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第一章 学園の醜聞 (三)

 ハドソンとの話を終えたあと、シャーロットはそのまま寮塔から研究棟へと向かった。


 魔導学園には、さまざまな棟がある。

 シャーロットたちが生活する寮棟。生徒の講義を中心とし、北側の正面入口の中央に建つ学園棟。

 その学園棟の東側には、魔導学園の教授たちが研究を行うための研究棟がある。


 通常は、一学園生が入る場所ではない。

 だが、そこはシャーロットのお気に入りの庭の一つになっている。


 学園の生徒からは怖がられている彼女だが、教授たちからは可愛がられていた。

 普段は無愛想な見た目だが、研究内容や論文を読んでいるときは生き生きとした表情をしており、たまに見せる微笑みは神秘的でもある。

 シャーロットは、銀髪のショートボブを軽く揺らしながら、お気に入りの研究室を歩き回り、教授たちに質問や考察をぶつけていた。

 その鋭い考察と研究に対する真摯な態度に、教授たちは一般の生徒にはない輝きを見ていた。

 この逸材を早めに自分の研究室へ引き入れたい。そう考える教授すらいた。


 研究棟では、魔導器具を抱えた助手たちの声が廊下に軽く響いていた。

 薬品、インク、魔力炉のかすかな熱。

 普段なら聞こえるはずの実験器具の音――金属の擦れる音や、試薬瓶の蓋を開ける小さな破裂音――が、今日は妙に少ない。


 アドラー准教授の研究室がある階に上がると、廊下の雰囲気はさらに変わっていた。

 扉の前には監視局の印章を掲げた札が下がり、簡易封鎖用の結界が張られている。

 薄い光の膜が扉の縁をなぞり、近づく者を牽制するように揺れていた。


 見慣れた研究室の扉。

 その前に、助手のハティ・ドーランの姿があった。


「シャーロット」


 ハティの声には、不安と困惑が混じっていた。

 彼女の亜麻色の髪はいつも通りまとめられているが、指先は落ち着きなく袖口をいじっている。

 その表情と仕草を一瞥して、シャーロットは、彼女が何も知らされていないのだと察した。


「どうなっているの? アドラー准教授は連絡が取れないし、いきなり監視局が調査に入るなんて……。しばらくは出入り禁止らしいのよ。あなたには連絡、あった?」


 ハティは、封鎖された扉を見ながら早口に続けた。


 研究室の中からは、物音ひとつ聞こえない。

 いつもなら、この時間は誰かしらが資料を運び出したり、片づけていたりするはずなのに。


「いえ、私にもありません」


 シャーロットは淡々と答えた。


「そう。ダグラス・ロス教授にも連絡がないって」


 ダグラス・ロス教授は、アドラー准教授の上司だ。

 研究科全体の責任者であり、学園との連絡窓口でもある。

 その彼にさえ正式な通達がないということは、事態がどれほど異例で、どれほど急に動かされたかを物語っていた。


 誰も事情を知らないまま、彼女だけが消える――。


 シャーロットは考える。


 監視局の職員が出入りしている今、この場でできることは少ない。

 封鎖結界の上を走る魔力の揺らぎを観察し、内部で大がかりな捜索が行われているらしいと読み取る程度だ。


 ハティの不安げな視線から一度だけ目をそらし、廊下の窓の外に目をやった。


 シャーロットは小さく息をついた。


 監視局が引き上げ、形式上の封鎖だけが残った頃合いに来たほうがいい。


「大丈夫よ」


 ハティにだけ短く告げ、シャーロットは研究棟を離れようとした。

 そのとき、遠くからの視線に気づき、彼女は足取りを変える。


 レストレードだ。


 人目のない場所まで移動してから、二人は向き合った。

 確認する事項は、主に二つ。


 ――現時点で判明している事実関係。

 ――そして、本件に対する監視局の公式な立場。


「さすがに早いな、情報が」


 レストレードは顎を軽く触りながら、視線はまだ周囲の気配を探っていた。


「これはまだ極秘事項だが、一番の問題は、ボヘミア卿が亡くなられていたという報告があったことだ」


「亡くなっていた?」


 シャーロットは、レストレードの言い方が気になった。


「どういうこと?」


「ああ、もともと療養中ではあった。しかし、昨日急に病状が悪化し、亡くなられたらしい」


「そして、ボヘミア卿とアドラー准教授は、愛人関係にあるという証言がある」


 愛人。

 シャーロットは、アドラーとよく研究内容を話す。

 しかし、彼女とプライベートなことは、あまり話さない。

 特に恋愛のことなど、皆無である。

 そういうことにシャーロットが興味を示さない、ということもあるのだが。


「殺されたの?」


 シャーロットは、単刀直入に聞く。


「いや、まだわからない。ただ、ボヘミア卿が亡くなられるのが発見される寸前まで、アドラーがいたという証言がある。そして同じくして、ミラージュ・ペンがなくなった。さらにアドラーは行方不明。状況証拠だけだが、タイミングは悪い」


 限りなく黒に近い。


 少なくとも、アドラーは何かに関わっている。


 ひと通りの説明が終わったところで、シャーロットは本題を切り出す。

 今夜、アドラーの研究室に立ち入る必要があること。

 それが非公式であっても、監視局の黙認――いや、許可が不可欠であること。


 短い沈黙ののち、レストレードは書類を取り出し、署名を入れた。


「調査補助」の名目で発行された、限定的な立ち入り許可書。


 シャーロットはそれを受け取り、静かに一礼する。

 監視局は、夜には完全に引き上げる。

 そう、レストレードは言っていた。


 夜までは、まだ時間がある。

 人の目もある以上、動きすぎる理由はない。

 シャーロットは目立たぬよう、いったん講義に顔を出すことにした。


「出席さえしていれば単位がもらえる」と評判の、内容の薄い一般教養科目だ。

 普段なら、彼女がもっとも避ける類の講義である。

 講義室は古い石造りで、天井は高く、木製の長椅子が段々に並んでいる。

 シャーロットは、講義室のざわめきから適度に距離のある空席を選び、静かに腰を下ろした。

 視線だけで教室を一巡する。

 黒板の上に描かれた簡単な魔法図。壁際の時計。窓辺で居眠りしかけている男子学生。

 いつもと変わらない光景だった。


 アドラー准教授――彼女は言語魔法学の専門家だった。


 講義のたびに語られる「言葉の力」や「観察と言語の境界」の話は、他の教授にはない緊張感と鋭さがあり、シャーロットにとっても数少ない「聞く価値のある授業」の一つだった。


『魔法は、観測によって生まれる』


 その前提を、「言葉」という枠で再定義する試み。

 アドラーの講義は、教科書には載っていない「危うさ」と「未来」の両方を孕んでいた。


 その講義が、しばらく休講になる。

 胸の奥に、ぽっかりと空白が生まれる。

 それは感傷というより、興味の対象を一つ奪われたことへの苛立ちに近かった。


「どうしたの、シャル。怖い顔して」


 同級生のヴァイオレット・ハンターが声をかけてきた。

 高い席から軽やかに降りてきて、当たり前のように隣の椅子に腰を下ろす。

 この学園でシャーロットと気軽に話す、数少ない友人の一人だ。


 大人びた容姿の少女で、柔らかな金髪は肩のあたりでゆるく揺れている。

 笑顔は周囲を柔らかく照らし、その場の空気を自然に和らげる。


 だが、そのまっすぐな視線の奥には、意外なほど鋭い観察眼が潜んでいた。

 その視線を正面から浴びて、シャーロットは一瞬だけ、まばたきをした。


「普通よ」


「そう」


 あまりにもそっけない返事にも、ヴァイオレットは動じない。

 むしろ、「はいはい、そういうことにしておく」とでも言いたげな笑みを浮かべる。


「今日のアドラー准教授の講義、休講なんだって」


「そうみたいね」


 シャーロットの答えは短い。

 だが、その背後では別の情報が積み上がりつつある。

 研究室の封鎖、監視局の調査、ハドソンの言葉、ボヘミア卿、そしてアドラー。

 それらが頭の中で組み合わされていく。


「みんな、残念がっているわ。人気あるのに」


 アドラーの講義は、難解だが刺激的だった。

 退屈な授業では居眠りする学生たちも、彼女のときだけは最後まで目を覚ましていたくらいだ。

 シャーロットは、アドラーの姿を思い浮かべた。


 ――人を惹きつける声と、意志の強い瞳。


 黒板の前に立つ後ろ姿。チョークを持つ指先。板書の合間にふいに見せる、楽しそうな微笑み。


「シャルのお気に入りの先生だもんね」


 ヴァイオレットが軽く笑った。


 その何気ない一言に、シャーロットは視線を逸らす。

 彼女の鋭い勘と観察眼には、いつも少しだけ驚かされる。


「そうね。授業は面白いわ」


 シャーロットは、わずかに照れ隠しのように言葉を返した。


 ほどなくして講師が教室に入ってくると、ざわめきがすっと引いた。

 シャーロットはペンを取り、黒板に書かれる退屈な定義や年号を淡々と写し取りながら――


 ふと、一昨日のアドラーとの会話を思い出していた。


 彼女は、何かを言いかけていた。

 研究のあと、資料を片づけながら見せた、言い淀み。


 そして、「今度、時間ある?」と、ごく自然な口調で告げた、その最後の一言。

 その「何か」が、今も耳の奥に残っている気がした。


 黒板を走るチョークの音の裏側で、アドラーの声だけが鮮明に蘇る。

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