第十一章 ベリルの冠 (二)
現場の確認を終え、レストレードとシャーロットは、アーサーが拘束されている取調室へ向かった。
取調室の前。
二人は扉の脇の簡易机で、最新の調査情報と局員リストに目を通していた。
「アーサー・ホルダー。魔力管理局の局員で、ベリルの冠の整備主任」
レストレードが資料を指でなぞる。
「今は、冠室に出入りしていた局員を全員洗っている。特に――女性職員を重点的にな」
「ええ」
シャーロットは短く相槌を打つ。
ふと、別のページに目が止まった。
「……これは?」
「どうした?」
シャーロットは一枚の資料を抜き出した。
マリア・ホルダー
アレクサンダー・ホルダー卿の姪。
魔力管理局・宝玉研究室所属、補助研究員。
レストレードは、彼女の表情を見て小さくため息をつく。
「仕方がないさ。魔法省は貴族の権力の舞台でもある。身内で固める、なんてのは珍しくない」
そして、すぐに表情を引き締めた。
「……マリアについても手配をかける。
任意聴取で済めばいいがな」
そう言うと、レストレードは資料を閉じ、取調室の扉をノックした。
扉が開き、二人は中へ入る。
狭い石造りの部屋。
中央の机を挟んで、若い男がうなだれるように座っていた。
アーサー・ホルダー。
制服の襟元は乱れ、両手はテーブルの下で固く握りしめられている。
「アーサー・ホルダー」
レストレードが名を呼ぶ。
「私は監視局のレストレード管理局監査官だ。隣は、観測補佐だ」
アーサーは何も答えず、視線を落としたままだった。
レストレードは椅子に腰を下ろし、真正面から問いかけた。
「マリア・ホルダーとは、どういう関係だ」
アーサーの肩が、わずかに揺れた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「……彼女は関係ない」
「いや、関係ある」
レストレードの声が低くなる。
「ベリルの冠からの観測結果で、彼女の魔力の痕跡が出た。冠に触れた“誰か”の記録が、はっきりと残っている」
シャーロットが静かに言葉を継ぐ。
「この混乱を止めるためにも、あなたの協力が必要なの。
アーサー・ホルダー――あなたは、マリアを“守るために”黙っているのかしら?」
アーサーの肩が、沈んだ椅子の上で小さく震えた。
「……マリアは、だまされているんだ」
沈黙を破るように、重い声でつぶやく。
「騙されている?」
レストレードが眉を潜める。
「誰にだ」
アーサーは言葉を飲み込み、喉が上下した。
その仕草が、彼がどれほど葛藤しているかを物語っていた。
「……恋人に」
空気がぴんと張り詰めた。
「恋人?」
シャーロットの声が、わずかに鋭くなる。
「彼女の恋人とは――誰?」
アーサーはしばらく口を閉ざしていたが、
ついに観念したように名前を告げた。
「……ジョージ・バーニウェル卿」
レストレードが息を呑む。
ジョージ・バーニウェル卿。
大議会の若手議員。
政策よりも人気取りの象徴として知られる貴族。
「彼が……マリアに頼んだということか?」
レストレードが慎重に言葉を選ぶ。
「それを知って、君は彼女をかばっている?」
アーサーは力なく頷いた。
その一つの頷きで、部屋の温度が下がったように感じる。
「……わかった」
レストレードが立ち上がる。
「協力に感謝する。ここからは、こちらで動く」
シャーロットは振り返り、静かにアーサーに言った。
「あなたの言葉が、マリアを救う“手がかり”になるわ」
扉が閉まり、取調室の光が遮断される。
管理局からマリアは、急病で自宅に帰宅したと報告を受けとった。
マリアの家へ向かう途中、階段を上りながら、レストレードは腕を組んだ。
「本当だと思うか?」
彼はシャーロットに尋ねる。
「あまりにも出来すぎている気がする」
「そうね」
シャーロットは歩きながら、わずかに首を傾げる。
「ジョージ・バーニウェル卿ほどの人物が、
“宝玉の盗難”なんて、すぐ足が付くことを頼むとは思えない」
「だよな」
「ただ――“混乱を作るため”なら話は別よ」
シャーロットは窓の外に視線を向けた。
「政治的な混乱を。魔力管理局の無能を示し、魔法省の責任を追及し、大議会側が勢力を広げるために……」
レストレードの瞳が鋭くなる。
「つまり、混乱を狙った計画的犯罪の可能性がある、ということか」
「ええ。この状況を“作り出す”のが目的なら、――今まさに大成功よ。」
その瞬間だった。
ロンドンの灯が、ふっと消えた。
馬車道の照明も、街路樹に付けられた魔力灯も。
遠くの塔の光さえ、すべて一斉に消え去った。
都市全域を覆うような、深い闇。
「……魔力基盤が、落ちた」
レストレードが低く呟いた。
シャーロットは空を見上げた。
「間に合わなかったわね」
その声は、静かで、しかし鋭かった。
「――三つの宝玉の欠落。都市魔力導管の制御が完全に止まった」
ロンドンの闇が、二人に覆いかぶさる。
“ある”はずのものが消えると、世界は驚くほど脆い。
魔力基盤が一つ止まっただけで、日常は崩れ、人々の思考は混乱し、冷静な判断は奪われ、短絡的な行動が都市全域へと連鎖していく。
ロンドン全域を包む闇は、街の境界線を消し去っていた。
普段なら絶対に越えられない“貴族と市民の壁”が、光を失ったことで、どこにも存在しないように見える。
混乱――それが街を飲み込み始めていた。
「監査官、大変です!」
魔法通信回線が、短く鋭い音を立てて接続された。
ステラからの緊急連絡だった。
魔法省監査局が使用するのは、一般回線とは隔絶された専用の魔法通信網――感情の揺れすら、わずかに混線して伝わるほど感度の高い回路である。
ステラは現在、ジョージ・バーニウェル卿の所在と動向を確認するため、大議会へ向かう途上にあったはずだった。
「大議会前に、住民が大量に集まり始めています!警備隊が現在、状況を確認中ですが……」
通信の向こうで、風と人声がざわめいている。
「……そうか」
レストレードが、低く、しかし重い声で呟いた。
「蓄積していた不満が――魔力の灯を失った、その瞬間に噴き出したな」
都市の秩序は、魔法という“前提”の上に成立している。
それが失われた時、民衆は理屈ではなく感情で動く。
「まずいわね……」
シャーロットは眉を寄せ、ほんの一瞬、視線を伏せた。
「――時間がないわ。マリアを、先に確保しなきゃ」
観測対象が、群衆に呑まれる前に。
それが、この局面で取り得る唯一の“安全な選択”だった。
ホルダー邸は、周囲の闇の中で異様なほど明るかった。
「明るすぎるわね……」
シャーロットは呟いた。
「貴族邸には予備魔力基盤が通っているからな」
「でも、今は逆効果ね。もし、何かあれば、襲撃の“目印”になる」
レストレードが顔をしかめる。
「監視局経由で全貴族邸に伝えて!明かりを消しなさい。狙われるわ」
「ああ、わかった!」




