第一章 学園の醜聞 (一)
「シャル!」
返事を待たず、ワトソンが扉を開けて部屋へ飛び込んできた。
魔法都市ロンドン。
その中心部の北西に位置する場所に、魔導学園はある。
魔法省管轄の魔導学園には、二つの寮塔が並び立つ。一つは、貴族の子息とその従者が暮らす貴族塔。もう一つは、特待生や奨学生が暮らす学生塔。そして、その学生塔の最上階には特別な部屋があった。
通称「ベイカー室」。
数年前まで、誰ひとり足を踏み入れることのできなかった閉鎖区画。生徒たちは面白半分に、あるいは本気で恐れて、そこを「禁断の部屋」と呼んでいた。
今、その部屋に住んでいるのは二人。
シャーロットと、ワトソンだ。
学生用の居室とは思えないほど広く、設備も整っている。貴族塔の上級区画に並ぶと言っても、大げさではない。もっとも、その部屋の主である少女は、ほとんど関心を払っていなかった。ただ研究できるだけの広さがあることは、シャーロットにとって喜ばしいことだった。
シャーロット。魔導学園の二年生。
膨大な観測記録と試験成績のせいで、教師たちには「期待の問題児」と呼ばれ、同級生たちには感情を見せないことで「塔の幽霊」と囁かれている少女だ。
本人は、ただ面倒を避けているだけなのだが、いつの間にかそう呼ばれるようになっていた。
人に説明して否定するほどの情熱もないので、放置している。
周囲が話しかけてこないぶん、ほかに意識を集中できる。
――それは、彼女にとって悪くないことだった。
シャーロットは今、先ほど魔導学園の花壇から採取してきた観測花を仕分けしていた。
そして視線だけ一瞬、ワトソンの方を見た。
「お帰り、ワトソン」
朝早くから、ワトソンは報告書の確認で魔法省に出かけていた。
「シャル? 部屋に帰ったら、着替えなさい」
シャーロットは、花壇いじりのときはいつもの作業着を着ていた。
授業がまだ始まらないので、そのままの格好でいたのだ。
「これ、レストレードから手紙が来てたわよ」
ワトソンは封筒を渡す。
魔法省監視局監査官レストレード。
シャーロットの旧知で、時に迷惑を、いや、手助けをしてくれる人物。
レストレードには、シャーロットへの借りがある。
そして、シャーロットにもある。
持ちつ持たれつの関係にある。
彼から手紙が直接来ることは、少なくない。
「緊急?」
シャーロットの眉が少し動く。
封を開け、中を確認する。
「ボヘミア卿からの依頼。
――『記録の返還』?」
『依頼内容:記録魔法具ミラージュ・ペンの所在調査。
対象はボヘミア卿邸より持ち出された可能性あり。
学内関係者の関与が疑われるため、学園内部での調査を依頼する。
――魔法省監視局監査官 レストレード』
貴族。
シャーロットの中では、いい思い出がない。
学生の身分ではあるが、シャーロットには監視局からの観測依頼がある。
そのほとんどがレストレードからのものだ。
シャーロットの固有魔法である円観測は、調査解析度が非常に高い。
そのため、監視局から直接依頼が来る。
表向きは学生の研修という名目になっているが、シャーロットの性格から、自分から進んで事件に首を突っ込むことも多い。
その中でも、貴族がらみの案件は通常の事件よりも何倍も面倒なことが多い。
それは、貴族の特権による捜査妨害、脅迫、圧力、見栄など、さまざまなものが起因している。
だから、シャーロットは貴族の依頼はほぼ受けない。
しかし、今回の依頼は特殊だった。貴族が監視局に直接依頼している点だ。さらに気になったのは、記録魔法具ミラージュ・ペンである。これは、魔具保管局が保管している重要法具。簡単に外部へ出てくる品物ではない。
「貴族か」
ワトソンが耳をぴくりと動かす。
「つまり、ボヘミア卿のもとに、なぜかあったものが、学園の誰かに盗まれたってこと?」
「おそらくね。でも、『盗まれた』とは書いてない。――『所在調査』」
シャーロットは紙面から視線を離し、封筒を持ち上げた。
「たぶん、局内で何か隠している」
シャーロットの声が低く落ちる。
盗難と書けない事情。
貴族の体面。
学園を巻き込みたい思惑。
――そういったものが、文言のわずかな差ににじむ。
《ミラージュ・ペン》。
――記録を歪める魔法具。
ワトソンが息を飲む気配を感じながら、シャーロットは静かに目を細めた。
「“歪める”、か」
《ミラージュ・ペン》――学園図書塔の奥にある禁書目録で見たことがある。
人の記憶である「観測結果」そのものを上書きし、改ざんし、別の現実をなぞらせる。
過去の一件では、それを用いた貴族同士の争いがあったと聞く。
「そんなものを、よく貴族の邸に置いていたわね……」
ボヘミア卿。
魔法省とつながりが強い貴族だ。
この魔導学園の理事の一人でもあり、学園にかなりの出資をしており、さらに奨学生の資金援助も行っている。
しかし、いろいろな噂も聞く。
魔法省の管轄とは別に、独自の魔法研究所の運営に関わっているとか。
さらに、軍との結びつきが強いとも言われている。
今はまだ、噂レベルの内容しか分からない。
もう少し、ボヘミア卿の情報が必要になる。
少なくとも、重要法具を勝手に持ち出せるほどの力がある。
「『記録を歪める魔法具』を、監視局は『所在調査』と言い、貴族は『返還』を要求している。
そして、学園の誰かが何らかの形でそれに触れた――」
彼女は指先で机を軽く叩いた。
一定のリズムで、三度。
「……あとの情報は、レストレードから直接聞くしかないわね」




