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シャーロット 〜魔法の調べは、観測の果てにあり〜  作者: 桜の浜


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第十章 花嫁失踪事件(四)

 学園の応接間。


 ロバート・セント・サイモンは、背筋を伸ばして立っていた。

 背広の襟は一分の乱れもなく、袖口の折り目も正確だ。

 姿勢と言葉の節度――誠実という名の均整は、彼にとって生き方そのものだった。


「シャーロット嬢。どうか……彼女のことを」


 声音は低く、抑えられている。

 だが、声を抑えるために使われた力の量が、痛いほど伝わってくる。

 シャーロットは封書を一通、机上に差し出した。


「予備報告です。 ――誘拐の可能性は低く、本人の自発的離脱が濃厚。外部干渉は不明瞭」


 言葉は正確だった。

 そして、意図的に不足している。

 今、この場に必要な“真実の形”は、これ以上でも以下でもなかった。


「……彼女は」


 ロバートは一度、言葉を切った。

 机の縁に指を置き、わずかに力を込める。

 均整を崩さないための、ほんの小さな動作。


「……生きているのですか」


「“こちら側”での観測はできません」


 即答だった。

 曖昧に濁さず、断定もしない。

 ロバートの瞳に、ほんの一瞬、影が差す。

 だが、彼は視線を伏せず、礼を失わない。


「……ありがとう」


 その言葉は、礼であり、覚悟でもあった。


「最終報告は、事件が落ち着いてからになります」


「待ちます。……どうか、彼女の名誉を守ってください」


「必ず」


 短い約束。


 ロバートが去ると、応接間には静けさが戻った。

 扉の閉まる音は小さく、しかし確かな余韻を残す。


 ワトソンがそっと寄り、低く囁いた。


「シャル……ほんとうのことは伝えないの?」


「今は、報告のみよ」


「それって、嘘にゃ?」


 シャーロットは、テーブルにある冷めたカップを見た。


「そうね」


 語られないことで守られる真実も、確かに存在する。



 霧が濃い朝だった。

 ロンドンの鐘はまだ鳴りやまず、湿った空気が街を覆っている。


 シャーロットは再び、聖アルバート礼拝堂へ戻ってきた。


 ――だが、彼女の“観測”は、まだ終わっていなかった。


 礼拝堂の中央。

 花嫁が立っていた、その位置。

 そこには、わずかな魔力痕が残されている。

 光の残滓が薄く漂い、空気をかすかに震わせていた。

 白い花弁が、ひとひら舞う。

 その瞬間、耳の奥で、微かな囁きが生まれる。


 “見ていて、シャーロット”


 声は柔らかく、遠い。

 だが、確かな――“存在”だった。


 シャーロットは静かに息を吸い、《円》を展開する。


 空気が裂け、時間が逆流するように、光景が立ち上がった。


 ――婚儀の場。

 参列者の祝詞。

 魔法式の輝き。


 中心で、花嫁ハティ・ドーランは、静かに手を上げていた。

 恐れはない。

 その表情に宿るのは、覚悟と安らぎ。

 唇が動く。

 息継ぎの位置。

 魔法式の発動。


 シャーロットは、その口形を正確に読み取る。


「……フランク」


 次の瞬間、花嫁の輪郭が光へと溶けた。

 魔法式が逆回転し、存在位相が二層に分離する。


 一方は、この世界へ。

 もう一方は――“向こう側”へ。


 観測は一度、断絶する。

 だが、それは消滅ではない。


 ――再署名。


 光が満ち、シャーロットの周囲に、淡い人影が立ち上がった。

 古い研究記録に残る肖像と、ほぼ一致する姿。

 フランク・マルベリー。


 彼は、微笑んでいた。

 その向こうに、ハティが立っている。

 二人は手を取り合い、 互いを――存在ごと、確かめるように見つめていた。


「あなたが、見ていてくれたから……私、ここに来られた」


 ハティの声は、もう震えていない。

 瞳は静かで、揺らぎを失っている。

 彼女はふと振り返り、シャーロットを見た。


「ごめんね、シャル。嫌な役をやらせて。私は、自分勝手な人間なのよ。愛した人を忘れられず、愛してくれた人を利用した。そして――想ってくれている人まで」


「わかっています」


 シャーロットは、ただそう答えた。


「ありがとう、シャル。また……一緒に、みんなで、コーヒー飲みたいわ」


 光が強まり、結界が音もなく崩れていく。

 影は、霧に溶けるように消えた。

 その瞬間、礼拝堂の魔力は完全に静まり、世界が一秒だけ――息を止める。


 そして、すべてが終わった。


 外へ出ると、雨が降り始めていた。

 灰色の空の下で、シャーロットは傘も差さず立ち尽くす。

 ワトソンが足元で尻尾を揺らした。


「シャル……彼女、いっちゃったにゃ」


「ええ」


「止められたにゃ?」


 一瞬、答えが遅れた。


「……止める理由は、なかったわ。彼女は“自分の選択”をしただけ」


 言いながら、声がわずかに震える。

 胸の奥が、締めつけられる。

 理解できない痛み。


「……愛って、そういうものなのかしら」


 気づけば、目元に手を当てていた。

 涙は温かく、頬を伝ってこぼれる。


 理由はわからない。

 けれど、その涙が、二人の“存在”を確かにしている気がした。

 雨音が強まる。

 塔の方角から、鐘がゆっくり鳴り始める。


「さようなら、先輩」


 言葉は雨に溶けた。

 だが、存在は消えていない。

 記録として。

 観測として。


 夜。


 シャーロットは、コーヒーを淹れていた。

 いれたての苦味が、わずかに喉を刺す。


 ”存在断絶”には、ひとつだけ必要な条件がある。

 それは――完全なる観測。


 それを成し得るのは、《円》を使用できる観測者、シャーロットただ一人だった。


 ハティは、それを知っていた。

 だからこそ、彼女は頼んだのだ。


 シャーロットに――観測を。


 シャーロットは観察日誌を開き、静かに記す。

 そこで筆を止めた。


 記録は残る。


 そしてシャーロットの心の中にも残る。


 シャーロットは、記憶の中で、ハティの笑顔が思いだす。


 それでいい。

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