第十一章 ベリルの冠 (一)
シャーロットは報告書を閉じ、指先で筆のイングを拭った。
そのとき、扉を叩く音がした。
「入って」
扉の向こうから、黒い外套を羽織った男が現れた。
魔法省監視局の監査官――レストレードだ。
普段の穏やかな笑みは消え、瞳の奥には焦りの色が宿っている。
「いきなりすまない、シャーロット。かなり重要な案件だ」
「……顔を見ればわかるわ。何が起きたの?」
レストレードは一呼吸置き、言葉を慎重に選ぶように告げた。
「――ベリルの冠が盗まれた」
室内の空気が静まり返る。
机の上で丸まっていたワトソンが、ぴくりと耳を動かした。
「正確には、冠から三つの宝石が消えた。ベリルの冠は、この街ロンドンの魔導基盤を制御する“魔導中枢具”だ。その宝石が三つ同時に失われた」
「犯人の目星は?」
「アレクサンダー・ホルダー卿の息子――アーサーだ。現場で、ベリルの冠を手にしていた」
シャーロットは小さく眉を上げた。
「ホルダー卿……貴族院の重鎮で、魔力管理局の局長でしょう」
「ああ。そして、アーサーは黙秘を貫いている」
「黙秘?」
「そうだ。逮捕時の状況は限りなく“黒”に近いが、肝心の本人は口を閉ざしたままだ」
レストレードは一度、深く息を吸った。
「まず事の詳細だが――ベリルの冠は魔力管理局の中枢に設置され、ロンドンのインフラを安定的に制御している。その仕組みを支えているのが“ベリルの宝玉”――三つの制御石だ」
「三つとも消えると、どうなるの?」
「一つなら問題はない。だが三つ同時に失われれば、今のインフラは維持できない」
「……つまり、都市機能が止まる可能性がある」
レストレードは静かに肯定した。
「魔導学園は独自の魔導基盤で動いているから当面は平気だが、市街地全域は管理局が“手動で”調整している状態だ。だが範囲が広すぎる。ほころびがはじまりつつある」
「市街地の一部で、すでに魔力灯の明滅が報告されている」
「時間の問題ね」
「そういうことだ」
そして、レストレードは言いにくそうに続けた。
「もう一つ厄介なのは、今回の件を巡って“弾劾運動”が起きている」
「弾劾……ホルダー卿を局長から引き下ろすという?」
「ああ。今は“辞任要求”だが、時間が経てば正式な解任になるだろう。魔法省の権力を削ぎたい“大議会側”が、これを機に揺さぶっている」
シャーロットは肩をすくめた。
「こんな非常時に、権力争いなんて」
「政治とはそういうものだ。だが、こちらも手をこまねいてはいられない」
「それで――私に、アーサーを観測させたい、というわけね?」
「そうだ。監視局としても、魔法省としても、“事実”を明確にする観測者が必要だ」
シャーロットは立ち上がった。
霧の向こうに淡い光が差し込み、彼女の瞳に青が宿る。
「わかったわ。このままにしておくと、ロンドンの街が本当に止まってしまうもの」
ワトソンが尾を揺らす。
監視局の正面玄関を抜けると、魔力探知結界の低い唸り声が足元から伝わってきた。
シャーロットはくすりと笑う。
「そういえば、今回は普通に入れるのね」
「今回は特例だ」
レストレードが肩をすくめる。
「前みたいに、ステラに変装できなくて残念か?」
「ええ、あれはあれで楽しかったのに」
レストレードが咳払いして話を戻す。
「現場も、そのまま入れるように段取りした。魔力管理局の“冠室”への立ち入り許可も取ってある」
「すごい圧力がかかっているのね」
シャーロットが囁くと、レストレードは小さくうなずいた。
「上層が動いている。本来、一般観測者――まして学生を入れることは絶対にできない場所だ。だが今回は、正真正銘の“非常事態”だからな」
二人は長い階段を下り、監視局地下を横断する通路を抜けていった。
その先――魔力管理局の中枢へと続く大扉がある。
扉が左右に開き、冷たい蒼光があふれた。
「ここが、ベリルの冠の制御室だ」
シャーロットの瞳が、ほんのわずかに輝いた。
「すばらしいわ……」
室内はほぼ円形。
中央には巨大な台座があり、その上に“ベリルの冠”が鎮座している。
三つの座には代替の整備用宝玉が埋め込まれ、補助術式が淡く明滅していた。
「今は応急処置で、この代替宝玉を使っている」
レストレードが説明する。
「正規石とは比べ物にならんが、最低限の出力は保てる」
「触っても?」
シャーロットは手袋を整えながら尋ねた。
レストレードは近くにいた魔力管理局の役人へ視線を向ける。
「はい、問題ありません。ただし、触れた瞬間に魔力記録が残るので、後で署名だけはお願いします」
「了解。では――いくわ」
シャーロットは冠へ歩み寄り、指先で小さく円を描くように魔力を放った。
《円》
彼女にしか扱えない、きわめて高位の観測魔法。
冠の周囲に淡い光の輪が広がり、空気が震える。
「……見えた」
シャーロットの表情が、ゆっくりと変わった。
レストレードが身を乗り出す。
「アーサーの姿か?」
「いいえ」
シャーロットは静かに首を振った。
「ここに残っているのは――アーサーではない。研究服を着た若い女性の署名」
室内の空気が、ほんの一瞬止まった。
「女性……? 誰だ?」
シャーロットは観測の光の中、細く揺れる線圧の癖を追う。
「これは……迷いがない、それから
――“素人”の触れ方じゃない」
光が収束し、冠の上にかすかな残像が浮かぶ。
白い研究服。
細い指。
「……彼女は、冠に触れることに慣れていた」
シャーロットは息を吸い、レストレードを見た。
「アーサーではないわ。
――現場にいたのは、“別の女性”よ」




