第八章 まだらの紐(三)
ロイロット邸を出ると、
屋敷は、霧の中で沈んでいるように見えた。
「……厄介だな」
レストレードが帽子の鍔を押さえ、低く唸るように言った。
「今の話、本当だと思うか?」
「可能性はあるわ」
シャーロットは歩みを止めず、淡々と答える。
「観測理論としては、破綻していない。――ただし、 “人として受け入れられるか”は別」
「だが、何かが引っかかる」
レストレードは歯を食いしばるように続けた。
「法的にも、倫理的にも、整理がつかん。娘に会うために作り、壊れたから殺した……それで終わらせていい話じゃない」
「ええ」
シャーロットの灰青の瞳に、“観測者”特有の緊張が宿る。
事象は理解できる。
だが、理解できることと、納得できることは違う。
その瞬間、魔導通信機が淡く光り、ステラへ急報が届いた。
「ジュリアが……消えました」
「消えた?」
レストレードが眉を上げる。
「死体がない?」
「誰かが、隠したのか?」
記録はある。死亡確認もされている。
それでも――“そこにあるはずのもの”が、ない。
「違うわ」
シャーロットは即座に否定した。
「――観測から外れたの」
「……どういう意味だ」
「死体が消えたのではない。存在として、確定できなくなったの」
ジュリアが亡くなり、そして消えたことは、ほどなくヘレナにも伝えられた。
形式上の“捜索”が始まる。
だがそれは、初めから空虚な作業だった。
存在しないものは、探しようがない。
数時間後。
学園寮、シャーロットの部屋の扉が激しく叩かれた。
「シャーロット――ヘレナも消えた」
報告を受けた瞬間、シャーロットが息を整える。
「そう」
シャーロットは一拍おいて、淡々と答えた。
「知っていたのか?」
「いえ。ただ、予想していただけ」
レストレードは苛立ちを押し殺し、苦い顔をする。
「ジュリアもヘレナも消える……どういうことだ?」
シャーロットは窓辺へ歩き、霧の向こうの魔導灯を見つめた。
灯は揺れている。
まるで、観測点そのものが不安定になったかのように。
「二人とも“作られた存在”だった」
静かな声が、空間を切り分ける。
「そして――二人一組で存在を確定させていた。少なくとも、そう考えるのが一番自然よ」
「二人一組……?」
「互いを観測し、存在を支え合っていた。一人では不完全でも、相互観測によって“実在”を保っていたの」
シャーロットは、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「鏡合わせのようなものよ。一方が映らなくなれば、もう一方も輪郭を失う」
レストレードは、息を呑んだ。
「つまり……ジュリアが消えたから、ヘレナも……」
「ええ。 “観測の輪”が途切れた」
重く、深い沈黙が落ちる。
「だが……、一つ、どうしても腑に落ちない」
レストレードは視線を落としたまま続けた。
「ロイロット博士は重い病を患い、残された時間も少なかった。それなのに、どうして“娘”を――ジュリアを殺さなければならない?」
シャーロットは答えなかった。
視線を伏せ、小さく首を振る。
「……私に、人の気持ちまで分からないわ」
その声音には、普段の淡白さとは異なる、
わずかな痛みと戸惑いが滲んでいた。




