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シャーロット 〜魔法の調べは、観測の果てにあり〜  作者: 桜の浜


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第九章 技師の親指(二)

 その夜、霧の濃い街路に、黒い馬車が現れた。

 外見は古いが、車体には一切の装飾がない。

 扉が閉まった瞬間、外の音が消えた。


 車内は、結界で覆われ、外界の観測から完全に切り離されている。

 ヘザリーは、自分の手を見つめ、指の輪郭がわずかに曖昧に見える気がした。


 時間の感覚が、薄れていく。

 やがて、馬車は静かに停止した。


 扉が開くと、そこには霧に沈む石造りの館が広がっていた。

 研究施設のはずだが、遠近感が定まらない。

 視線を向けるほどに、建物の輪郭が揺らぎ、形を変えていく。


「ここだ」


 スタークの声が、低く響いた。

 そこは、大きな研究所であった。


 だが同時に、

 ――存在そのものが、どこかこの世界から浮いている場所でもあった。


 研究所の内部は、異様なほど静かだった。

 沈黙というより、音そのものが吸い取られている。足裏が石床を踏む感触はあるのに、靴音が返ってこない。

 代わりに、空間には圧があった。息を吸うたび、胸の奥に薄い抵抗がまとわりつく。


 壁を走る魔力導管が、ゆっくりと脈動している。

 淡い光が血管のように流れ、時折、鼓動のリズムに合わせて明滅した。

 その光は照明としては弱い。だが目を凝らすほど、逆に輪郭が滲み、距離感が狂っていく感覚になる。


「……随分と、奥へ行んだな」


 ヘザリーが思わず言うと、スタークは振り返りもしない。


「ああ」


 淡々とした声音。だが、その言葉には温度がない。


 扉が開かれた。


 ヘザリーは、そこで初めて喉の奥が乾くのを感じた。

 装置を見た瞬間、彼は息を呑んだ。


「……これは、紅魔装置? いや、それだけではない」


 紅魔装置と同じ構造のものが六つ。

 円環状に並び、正確な間隔で配置されている。


 本来、一基だけでも、莫大な予算がかかるものが、六角を描くように組まれていた。

 それぞれの基部には微細な違いがあった。

 まるで六つの“異なる答え”を、同時に成立させようとしている――そんな配置だった。

 中心部には、淡く光る宝玉が据えられている。


 魔法の核。


 核のひとつは、小さく、だが視線を吸い寄せるように澄んでいる。

 六基の核が六角を形づくり、中央にはさらに、小さな光が揺れていた。


 それは、美しかった。


 ガラスでも宝石でもない、光そのものの結晶。

 見つめるほどに瞳孔が開き、時間感覚が薄くなる。

 ヘザリーは、危険だと分かっているのに、目を逸らせなかった。


「君が設計していたものと、ほぼ変わらない。できるだろ?」


 スタークが低く言った。

 ――設計はした。


 だが、実験は失敗した。

 理論上は成立しても、現実の魔力は誤差を許さない。


 一つだけでもうまく起動しなかった。

 しかも六基同時稼働など、制御が追いつくはずがない。


 しかし、明らかに違うところがあった。

 宝玉である。

 六つすべてが異なる色を持つ、六色魔法系統に属する宝玉。


 ――こんなにも安定した宝玉など、存在するのだろうか。

 その疑問が、ヘザリーを動かした。


 無意識に、右手の親指で工具の柄を押さえ、角度を測る。

 だが、その感触は、ここではまったく頼りにならなかった。

 装置のほうが、こちらの「測定」を嘲笑うかのように、淡い光を脈打たせている。


「あ、来たの? あなたが学園一の技術者?」


 白衣を着た女が、気軽な調子で声をかけてきた。


「制御的には問題ないんだけど、六基の並列同期がうまくいかないのよね。

 それで、設計者の意見を聞きたくて」


 並列同期。

 理論上は可能だが、実行するには膨大な予算と、技術と、知識が必要になる。


「これが――」


 気づけばヘザリーは、その装置を確認しながら、白衣の女と会話を交わしていた。



 あれから二週間が経った。

 彼は、ほとんどの時間をここで過ごしていた。

 学園にいる間も、頭から離れないのは、この装置のことばかりだった。


「だいぶ安定したわね。いいわ」


 白衣の女――アリスが言った。

 彼女は、この装置の中心人物だった。


 六基の装置は並列に接続され、その中心には、光る存在があった。

 それは立体だった。


 三角錐。


 世界に初めての存在した魔法。

 それが現実に、ここにあるなどとは――。


「……そうだな」


「でも、ダメ、ダメね。安定、不安定、安定?その繰り返し」


「なに? 安定させるのが目的じゃないのか?」


「ええ。安定は、あくまで目的まだの手段よ。発展するためには次にに進まないと」


 その言葉を聞いた瞬間、ヘザリーは恐怖を覚えた。

 これ以上、何を求めるというのか。

 理論上にしか存在しないものを、すでに作り上げている。

 さらに、その先へ行こうとするなど――。


「疑問はいい。早くやれ」


 近くにいたスタークの声音が変わった。

 短く、硬い。

 言葉の裏に、はっきりとした殺意があった。

 ヘザリーは喉を鳴らし、装置の外周へ回る。


 点検用の扉を開けると、内部の魔力が青白く脈打っているのが見えた。

 作業を開始する。

 配線と符式の整合。

 導管の圧。

 核の温度。

 外周の固定。

 一つ直せば、別の箇所が微かに狂う。


 まるで装置全体が、完成を拒んでいるかのようだった。

 それでも、ヘザリーは、作業を止めれなかった。

 ヘザリーはこの、あいまいな不安定な状態をいつの間にか楽しんでいた。


 これは、本当に制御できるのか?


 そう心に思いながら。


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