第十三章 四つの署名 (三)
メアリーに届いた手紙をシャーロットは受け取る。
シャーロットはまず、手紙の文面を確認した。
紙質。
繊維の目。
インクの濃淡。
筆圧の強弱。
『東インドの古き友。十九時。我が屋敷で待つ』
文字は整っている。
几帳面。
感情を抑え込むような書きぶり。
そして、末尾に追記されていた。
『馬車で迎えをよこす』
シャーロットは一瞬だけ視線を止める。
迎えを出す――つまり、場所を明かさない意図。
あるいは、相手に選択権を与えないため。
シャーロットは顔を上げた。
「お父様の筆跡とは違いますか?」
「父の筆跡とはかなり違います。父は少し癖が強いので」
シャーロットは質問を変える。
「お父様はインドでどのような勤務を?」
「軍に確認しましたところ――東インド研究所の管轄に所属していたと」
東インド研究所。
あの機関の詳細は、現在も高度機密扱いだ。
魔法省内部でも閲覧制限がかかっている。
レストレードに連絡を取り、さらなる情報を得よう。
シャーロットは手紙をメアリーに返す。
「軍で、お父様と懇意の方はおられましたか?」
「インド方面の方は、あまりよく。ただ、東インド研究所の上司のショルトー大佐と、十年前に父が寄港する予定だった港で会いました。今思えば、何かを言いかけていたような」
「ショルトー大佐は今どちらに?」
「それが、それ以来会っておらず」
「そうですか」
「まずは今日、その指定場所へ行きましょう。一緒に」
シャーロットはメアリーを見る。
手紙には“単独で”とは書かれていない。
少なくとも同行は可能だ。
「わかりました」
シャーロットの言う意味がわかったのか、メアリーはうなずいた。
メアリーは思った以上に鋭い。
メアリーは何かを決意したように、視線をシャーロットへ向ける。
「もう一つ、お願いが」
「……なんでしょうか」
魔法省や軍には内密にしたいということだろうか。
「ワトソンのことです」
声色が変わった。
こちらの方が本題のようにも思える話し方だった。
予想外のことに、シャーロットの眉がわずかに動く。
「ワトソンとどのような関係が?」
メアリーは迷いなく答えた。
「私は、ワトソンの飼い主です」
「……え?」
一瞬。
シャーロットの思考が停止する。
飼い主?
ワトソンが?
誰かに飼われていたの?
脳内で論理が空回りする。
「ですから、今夜の件にも――ワトソンを連れてきていただきたいのです」
静かだが、強い声音だった。
それだけ言うと、メアリーは立ち上がる。
「では、十九時に」
突然のワトソンのことで、シャーロットは少し思考を中断していた。
しかし、確認事項がまだ残っていたことを思い出す。
「メアリー様」
シャーロットは呼び止める。
「もう一つだけお聞きしたいことがあります」
「なんでしょうか?」
メアリーは尋ねる。
「私を紹介いただいた方は、どなたでしょうか?」
「はい。マリア。マリア・ホルダー様です」
マリア・ホルダー。
先月起きたベリルの王冠盗難事件の最重要人物。
いや、主犯。
ベリルの王冠盗難事件で起こった混乱は、この魔法都市ロンドンに冷たい爪痕を残した。
魔法省の信頼を揺るがし、大議会はその信用を失い、市民には内なる怒りが残った。
ベリルの王冠は、魔法都市ロンドンの生活インフラの要となるシステムである。
王冠には三つの宝玉があり、その三つの宝玉がシステムを維持していた。
通常は三つ同時に動くことで、インフラを制御している。
その三つの宝玉が盗まれる事件が起きた。
シャーロットたちの捜索により、三つのうち二つが見つかり、一時的ではあるがシステムを復旧することができた。
その後、混乱は収束した。
この事件は事故として処理される。
魔法省のインフラ整備の誤作動。
それが公式な発表だった。
多数の死傷者が出てしまったのだが、政府の発表はそれだけだった。
事故の責任は、魔力管理局システム警備主任とシステム整備担当者の二人が取ることになった。
そのシステム整備担当者がマリアだった。
実際は、ベリルの王冠の宝玉――この盗難と混乱を起こした首謀者だったが、これ以上魔法省の失態を大きくできないための措置だった。
マリアは現在も行方不明。
対外的には、病気療養中のため休職中と発表された。
そのような甘い措置に対して、通常は大議会が何も言わないわけがない。
しかし、大議会は今回の混乱に静観した。
静観の理由は、今回の混乱の原因が大議会の貴族議員の計画だという噂が、民衆に流れたためである。
そして、その噂の貴族議員は死体で発見された。
魔法省と大議会は、それぞれの不始末を隠すため、これ以上は何もしなかった。
その首謀者であるマリアは、魔法省監査局の追跡をかわし、今も逃走中である。
そのマリアと会った。
これは罠なのか。
「マリア様ですか?」
「はい」
「いつごろ、お会いになられたのですか?」
「えっと、一週間くらい前でしょうか」
もし本物なら、監視局は何をしていた。
もしかすると……。
「そのマリア様は、今どちらに? 私もご挨拶したいのですが、お屋敷におられなくて」
「はい、療養先におられました。ご住所をお教えしましょうか?」
「ぜひ、お願いいたします」
シャーロットは住所を手帳に記入した。
そして、扉が静かに閉まる。
部屋には紅茶の香りと、メアリーから預かった真珠が残った。
メアリーが応接室を出た後、シャーロットは今回の問題を考える。
メアリーがただの依頼人なのか。
マリアの計画の一部として動いているのか。
思案していると、ハドソンが応接室に入ってきた。
「大丈夫、シャーロット?」
「はい」
いつもと違うシャーロットの雰囲気に、ハドソンは少し驚きながらも後片付けをした。
シャーロットは気持ちを切り替える。
ハドソンに、メアリーの魔導学園時代の研究資料などの手配をお願いした。
自室に戻り、レストレードに連絡を取る。
メアリーと彼女の父の情報。
東インド研究所の情報。
そして軍の情報。
ショルトー大佐の現在の情報も必要だ。
一瞬迷ったが、マリアの所在地も伝えた。
すぐに、レストレードから連絡が来た。
「今から迎えに行く」と。
レストレードは、魔法省監視局の監査官だ。
シャーロットとは旧知の仲。
マリアの事件でも捜査担当になっている。
最近はかなり忙しく、シャーロットとも通信連絡ぐらいで、ほぼ会っていない。
連絡を受け、シャーロットは学園の校門前で待っていた。
ハドソンから得たメアリーの魔導学園時代の研究資料などを確認していると、レストレードの馬車が来た。
「久しぶりだな、シャーロット」
「ええ。元気そうではないわね」
レストレードの目には、隈ができていた。
「ああ。混乱の後始末と捜査がまったく進まない。責任の押し付け合いと秘匿事項が多すぎて、何も進まない」
魔法省と大議会。
そして、魔法省内での局同士の争い。
「そう、大変ね。それで、マリアの場所は?」
「ああ」
二人は馬車に乗り、情報を整理する。
シャーロットは政治のもめごとは好きではない。
まるで合理的でも論理的でもないからだ。
だから、前回の問題にも、これ以上関わらないようにと考えていた。
しかし、マリアの言動は気になっている。
あれはまるで、シャーロット自身を標的にしていた。
そして、事件の結果には何も興味がないようだった。
「まず、ホルダー家とはまったく関係ない」
「しかし面倒なのは、もともとは東インド研究所の保養所だったことだ」
東インド研究所。
「あと、メアリーだが、ホルダー家とは今のところ関わりがない」
「まだ細かく調査中だが、分かり次第連絡する」
「ええ、お願い」
情報の確認をしている間に、馬車が着いた。
馬車を降りると、保養所にはステラが待っていた。
彼女はこちらに気づき、声をかけてきた。
「監査官、お疲れさまです。シャーロットさん、お久しぶりです」
ステラはレストレードの部下の補佐官である。
シャーロットとも何度か仕事で一緒になったことがあり、まだ若いがかなり優秀である。
「現状は?」
「はい。誰もいません」
「いない?」
「はい。人がいた形跡はありますが」
「今は?」
「そう。中に入っても?」
シャーロットは確認する。
ステラはレストレードを見る。
「かまわないさ」
三人は玄関に向かう。
保養所の中は、定期的に掃除がされているらしく綺麗だった。
ずっと使われていないということはない。
むしろ、ここにいたのであろう。
国外に逃走したと考えていたが、こんな近くにいたとは。
「ここの管理は、誰がしているの?」
シャーロットは聞く。
「はい。一応、魔法省の管轄になっています」
「管理員とかはいるの?」
「それが、一か月前から前任者が行方不明で、現在は誰もいません」
「そういうこと」
「わかりやすく、手紙でも残っていればいいのに」
「そうだな」
マリアはここに誘っているはずだ。
でなければ、メアリーからこの情報が出るわけがない。
「東インド研究所か」
「これはまた、面倒なところが絡んでいるな」
レストレードはため息をつきながら言う。
「そうね」
監視局でも、東インド研究所は手が出しづらいところのようだ。
「今、東インド研究所の管轄はどこになっているの?」
「ああ、確か外務調査局だな」
「外務調査局?」
「そうだ」
外務調査局は、国外での活動を主としている組織だ。
最近だと、オレンジの種の事件に関わっていた。
レストレードがかなり文句を外務調査局に言っていたと、ステラが事件の後で話していた。
そんなことをすれば出世に関わるはずだ。
レストレードは意外に感情を優先するタイプなのだなと、最近シャーロットは認識を改めていた。
しかし、そこが彼を慕う者が多い理由の一つなのかもしれない。
「内部調査のお友達は、何か言っていないの?」
最近、レストレードにできた秘密の友達だ。
「今、調べてもらっている」
「シャーロットさん」
研究所内を捜索中のステラが、こちらに戻ってきて声をかけてきた。
「こちらですが」
玄関ホールを抜け、奥に行くと応接室があった。
そこには一枚の絵が飾ってあった。
真っ赤なドレスを着た女性が描かれていた。
マリアを思い出す。
紅い髪に、赤い、真っ赤なドレスを着ていた姿を。
「似ているな」
「ええ」
本人ではない。
家族。
マリアの母親は亡くなっている。
そして、一人娘だった。
「絵は円で確認できないのか?」
レストレードは言う。
円はシャーロットの固有魔法である。
円の中の閉じた空間にある点から観測核を読み取り、過去の情報を得ることができる。
「絵は無理よ」
シャーロットは、はっきりと言う。
「絵には製作者の魔法が入っている場合が多いわ。まるで秘密の鍵が何重にも重なっているようにね。そして、絵を見る時には、人は無意識に鍵を開けるの。ただ、誰がどの鍵で開けるかは、製作者でもわからない。だからこそ、絵は観る人で印象が変わるのよ」
「そうか」
レストレードは絵にあまり興味がないので、よくわかっていなかった。
「やるとすると、かなり時間がかかるし、失敗すれば絵自体が消失する」
シャーロットは少し腕を上げ、絵に近づけてみる。
しかし、やる価値はあるかもしれない。
この絵に何があるのか。
「この絵、少し借りることはできるかしら?」
「そうだな。少し時間をくれ。いろいろ手続きが必要でな」
「ええ、お願い」
その後、保養所を捜索したが、何も出てこなかった。
髪の毛一つも落ちていない。
これ以上いても仕方がない。
一度解散になった。
ステラは先に監視局に戻っていた。
レストレードとシャーロットは、馬車で魔導学園に向かった。
「しかし、東インド研究所とはな」
「ええ。面倒ね」
「一ついいか」
レストレードは言う。
「この前のベリルの王冠の事故。あれは東インド研究所が崩壊した内容に似ている。もちろん結果は違うがな」
「どういうこと?」
「後で資料を送る」
その時、ちょうど馬車は魔導学園に着いた。




