モフモフ事件
ワトソンは感じていた。
――いや、最初は「感じている気がする」程度だった。
だが、違和感は日が経つにつれて輪郭を持ち始めた。
最近、シャーロットの様子がおかしい。
いつもならこの時間は、花壇の手入れか、屋上の蜂蜜の確認をしているはずだ。
シャーロットにとって花壇は、小さな研究室のようなものだ。
花の生育具合を観測し、魔力の流れを確かめ、葉の傾きや温度の差を記録しながら、ひっそりと楽しむ時間。
蜂蜜の確認も同じ。
屋上の巣箱は、シャーロットが一年かけて蜜蜂の生態を観察して作り上げたものだ。
そこを放置するなど、考えられなかった。
それなのに、最近は決まった時間に寮の外に出かけている。
しかも一人で、
最初は、依頼と考えた。
シャーロットには、監視局や魔法省から突発的な依頼が来ることがある。
だが、もしそうならシャーロットが自分に何も言わないとは考えにくい。
ああ見えて、シャーロットは嘘が苦手だ。
なにかあれば言ってくれる。
もしかして、思い人でもできたのかと思った。
ワトソンが医務室で男子生徒への面談をしていると、そのたびに
「シャーロット嬢はお美しいですね」と褒められることがある。
最近は、なぜか女子生徒の相談からも増えてきている。
「シャーロット様とヴァイオレット様が二人でお話しする姿が……」
とか
「シャーロット様が花壇を見つめている姿が……」
とかがある。
そのたびに、ワトソンは、男子には、シャーロットは美しいというより可愛いの方がいいわと言い。女子には、花壇は趣味の研究しているだけよとか、ヴァイオレットは、シャーロットの数少ない友達よ、と素敵なアドバイスをしている。
しかし、違う。
服装も、見た目もまったく変わらない。
恋をすれば多少なりとも雰囲気が変わる。
シャーロットの場合、ぼんやりしたりという変化が見えるはずだ。
たぶん。
むしろ、いつもよりも服装はひどい。汚れてもいい格好をしている。
もしかして、ついに学園の外にまで、観測花を増やしている。
学園内ならまだ、許される範囲がある。
しかし、学外だと、最悪、捕まる。
いくら監視局との関係があるとはいえ、それはまずい。
レストレードの困った顔が目に浮かぶ
「止めなければ」
まだ間に合う、はず。
シャーロットは、自分の研究のためなら、周りを気にしない。
最近も、研究室の爆破未遂事件をまた起こした。
本人は証拠隠滅を図ったのだが。
今回はハドソンにばれ、めちゃくちゃ怒られ、しばらく、研究棟と実験棟の出入り禁止を渡された。
さすがに、少しへこんでいた。
今回はそのより酷いことになる。
逮捕される。
留置所で会いたくない。
今、シャーロットは通りを歩いている。
その歩き方は軽い。
どこか浮き立っている。
ワトソンはそっと後をつけた。
突然、シャーロットの雰囲気が変わった。
歩幅が広がり、少し早まる。
肩の力が抜け、銀色のショートボブの揺れも柔らかくなる。
「……ここは」
トラファルガー広場。
天まで届く記念塔と二つの噴水がある。
ロンドン市民の憩いの場である。
ここには、花壇がない?
もしかして、噴水を改良しているとか、
噴水は、魔導都市ロンドン中を張り巡らしている魔力導管の要である。
そんなことをすれば、もう逮捕だけでは済まない。
そこでワトソンが見たものは、ふわふわの毛を揺らし、大きな尻尾を振る一匹の犬だった。
その横には、監視局補佐官のステラ・ホプキンス。
ワトソンの視界が、一瞬だけ白く跳ねた。
「――え?」
シャーロットには、最近、ちょっとした楽しみが増えた。
それは、学園――そしてワトソンと一緒では――味わえない種類の楽しみだった。
「ステラ、こんにちは」
「ああ、シャーロットさん。こんにちは」
ステラは一瞬、周囲を見回した。
ステラが振り返る前に、シャーロットは動いていた。
いつもは落ち着いているはずのシャーロットが、小走りに近い速度で駆け寄り、足元の犬をそっと抱き上げた。
「よしよし……」
普段ほとんど笑わない少女の頬が、わずかにやわらかくなる。
シャーロットの腕の中で、犬は安心したように息を吐き、鼻先をシャーロットの胸元にすり寄せる。
モフモフ、シャーロットが勝手な名前で呼んでいる犬。
名前の由来は毛並みそのものだ。
抱き込むと、ふんわりとした温かさが腕に広がり、指を動かすたびに毛がゆるやかに波打つ。
ステラの性格なのか、モフモフ自身の性格なのか。
この犬は、外の喧騒や人込みの喋り声にも動じず、ただほのぼのと尻尾をゆらし、落ち着いた眼差しで周囲を見ていた。
「ステラ、モフモフは何が好きなの?」
「だから、“モフモフ”じゃないですって……」
ステラは苦笑しながら頭を押さえた。
「名前は、―――――です」
「覚えられないわね」
「はい……私も覚えにくいです……」
二人とも犬の耳を撫でながら話し続ける。
ステラはこの犬をとても大切にしていた。
ブラシの当て方は丁寧で、散歩の時間もきっちり決まっている。
モフモフはそのたびに嬉しそうに走るがシャーロットといるときだけ特別に落ち着いて見えた。
「モフモフしているのいいわね」
シャーロットがぽつりと呟くと、ステラは目を丸くした。
「犬の癒やし効果……ですか?」
ステラと別れた帰り道。
シャーロットはいつもよりも遅い歩幅で寮塔へ戻っていた。
胸の奥がほんのりと温かく、今日のモフモフの体温がまだ腕に残っている。
「謎が解けたわ」
低い声が背後から降ってきた。
「ワ、ワトソン……」
振り返ると、ワトソンが腕を組んで立っていた。
その顔が、いつもよりわずかに険しい。
怒っている――ような気配。
いや、さっきステラといた時から、視線のようなものを感じていた。
あれは、勘違いではなかったらしい。
そして、一言。
「犬の匂いがするわ」
「……そう、ね」
「それはね、別にいいけど、言ってくれたらよかったのに」
シャーロットは、少しうつむいた。
「……ごめんね、ワトソン」
ワトソンの怒りが半分ほど溶ける。
「これからは、一緒に行くわよ」
「ええ」
シャーロットが微笑む。
歩きながら、ワトソンはふと空を見上げた。
夕焼けが色を変えていき、影が少しずつ長くなる。
そして、ワトソンは心で呟く。
――ステラに、ちょっとだけ仕返ししてやるわ。




