第十七章 株式仲買店員 (五)
ホールの研究は、魔法が使えない人々が魔法を二次的に利用できるようにするための基礎理論だ。
ロンドンは魔導都市とはいえ、魔法を使用できる人間はごく一部だ。
実際は、魔法を利用した魔力導管によって、二次的に魔法を利用したインフラが使えるようになっているだけだ。
汎用性の高い魔導具を利用することで、それよりも一歩踏み込んだ魔法を使用できるようにする。
すべての人が魔法の恩恵にあずかれるようにするのが、ホールの研究理論だった。
理論としては、まだ成り立ってはいない。
シャーロットの見立てでは、実用化にはまだまだ程遠い。
それでも、魔法の未来を考えていた。
「どうだ、気に入ったか?」
ホールは自分の研究について、シャーロットに相談したことはない。
どうでもいいことは聞いてくるが、研究だけは決して聞かなかった。
シャーロットに相談することは、試験の解答を聞くようなものだ。
「理論としては面白いです。ただ、中身は整っていません。このままでは実用化には程遠いです。よくこれで卒論が通ったのか、理解できません」
シャーロットの忖度のない答えに、ホールはかなり傷ついていた。
そこまで言わなくても、教授ですらもっとオブラートに包んでくれた。
優しさなど、研究や魔法にはいらないのだろう。
「ただ、魔法理論としては、少しだけ評価できます」
ホールは、その言葉だけで嬉しかった。
シャーロットに評価される。
たとえ小さな、もしかしたらパン屑くらいの評価かもしれないけど。
「さて、本題に行きましょうか」
ホールは何か言いかけそうになったが、口を閉じた。
研究室の奥に行くと、アーサー助手がいた。
アーサー助手は、シャーロットを見た瞬間、顔から表情が消えた。
「君は?」
「シャーロットです。アーサー助手。ハドソン寮長から見学書類もいただいています」
「そうか。ゆ、ゆっくり見てくれ」
「はい。アーサー助手の研究を見せてほしいです」
シャーロットは当然のように言う。
「俺のは、君に見せるような素晴らしい研究などないよ」
「研究にあるのは、何をしたか、何を考えているかだけです。素晴らしいかどうかは、また別の問題です」
「君は、本当に面白いね。教授が気に入るわけだ」
そう言いながらも、アーサーは研究論文を見せてくれた。
「ありがとうございます」
シャーロットは、嬉しそうに論文を受け取った。
受け取った瞬間、シャーロットは論文に集中していた。
周りの音をすべて遮断し始めた。
シャーロットの頭にあるのは、論文の中身と、それによって構築された世界。
構築した世界を起動する。
整った理論は、完結している。
どこを見ても完全に整っている。
少しでもずれると、世界はほころびを見せて崩壊していく。
今のところ問題はない。
なんだろう。
この世界は綺麗すぎる。
理論通りの世界。
でも、これはまるで魔法が存在しない世界と変わらないようだ。
魔法を科学に転換している。
魔法がいらない世界を作る。
「これは……」
「あまり面白くないだろう」
面白くない?
この理論が完成すれば、世界から魔法が消える。
なぜ、こんな研究をしているのだろう。
「科学が世界の中心になるのですか?」
「ああ、そう見えるよね。これは、魔法を違うものへと置換できないかという理論だよ。魔法には、まだ無限の可能性があるからね」
アーサーの言葉と論文は一致していない。
魔法がいらない世界を考えている。
魔導学園で、それをする意味があるのだろうか。
シャーロットは、この理論をさらに深く読み込みたい。
その欲を抑えるために、別の質問をした。
「まだ、ウェストブリッジ社と関わりがあるのですか?」
「あるよ。僕は元々、あそこの研究員だからね」
「ホール先輩を推薦したのですか?」
「そうだよ。せっかくの人材だからね。いい会社に入ってほしいから」
アーサーの答えに違和感はない。
もしシャーロットが同じ立場でも、そうするだろう。
だが――。
「では、ハリー・ピナーを知っていますか?」
アーサーの目つきが、一瞬変わる。
「もちろん知っているよ。私の兄だ」
ホールはその名を聞いても、不思議そうにしている。
その回答を聞いて、シャーロットはお礼を言って研究室を出た。
シャーロットは、中庭でいつもの花壇の整備をしていた。
「あ、やっと見つけた」
駆け足でヴァイオレットがやってきた。
シャーロットは、魔法で花の状態を確認していたため、視線だけをヴァイオレットに向けた。
少しの沈黙のあと。
「どうしたの?」
シャーロットは、花の観測を止めた。
「ホール先輩のこと、どうなったかなって」
ヴァイオレットは、シャーロットと別れたあとからずっと気になっていた。本当はシャーロットについて行きたかったが、自分の本分は勉強である。シャーロットのように、好きなことを中心に生きてはいけない。
「ああ、それね。えっと、なんだったかしら」
これは、もう興味がなくなっている。
シャーロットは、自分の中で納得すると、それで解決するのだ。
「ホール先輩には、わかったこと話したの?」
「話してないわね」
いや、話そうよ。
ホール先輩。
かわいそう。
ヴァイオレットの言葉を聞いて、シャーロットは立ち上がる。
「そうね。一応、説明しておかないとね」
研究棟に向かうと、ちょうどホールがこちらの方に歩いてきた。
「ホール先輩」
ヴァイオレットは、少し優しめに声をかける。
「あ、シャーロット。やっと見つけた。突然いなくなるから、探したよ」
また、この娘は突然いなくなったの。
それで、花壇の整備をしていたの。
自由だな。
ヴァイオレットは、なぜか遠い空を見たくなった。
ホール先輩、少し怒ってもいいと思いますよ。
本人は気にしないけど。
「いったい、どういうことなんだい?」
「えっと、ここだとなんだし」
ヴァイオレットがそう言うと、シャーロットは研究棟とは反対側に歩き出す。




