第五章 五つのオレンジの種(三)
ジョンとステラは、シャーロットの隣の控え室に入っていった。
朝食の暖かさはすでに消え、廊下には魔力灯の冷たい光だけが残っている。
控え室は窓が小さく、外気と魔力の両方を遮断する結界が張られていた。
「ここで……待機、ですね」
ジョンは椅子に腰を降ろし、深く息を整えた。
「はい。シャーロットさんは、隣にいますので、ここから動かないでください」
ステラは淡々と説明するが、声にはわずかな硬さが残っている。
彼女は指先を立て、青い線の魔法を展開した。
細い線が空気に溶け、部屋の周囲の魔力の流れを静かに読み取っていく。
緊張しているときほど、彼女の集中は研ぎ澄まされる。
「……魔力は静かです。歪みも、侵入もありません」
「よかった……」
ジョンは安堵の息をついた。
だが――その瞬間だった。
シャーロットは、朝食の会話を思い出す。
それを見て、ワトソンが首をひねる。
「どうしたにゃ?」
柑橘系……
オレンジ……
思考の断片が、静かに繋がり始める。
(まさか……媒介は“魔法”じゃない……)
(これは……アレルギー。“オレンジの種”そのものが、発作の引き金……!)
封筒。
開封。
接触。
「封筒が届いた時点で……触れた瞬間に……」
シャーロットは勢いよく立ち上がった。
椅子が倒れそうになるほどの速さで部屋を飛び出し、控え室の扉へ駆ける。
――開けた瞬間、胸の奥が冷えた。
ステラが展開した青い線は、緊張に共鳴するように震えていた。
青い線が、ジョンを中心に張り巡らされる。
「だ、大丈夫です……! 私が……必ず守りますから……!」
声とは裏腹に、指先はわずかに震えている。
ジョンの父と叔父の最期。
同じ結末を、ここで繰り返させるわけにはいかない。
青い線が揺れるたび、部屋の空気は、きりきりと締め付けられていく。
そして――。
空気が、急激に冷えた。
ジョンの胸元へ向かって、黒い砂のような魔力が、じわりと収束していく。
「……っ、来る……!!」
ステラは叫び、渾身の力で防御を展開した。
「盾―」
青い線が走り、防御魔法が壁のように立ち上がる。
だが――それは“外”から来るものを防ぐ魔法式だった。
ジョンは胸を押さえ、荒い呼吸の合間に、かすれた声で呟く。
「……とうさん……」
「ダメです!ジョンさん、しっかり――!!」
ステラは身体ごと彼を抱き寄せ、結界をさらに密着させた。
「守る……! 絶対に守ります……!!」
しかし――
すう……
黒い魔力は、結界を“すり抜けた”のではなかった。
最初から、内側に生じていた。
「……え?」
次の瞬間、ジョンの身体から力が抜け、ステラの腕の中で静かに崩れ落ちた。
「ジョン……? ジョンさん……!!」
返事はない。
鼓動は――もう、どこにもなかった。
バンッ!!
扉が開き、シャーロットがなだれ込む。
瞬時に、《円》を発動した。
青白い光が部屋を満たし、残された魔法の痕跡を確認していく。
「ステラ!! ジョンは――」
床に膝をつき、ジョンを抱きしめたまま震えるステラ。
「シ、シャーロットさん…… 私……守れなかった……っ……!」
ワトソンが低く呟く。
「……もう、息がないにゃ」
シャーロットはジョンに歩み寄り、そっと目元に手を添えた。
「……ごめんなさい、ジョン」
そして、ステラを見る。
「あなたのせいじゃない。封筒が届いた時点で、もう」
ステラは震える声で問う。
「……殺したのは……A.M.A……ですか……?」
その瞬間――
シャーロットは、確かに感じた。
誰かが、まだこの部屋を見ている。
(……終わっていない)
彼女の瞳が、鋭く細められた。
シャーロットは静かに立ち上がり、深く息を吸った。
「……ワトソン、下がって」
まだ消えきらない黒い残滓。
彼女は片手をゆっくりと掲げ、この場で使える限界まで、最大限の《円》を展開した。
淡い光の輪が一気に広がり、部屋のすべての確認しながら――
同時に、“観測”した。
(……やっぱり)
円の縁に、微かな“視線の痕跡”が引っかかった。
どこか遠くから、この部屋をのぞき込んでいた“誰か”の、魔力の端だけがそこに残っている。
「シャル……?」
「誰かが、ここを覗いていたわ。まだ、すぐ近くにいる」
シャーロットは素早く決断した。
「ワトソン。尾行して」
「にゃ。痕跡を辿れば、観測者のところまで行けるにゃ」
「危険なら深追いしなくていい。足跡だけつけて、位置を教えて」
「了解にゃ」
ワトソンは、感知した“視線の魔力”を追って、音もなく部屋を飛び出した。
シャーロットは、部屋にある魔導通信機でレストレードへ連絡を入れる。
「犯人が動いたわ」




