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シャーロット 〜魔法の調べは、観測の果てにあり〜  作者: 桜の浜


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第八章 まだらの紐(二)

 ストーク・モーラン研究所・ロイロット邸


 サリー州、レザーヘッド南西の丘陵地帯。

 ノース・ダウンズの丘陵の奥にある森がある。

 その場所に研究所は建っている。

 霧が濃いその森には、霧の精霊がいるとも噂がある。


 ロイロット博士の家は、ロンドン郊外――ストーク・モーラン研究所のすぐそば、森の縁に建っていた。

 灯は弱く、霧は濃い。


「博士は、ここで三人暮らしていた」


 レストレードが言う。


「三人?」


 シャーロットが問い返すと、レストレードは頷いた。


「博士と、娘のジュリア。そしてもう一人――妹のヘレナだ」


「ヘレナはどこに?」


「この屋敷だ。警護をつけてある」


「危険があるの?」


 シャーロットが慎重に尋ねる。


「まだ断定はできんが、状況が状況だ」


 レストレードの声は硬い。

 病死として処理されるはずだった研究者の死。

 存在しない娘が存在し、死亡したこと。

 そして、もう一人の娘。


 扉が軋む音を立てて開き、三人は廊下を抜けて居間へ通された。

 館内は寒い。

 暖炉には火が入っているのに、温もりが感じられない。


 壁には古い魔導円盤が飾られ、そこから細い魔力導線が伸びて床下へ消えている。

 治癒でも結界でもない、用途不明の配線。

 それが、屋敷全体を“何か”の器にしている。


 ヘレナは暖炉の前に座り、蒼白な顔で、震える指先を握りしめていた。


 シャーロットたちを見ると立ち上がろうとしたが、ステラがそっと肩に手を置いた。


「無理をしないで」


 ステラの声は、柔らかかった。

 ヘレナは唇を噛み、小さく頷く。

 彼女の視線は、監査官の黒い外套に縫い込まれた監視局章へ吸い寄せられ、そこから離れない。


「こんな時に申し訳ないが、状況を再確認したい」


 レストレードが言う。


「……ええ、構いません」


 ヘレナは声を絞り出すように答えた。


「姉さんの……様子は?」


 その問いは、祈りだった。

 レストレードの瞳が一瞬揺れた。


「……まだ調べているところだ」


 曖昧にぼかした返答に、ヘレナは何も聞けなくなり、ただ膝の上で手を握りしめた。


「では、ヘレナ」


 シャーロットが一歩前へ出る。

 足音は小さいのに、室内の空気が一段冷える。


「ロイロット博士が亡くなりました。あなたが知っていることを、話して下さい」


「……はい」


 ヘレナは深く息を吸い、震える声で続けた。

 レストレードが切り込む。


「病院で、ジュリアが呟いていた『まだらの紐』とは、なんだ?」


 ヘレナの指先がさらに強く絡む。


「『まだらの紐』は……父の研究です」


「核観測の研究……には、載ってないわ」


 シャーロットは、財団が公表した論文を思い出していた。

 ロイロット博士の名は、そこでは“核観測の安定化”の専門家として記されていた。


「はい。核観測は“表向き”です」


 ヘレナは唇を震わせながら言った。


「本当に研究していたのは、《生体観測魔法導線》――通称、まだらの紐。人の“存在情報”を観測し、再構築する研究です」


 シャーロットは一度だけ瞬きをした。


「存在情報……?」


 レストレードが眉をひそめる。


 ヘレナは頷く。


「はい。人も魔法も観測核でできています。核には“情報”が詰まっています。その情報は、言葉よりも、血よりも、もっと根源的です。父は、その情報から新たな存在を作れないか……研究を続けていました」


 シャーロットは、その意味を理解した。

 観測核は、単一の情報である。

 では、その情報を、どのようにして集合させるのか。


 紐――

 らせん構造を持つ、繊維の集合体。


 無数の情報が撚り合わされ、

 張力によって、ひとつの存在として保たれている。


「……人を作る、ということ?」


 レストレードが言葉を噛み、ようやく問いにした。


「はい」


 ヘレナは小さく顔を歪める。


「十年前、オーストラリアの事故で家族を亡くした父は……その喪失を埋めるように、研究へ傾いていきました」


「それが――まだらの紐」


 ステラが確認するように言う。


「はい。ここ、ストーク・モーラン研究所で進められていました」


 ヘレナは視線を下げたまま続ける。


「父は、研究所とは別に、危険な工程は屋敷で行っていました。研究所の記録には残せないから」


「……危険な工程?」


 ステラが問いかける。


「“存在を繋ぎ直す”工程です」


 ヘレナは自分の指を見つめた。


「核観測の情報を引き出して、魔力導線に流して、別の器に定着させる。失敗すれば、情報が散って――戻らない」


 つまり、“存在の設計図”をつくっていた。

 シャーロットの胸の奥で、冷たい感覚が広がった。

 それは恐怖というより、倫理に触れたときの痛みだ。


「しかし――」


 ヘレナは言葉を区切り、かすかに首を振った。


「父は言っていました。『99・9パーセント同じ情報でも、0・1パーセント違えば、それはもう別人だ』と」


 沈黙が落ちた。

 その言葉は、科学者の冷徹さであり、同時に喪失者の叫びでもあった。

 シャーロットは静かに目を閉じる。


 同一性。

 人は、どこまで同じなら「同じ」と言えるのか。

 そして――「同じ」を望むこと自体が、どれほど残酷か。


「……もしかして、ロイロット博士は?」


 ステラが、震えを隠そうとする声で促す。

 ヘレナは頷いた。


「はい。姉――ジュリアは、私の“存在情報”から作られたのです」


「そんな……神の領域に――」


 レストレードが思わず言葉を漏らす。


 その瞬間、ヘレナの瞳が微かに揺れた。

 怒りではない。

 理解されない痛みだ。


「『神は、人に魔法を与えた。そして、魔法は、人を作ることができる』と、父は言っていました」


 淡々とした言葉。

 しかし、その奥には深い傷がある。


「しかし、父は気づいたのです」


 ヘレナは、声を絞る。


「姉の存在確定が、徐々に崩れていることに」


 シャーロットの脳裏に、病院の廊下の冷たい光が重なる。

 治癒魔力導管がどれほど優れていても、

 “存在そのもの”が崩れていけば、治せない。


「だから……自ら手を下した」


 ステラが、ほとんど祈るように言う。


「はい」と言い切った声が、最後の音だけ僅かに掠れた。

 ヘレナはうつむき、涙を堪えるように震えた。


「父は、何度も修正していました。魔力導線を繋ぎ直して、観測を重ねて、姉を“姉でいさせる”ために。でも、ある日……父は言いました。『もう、繋ぎ留められない』と」


 レストレードが拳を握りしめる。

 怒りの矛先が定まらない。

 狂気か、悲劇か、犯罪か、救済か。

 その境界が曖昧すぎる。


 シャーロットは黙って、ただヘレナの言葉を受け止めた。

 観測者は、事象を確定する。

 確定は、救いにもなるが――裁きにもなる。

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