第十二章 ぶな屋敷の秘密(三)
「失礼する」
レストレードはローバー邸――研究所兼用の建物に足を踏み入れた。
「なんだね、急に」
出迎えたローバー卿が、露骨に不快そうな顔をする。
「立ち入り許可書だ」
レストレードは淡々と封筒を差し出した。
「立ち入り許可だと? 魔法省にそんな権限はない。ここは民間の施設だぞ」
「いえ。これは政府発行の許可書です」
「な、なんだと……?」
ローバーの声音が、少しだけ震えた。
その反応に、シャーロットは静かに目を細める。
「研究所はどちらですか? それと、邸宅のほうも確認させてもらいます」
レストレードの言葉に、ローバーは膝から崩れ落ちた。
「……もう少しだったのに……」
その呟きが、すべてを物語っていた。
地下の研究区画へと降りていくと、その意味はすぐにはっきりした。
「……なんだこれは?」
レストレードが思わず声を上げる。
「きれい」
シャーロットは、ただ一言そう言った。
六基の核観測装置と中央にそれを制御する装置があり、
そしてそこには――初めて実用段階に達した、立方体の魔法構造が浮かんでいた。
光の線が三次元に組み上がり、空間そのものが箱のように閉じている。
その中心、制御核として組み込まれているのは――《ベリルの冠》の宝玉だった。
(……そういうこと)
シャーロットは即座に理解した。
「ここを指揮していた研究所長は、アリス・ローバーですね。――どこに?」
レストレードが問いただす。しかしローバー卿は唇を噛み、何も答えない。
「あそこにいるわ」
シャーロットが、立方体構造の奥――壁際の台に目を向けた。
そこには、若い女性が横たわっていた。
アリス・ローバー。
だが、その胸は上下していない。
いいえ――動けないのだと、一瞬でわかった。
「……死んでいるわ」
シャーロットの声は淡々としていた。
「なぜだ?」
レストレードが振り向く。
「立方体魔法ね。制御しきれなかったのね」
シャーロットは構造を観察しながら続ける。
「本来、立方体魔法の制御など簡単なことではない。”ベリルの宝玉”を媒介にすることで、アリスはこの立方体魔法を“かろうじて”扱っていた」
視線の先で、光の立方体がかすかに揺らいだ。
「けれど――」
立方体の魔法は、今この瞬間だけに作用する三角魔法とは違う。
「立方体魔法は、《過去》と《未来》にも影響を及ぼす。観測線を時間方向にまで伸ばすことで、未来予測すら可能になる」
だが、そのために必要な情報量と負荷は、一人の人間の脳が処理できる限界をはるかに超える。
「未来を“視る”ために、ベリルの宝玉が使われた。けれど、その過程で――アリスの中枢が耐えられなくなった。脳が、限界を迎えたね」
「そして、この装置は、もうすぐ壊れるわ。立方体魔法を構成している《点》が揺らぎ始めている」
シャーロットが静かに告げる。
「どうなる?」
「消滅する。
――核観測事故のときと同じような終わり方ね」
「……オーストラリアの、あの件か」
「そう」
レストレードの顔色がわずかに変わる。
「止められるのか?」
「今は、ベリルの宝玉が辛うじて支えているけれど……容量を超えつつあるわ。
このままでは宝玉が先に壊れる」
「円で抑え込むことは?」
「円は“平面”。
これは三次構造――立方体。
位相が違いすぎて、干渉が届かない」
「この前みたいに、三重円でも?」
「ええ。意味がないわ」
シャーロットは黙り、目の前の立方体構造と《ベリルの冠》を、じっと見つめた。
思考が、加速していく。
「四角は、円で制御できる……。
なら、立方体は――球」
シャーロットは一度、視線を伏せた。
理論は、ずっと前からそこにあった。
問題は――それを“やるかどうか”だけだ。
シャーロットは、研究していた過程を思い返す。
円の先にあるもの。
それは三次の図形――球。
「できるはず。理論的には……。
あとは、私の能力が間に合うかどうか」
揺らぐ立方体構造が悲鳴をあげている。
時間はもうない。
「レストレード、避難させて。
みんなを――そしてヴァイオレットを助けて」
「お前はどうする?」
シャーロットは、短く息を吸った。
「やるべきことをやるわ」
レストレードはわずかに笑みを浮かべ、頷く。
「そうか。じゃあ俺も、俺のやることをやる」
彼はすぐに部下へ指示を飛ばし、研究所全域に退去命令を出した。
残ったのは――シャーロットとレストレードだけ。
「……あら、残るの?」
レストレードは肩をすくめる。
「ああ。一人で死なせるのは嫌だからな」
「私は死ぬ気はないわよ」
どこか、いつもの調子だった。
シャーロットは深く目を閉じた。
球をイメージする。
中心となる一点。
そこから広がる曲面。
立方体を包み込む三次の観測構造――。
そして、
光の立方体を“くるむ”。
その曲面の向こうで、彼女自身の輪郭が薄くなる気がした。
観測、開始。
情報量が多い。
これはまるで、世界そのもの
ああ、世界というのは、こんなにもきれいで、美しいのね。
そして――




