に連行するわ」
エセリンに迷いはない。
「監査官。それはまずいです」
ステラはエセリンを止める。
「どうして?」
「シャーロットさんからの依頼です」
ステラはエセリンに進言する。
「レストレード監査官に」
ステラの立場からすると、レストレードとシャーロットの関係がある。
「そんなの関係ないわ」
「ここ、東インド研究所でしょ。きな臭い場所には関わりたくないわ」
エセリンは、ここに駆けつける前に情報を確認していた。
この研究所は、東インド研究所が関わっている。
監視局では、東インド研究所の扱いは秘匿扱いだ。
関わるな。
それが、魔法省監視局の統一見解だった。
一つは、外務調査局が関わっている。
外務調査局。
国外で魔法を使用した事件・事故の調査研究を中心にしている部署。
表向きの話だ。
裏は、ただのスパイと変わらない。
様々な国や国外の研究所にスパイを送り込み、またはスパイに仕立て上げ、情報を得る行動をしている。
国内への飛び火や問題研究を早めに確認し、対策していく。
過去に起きた三大魔法災害事故すべてに関わっていると言われている。
この国の闇の一つである。
大きな問題は、彼らの活動が国外だけでなく国内にも行き渡っていることだ。
そして、過去の東インド研究所の跡地を利用して、怪しい研究を行っている。
魔法省の中では、東インド研究所イコール外務調査局。
これが公然の秘密となっている。
エセリンが関わらないようにしているのは、外務調査局が殺人もいとわない組織であるためだ。
一人の命で何人助かるかという計算で動く。
命の重さは等価ではなく、人の地位によって変わると彼らは考えている。
だから、簡単に人を殺せるのだ。
これもきっと、そういう案件なのだろう。
ただ、いつもと違うのはタイミングが悪いということ。
監視局がこんなに早く動くとは思わなかったのだろう。
今頃、外務調査局から監視局へ引き継ぎ命令を出しているはず。
うちの上司は日和見派だから、その時の大きな流れに乗る。
だから今は早く撤収して、引き継ぐのが一番いい。
レストレードには悪いが、相手が悪い。
そして、もう一つ最悪なのが軍が関わっていることだ。
亡くなったバーソロミューの父、ショルトー元大佐。
資料によると、国内の東インド研究所と軍との懸け橋になっている。
元大佐が、そんなことをできるはずがない。
裏で手を引いているのは、軍でもかなりの役職。
そして、東インド研究所といえば、間違いなく貴族が絡んでいる。
この前のロンドンインフラ事故でも貴族の一斉調査が入ったが、実際は書類上のうわべだけのことだった。
亡くなった貴族だけは徹底的に調べられたはずだが、本人以外が関与している証拠はなぜか出てこない。
あれほどの事故が、たった一人の貴族で起きるはずがない。
もっと大がかりなはずなのに、何もできない。
レストレードが毎日苛立っているのも納得できる。
それがあの報告書の中身なら、なおさらだ。
面倒だ。
これは、あまり近づかないほうがいい。
エセリンはすぐに思った。
犯人など誰でもいい。
あまり目立たせず終わらせる。
それは上の意向でもある。
だから早く撤収する。
「え、それは」
ステラは、レストレードから何も聞かされていないようだった。
「いい、ステラ補佐官。わざわざ藪に手を入れないほうがいい時もあるのよ。ここにいてもいいことはないわ。監視局で尋問。観測班がそのまま現場の捜査を行います。ここは一時的に封鎖します」
撤収する作業をしている途中で、ステラに緊急連絡が入る。
レストレードからだった。
「至急、テムズ川に向かってくれ」
「どうしてですか?」
「シャーロットが襲われた。新たな被害者も出たらしい」
「え? シャーロットさんは大丈夫なのですか?」
「わからない」
「エセリンに回してくれ」
ステラはエセリンにつなげる。
「エセリン。すまないが、テムズ川にステラを応援に回してくれ」
久しぶりにレストレードと話ができて内心嬉しいが、表情には出さない。
「どういうこと?」
レストレードは、今の状態を説明する。
「そう。じゃあ、犯人と思われる者が、さらなる被害者を出したということ」
「わかったわ。私も向かうわ」
面倒な仕事だが、レストレードと会話できて気分が良くなっている。
レストレードに貸しを作れるのも嬉しいし、銀髪の少女に会ってみたい気持ちもある。
エセリンは、サディアスとメアリーを監視局に移送し、数名の部下と観測班を現場に残して、研究所を封鎖させた。
そしてエセリンとステラは、数名の部下とテムズ川に向かった。




