第十六章 黄色い顔 (七)
ワトソンは、魔法省前のカフェでセドリックを待っていた。
今回の依頼を、間接的にこちらへ回してきたのは彼だ。
シャーロットから、グラントについて詳しく聞いてほしいと言われている。
エフィーは魔導学園にいる。
少なくとも今は、隣家を監視する必要もない。シャーロットが研究室に入り浸っているようだし。
「待たせたな」
聞き慣れた声がした。
セドリックだった。
今日も、いつも通りラフな格好をしている。
知らない人間が見れば、昼間から仕事もせずに街をぶらついている男にしか見えないだろう。
ワトソンは、その姿を見て軽く首を傾げる。
これでも、外務調査局第二調査課主任調査官。
第二調査課は、外務調査局の中でも国内事案を担当する部署だ。
見た目と肩書きが、まったく合っていない。
セドリックが向かいの席へ座る。
「グラントは、あなたの部下なの?」
「いきなりだな」
セドリックは少し笑った。
「違う。あいつは北米――新世界担当だ。昔からの知り合いではあるがな」
「それなら、どうして今はロンドンにいるの?」
「機密扱いだ」
「そう」
ワトソンはそれ以上聞かなかった。
セドリックが少しだけ鼻から息を吐く。
「……まあ、ここまで関わっているなら仕方ないか」
「話していいの?」
「よくはない」
「じゃあ、聞かなかったことにするわ」
「助かる」
まったく助かった顔をせず、セドリックは話を続けた。
「この前の指輪型魔法爆弾事件、覚えているな?」
「もちろん」
原因が外務調査局。
解決したのがシャーロットだ。
「あの事件の犯人につながる関係者をアメリカで接触し部下に指示していたのがグラントだ」
ワトソンの表情が変わる。
「それでロンドンに?」
「表向きは事情聴取だ」
「責任を取らされたということ?」
「そこまでは言っていない」
否定もしない。
ワトソンは少し考えてから、もう一つ尋ねた。
「エフィーとの関係は?」
「夫婦だろ」
「そういう意味じゃないわ」
セドリックは答えなかった。
ちょうど店員が紅茶を運んできた。
カップがテーブルに置かれる。
セドリックは店員が離れていくのを待った。
それから、少し声を落とす。
「指輪型魔法爆弾事件で、アメリカで亡くなった関係者」
「ええ」
「その人物の助手をしていたのが――」
セドリックは紅茶に手を伸ばした。
「エフィーだ」
面倒な話だ。
そんな危うい過去を持つ相手と、それでも将来を共にしようと思えるのだから。
恋とは、怖いものだ。
そう考えた瞬間、ワトソンは胸の奥に小さな痛みを感じた。
一瞬だけ、昔の記憶が蘇る。
楽しく、哀しく、もう戻らないものだ。
「…………」
ワトソンは、目の前のカップに視線を落とした。
「これ、うまいな」
顔を上げる。
セドリックは、いつの間にかスイーツを頼んでいた。
ワトソンは少しだけ眉を寄せる。
「なぜ、外務調査局が動かないの?」
「個人の問題だ」
セドリックはスイーツを口に運びながら答えた。
「個人のことなんて気にしない組織が?」
「ああ」
「何を隠しているの?」
「わからん」
「……わからない?」
「俺のところまで情報が下りてきていない」
ワトソンはセドリックを見る。
冗談を言っているようには見えない。
「だから、私たちに押し付けたの?」
「ああ」
セドリックは悪びれる様子もなく、もう一口食べた。
「面白いだろ?」
テーブルの下で、ワトソンはセドリックの足を軽く蹴った。
「痛いな」
そう言いながらも、まるで気にしている様子はない。
それどころか、セドリックは残っていたスイーツをもう一口食べた。
「よく来てくれました」
エフィーが玄関先で、シャーロットたちを出迎えた。
今日のシャーロットは、珍しくきちんとした格好をしている。
昨日のことだった。
「エフィーの家に招待されたわ」
突然そんなことを言い出したシャーロットを、ワトソンはそのまま馴染みの服屋へ引っ張っていった。
ワトソンなら、その場に合わせた服を何着か持っている。
問題はシャーロットだった。
制服か作業着。
正確には他の服も持っているのだが、どこかへ出かけるたびに、なぜか汚して帰ってくる。
泥。
煤。
魔法薬らしき染み。
どこへ行けばこんな汚れ方をするのか。
ワトソンは、もう聞かないことにしていた。
最初は、当たり障りのない服を一着選ぶだけのつもりだった。
それがいけなかった。
馴染みの店員が一着目のドレスをシャーロットに合わせた瞬間、ワトソンと店員の心に火がついた。
「次はこちらにしましょう」
「そうね。シャル、腕を上げて」
「はい」
一着。
また一着。
シャーロットの服が次々と変わっていく。
当の本人は、されるがままだった。
嫌がっているわけでもない。
楽しんでいるようにも見えない。
ただ、いつもの無表情で立っている。
鏡に映った自分を見る。
お人形みたいだわ。
人形か。
そういえば――。
人間を模して作られたものがあった。
エフィーの人工観測機。
魔法を使用するための人工的な頭。
そして、目的に応じて入れ替えられる頭。
あの構造なら――。
「シャル、次これ着てみて」
思考はそこで中断された。
そして今。
「本日は、お招きいただきありがとうございます」
シャーロットは普段より少し高い、余所行きの声を出した。
明るい黄色に小さな花柄の入ったドレス。
裾を軽く持ち上げ、頭を下げる。
エフィーは少し目を丸くした。
「まあ、素敵」
「ありがとうございます」
隣でワトソンが、わずかに笑った。
その声出せるのね。
もちろん口にはしない。
ワトソンもエフィーへ挨拶し、持ってきた人気店の菓子を手渡した。
「よかったら、皆さんで」
「ありがとう。グラントも甘いものは好きだから、喜ぶわ」
その名前が出た直後だった。
家の奥から、一人の男が姿を見せた。
グラント。
「…………」
足が止まった。
シャーロットを見る。
次にワトソンを見る。
そしてエフィーを見る。
明らかに動揺していた。
「あなた?」
「あ、ああ」
グラントはすぐに表情を整えた。
「今日の客というのは……」
「ええ。研究室で仲良くなったの」
「……そうか」
シャーロットは何も言わず、その様子を見ていた。
グラントは、シャーロットたちだと知らなかったらしい。
もちろん、シャーロットも伝えていない。
エフィーは嬉しそうにしている。
グラントは明らかに落ち着かない。
これでは――。
どちらが隠し事をしているのか、分からない。
食事会は、つつがなく進んでいた。
エフィーはアメリカ出身だからなのか、料理の盛り付けもどこか大胆だった。
大きな皿に盛られたローストビーフ。
付け合わせの野菜もたっぷりと添えられている。
シャーロットは、こういう料理を嫌いではない。
食べ物の好き嫌いはほとんどないが、複雑で繊細な味よりも、甘い、辛い、濃い、と分かりやすい味を好む。
ワトソンは密かに、それを『お子様舌』と呼んでいた。
もちろん、本人には言っていない。
ワトソンは切り分けたローストビーフを口へ運びながら、それとなくグラントとエフィーの様子を見ていた。
エフィーはワインを少し飲み、ほんのりと頬を赤らめている。
「アメリカでは、もう少し実用性を優先するのよ」
「理論より?」
「そう。まず作る。それから問題を探す」
「非効率ね」
「そっちの方が楽しいわ」
エフィーが笑う。
「それは分かる」
シャーロットも珍しく楽しそうだった。
二人は、アメリカとロンドンにおける研究手法の違いについて話している。
研究の話になると止まらないらしい。
ワトソンには半分も分からなかった。
その間、グラントはほとんど会話に入らず、料理を取り分けていた。
「エフィー」
「なに?」
グラントが何も言わず、取り分けた料理をエフィーの皿へ置く。
「ありがとう」
エフィーも特に驚かない。
いつものことなのだろう。
少ししてエフィーがワインへ手を伸ばすと、グラントはその隣に水の入ったグラスを置いた。
エフィーはそれを見て、少し笑った。
「分かってるわよ」
「ならいい」
それだけだった。
ワトソンは二人を見ながら、もう一口ローストビーフを食べる。
仲が悪いようには見えない。
むしろ逆だ。
一緒に暮らしていなければ身につかないような、自然なやり取りだった。
だからこそ、分からない。
この妻が、三日に一度、夫に隠れて隣家へ通っている。
そして夫は、その妻を疑いながら、何事もないように隣に座っている。
ワトソンは二人を見比べた。
どちらが嘘をついているのだろう。
それとも――。
二人ともなのだろうか。




