第六章 唇のねじれた男(二)
しばらくして、シャーロットの部屋の外に足音が響いた。
寮長ハドソンの許可を得て、レストレードが姿を見せる。
黒い外套を脱ぎながら、彼は軽く片手を上げた。
「元気そうだな、シャーロット」
「ええ、おかげさまで」
「急ぎの用件だと聞いてな」
レストレードは分厚い書類束を机の上に置いた。
紙が重なる鈍い音。
それだけで、情報量が伝わってくる。
「これが、ネヴィル・セントクレアの記録だ。魔法省での所属、異動履歴、最近の行動――公式に追える範囲だがな」
シャーロットは即座に頁をめくり始めた。
視線は速く、だが正確だ。
そして、一枚の記録で手が止まる。
「……これは?」
「ああ、それか」
レストレードは顎に手を当て、声を落とした。
「ある“集まり”――いや、正式なものじゃない。若い連中の勉強会だ。魔法省や学園出身者が中心でな」
「勉強会?」
「名目上はな」
彼は少しだけ眉をひそめた。
「議題は毎回違うが、共通しているのは一つ。“魔法に依存しない世界”だ」
シャーロットの指が止まる。
「……名簿に、アドラー准教授の名前があるわね」
アドラーは、監視局の追跡から逃走している。
彼女の痕跡がまるで残っていない。
単純に海外に逃げているか、もしかしたら、有力貴族が手を貸しているかもしれないとレストレードは、捜査の進展の遅さを嘆いていた。
「参加していたらしい。ネヴィル・セントクレアも、そこに顔を出していた」
机上で、二つの点が引かれた線によって結ばれる。
アイリーン・アドラー。
ネヴィル・セントクレア。
「二人は、知り合い……少なくとも顔見知り、というところかしら」
「そこまでは、断定できない」
シャーロットは名簿を閉じ、次の頁に視線を移した。
「勉強会の資料は……残っていないのね」
「ああ。資料は一切ない。かなり秘匿された形で行われていたようだ。
もっとも――」
「もっとも?」
「議事録も、提出物もない。“内容が存在しない”会合だった可能性もある」
「そうね」
シャーロットは静かに頷く。
「議題そのものは、興味深いけれど……学園では公にできない」
「ああ。魔法省でも無理だな」
一瞬、沈黙が落ちる。
「……その勉強会は、もう少し調べる必要があるわね」
「ああ。だが――」
レストレードは言葉を切り、低く続けた。
「《ミラージュ・ペン》の事件の後、その勉強会は消えた」
「消えた、というのは?」
「開催されていない。少なくとも、表の記録には一切残っていない」
「……完全に中止?」
「いや。むしろ、より秘密裏に移行した可能性が高い」
「厄介ね」
「今、調査中だ」
シャーロットは短く息を吐く。
「……監視局が、表立って動かない理由は?」
「それは――」
レストレードは、机の上の名簿から目を離さずに言った。
「この件は、“事件”として定義されていない。違法性が証明できない以上、監視局は動けない」
シャーロットの指先が、無意識に線をなぞる。
「そう」
そのとき、ワトソンが机の端からひょいと顔を出した。
「にゃー、……シャル、ひとつ言ってもいい?」
「なに?」
「“魔法に依存しない世界”なんて、この街に一か所だけにゃ」
シャーロットは、ゆっくりと視線を上げた。
「……静寂区」
「そうにゃ。魔力導管が途切れて、観測網が成立しない場所にゃ」
ロンドンの地図が脳裏に浮かぶ。
街を縫うように張り巡らされた魔力導管。
だが、その西端に――ぽっかりと、白地がある。
「公式には“問題が起きていないことになっている”場所だ」
レストレードが低く言った。
「監視も、介入も難しい。正直に言えば……監視局でも、積極的には踏み込みたくない」
「魔法が使えない、だけじゃない」
シャーロットは続けた。
「観測されない。存在が、記録に残らない」
ワトソンの尻尾が、わずかに強く揺れた。
「にゃ……あそこは、嫌な静かさがあるにゃ」
沈黙が落ちる。
「“魔法に依存しない世界”なんて言葉が出てくる以上」
レストレードは腕を組み、言った。
「ここを調べない理由はないな。……行くのか、シャーロット?」
一瞬だけ、シャーロットは考えた。
「ええ」
答えは短かった。
彼女は立ち上がり、机に広げられた地図を見た。




