第六章 唇のねじれた男(一)
「外部からの来訪者です、シャーロット」
今日の講義が終わり、寮塔に戻る途中で、シャーロットは、ハドソンに声をかけられる。
「“チャールズ・マカースィ氏の紹介で”とおっしゃっているわ。応接室にお通ししています」
シャーロットの視線が少し下がる。
「マカースィ……」
その名とともに、緑深い谷と湿った風の感触が、脳裏をかすめる。
ボスコムの谷。
魔法汚染とスパイスの香りを思い出す。
「学園外の件よ」
ハドソンはそれだけを付け加えた。
それで十分だった。
「わかりました。お伺いします」
応接室に入ると、女性が座っていた。
彼女は静かに立ち上がると、一礼した。
年の頃は三十前後。姿勢は正しく、身なりも整っているが、その指先だけがわずかに震えている。
「エレナ・セントクレアと申します」
声は落ち着いていたが、張りつめていた。
「夫――ネヴィル・セントクレアが、三日前から戻りません。魔法省に勤めておりますが、監視局には……」
言葉が一瞬、途切れる。
「『三日程度では捜査はできない』と、取り合ってもらえませんでした」
シャーロットは黙って頷き、彼女を椅子へと促した。
エレナは一瞬だけ逡巡し、それから腰を下ろす。魔法省の妻としての矜持と、個人としての不安が、その所作の中でせめぎ合っていた。
「マカースィ氏が、わたしを紹介なさったのですね?」
「ええ。あなたなら、きっと助けてくださると……」
エレナは封筒を差し出した。
上質な紙だが、魔力の痕跡はない。だが、封は何度も確かめられた形跡がある。
シャーロットが開くと、中には夫の筆跡で、たった一文だけが記されていた。
――“世界を見てくる 22 ”
インクの線は几帳面だが、最後の数字が、歪んで判別しにくい。
沈黙が落ちた。
紅茶の湯気はすでに細くなり、香りも薄れている。
シャーロットはカップをそっと受け皿に戻し、視線をエレナへ向けた。
「……世界を見てくる?、お仕事の内容など聞いていますか?」
シャーロットの質問に、エレナは首を横に振る。
「そうですか」
最後の数字はなにかしら?
魔法省がらみの暗号、本のページ、……、
シャーロットは、頭の中で検索をかけ始める。
「ご主人に、最近なにか変わったご様子はありませんでしたか?」
「はい」
エレナは即座に答えたが、その後、少し考えるように視線を伏せる。
「三か月ほど前からでしょうか。帰りが遅くなり、休みもほとんど取らなくなって……仕事のことは詳しく話しませんでしたが、どこか落ち着かない様子でした」
三か月前。
ミラージュ・ペン事件の直後。
偶然?
魔法省の所属先は?
「わかりました」
シャーロットは静かに言った。
「こちらでも調べてみます」
「……ありがとうございます」
エレナは深く頭を下げた。
彼女が去ったあと、応接室には再び静けさが戻る。
シャーロットは机上の封筒に目を落とした。
紅茶は、すっかり冷めていた。
シャーロットは机の前に立ち、封筒をそっと中央へ置いた。
深く息をつく。
感情が残っているうちは、推理は歪む。
「まずは……ネヴィル・セントクレアの足取りを調べる」
言葉にした瞬間、頭の中で切り替えが起こる。
いつの間にか居たワトソンが棚の上から机へと軽やかに跳び乗り、尻尾をゆらゆらと揺らした。
「シャル、レストレードに連絡するにゃ?」
「ええ。セントクレア氏の公的な記録、行動履歴、交友関係……それは監視局のほうが早い」
「私は、この数字を調べるわ」
机の上には、封筒が置かれている。
ネヴィル・セントクレアの一文を残したまま。




