第十六章 黄色い顔 (四)
魔法整備学の研究室。
シャーロットにしては珍しく、今回はハドソン寮長を通して正式に見学許可を取っていた。
普段なら勝手に入り、勝手に見て、満足すれば勝手に帰る。
研究棟では、いつの間にか『幽霊』と呼ばれていた。
「失礼します」
軽く扉をノックして中に入る。
ちょうど目の前に、一人の女性がいた。
エフィー・マンロー。
「あの……」
「本日、見学させていただくシャーロットです。よろしくお願いします」
いつもより少し声が高い。
話し方まで妙に丁寧だ。
ワトソンがそばにいたなら、きっと苦笑していただろう。
「はい、お待ちしていました。学生さんですよね?」
エフィーは、シャーロットのことを知らないらしい。
学園に勤め始めてまだ二か月。
当然といえば当然だ。
余計な先入観を持たれていない分、シャーロットにとっては都合がいい。
「今日はよろしくお願いします」
「はい」
エフィーに案内され、研究室の奥へ進む。
小さなテーブルと二脚の椅子。
そこへ座るよう勧められ、少し待っていると、エフィーが紅茶を二つ持って戻ってきた。
簡単な挨拶を終え、シャーロットは目の前の紅茶に口をつける。
それを確認したあとで、エフィーも自分のカップへ手を伸ばした。
「私たちの研究は、簡単に言えば、個人の魔法を誰でも使える形にするものなの」
エフィーは迷いなく答えた。
何度も同じ説明をしてきたのだろう。
無駄のない、よく整えられた答えだった。
「個人魔法は、術者の観測能力や魔力特性に大きく左右されます。同じ魔法でも、別の人間がそのまま使うことはほとんどできません」
「でも、私たちの研究では、それを再現しようとしているの」
「つまり、魔法使用者が観測して作り出した魔法そのものを、別の人間でも使用できるようにする?」
「そのとおりです」
どうやって?
シャーロットは、自分の魔法を思い浮かべた。
観測するという行為そのものが、術者個人の能力に左右される。
それは、エフィー自身も先ほど説明していた。
もし自分の魔法を、別の人間が同じように使用したらどうなる?
おそらく耐えられない。
自分と同じ量の情報を一度に処理しようとすれば、普通の人間では頭が持たない。
以前、自分以上とも思える知識と観測力を持つ科学者でさえ、最後にはその負荷に耐えきれなかった。
ならば、どうやって個人の魔法を万人が使用できるようにする?
「それには、あるものが必要になります」
シャーロットの疑問を読んだかのように、エフィーが言った。
そして席を立つ。
「こちらへ」
研究室の奥にある扉を開いた。
シャーロットも紅茶を置き、その後を追う。
隣の部屋へ入った瞬間、シャーロットの視線が止まった。
「これは?」
部屋の中央に置かれていたのは、大きな球体だった。
シャーロットは近づく。
球体。
いや、違う。
上部は丸みを帯び、下へ向かうにつれてわずかに細くなっている。
表面には無数の細い術式が走り、それらは内部へと伸びていた。
何かに似ている。
人の頭。
いや――。
「これが、誰もが魔法を使用できるようにするための基盤になるものです」
エフィーが説明する。
シャーロットは答えず、球体を見つめた。
観測。
魔法を使用するには、それが必要になる。
しかし、観測能力は人によって違う。
だから個人魔法をそのまま他人に使用させることはできない。
ならば。
人間に観測させなければいい。
観測するものを、別に用意する。
シャーロットは球体からエフィーへ視線を移した。
「人の脳を作ったのですか?」
エフィーの目が大きく開いた。
「……はい」
一瞬、言葉が止まる。
だが、すぐに表情が変わった。
「よく分かりましたね。これだけを見て気づいたのは、あなたが初めてです」
驚いている。
いや。
シャーロットには、それだけではないように見えた。
嬉しそうだった。
自分が長い時間をかけて作り上げたものを、ようやく理解してくれる人間が現れた。
そんな顔だった。
「人工的に観測を行わせる?」
シャーロットが尋ねる。
「そうです」
エフィーはすぐに答えた。
「人間が個人魔法を再現できないのなら、人間の代わりに観測するものを作ればいい」
エフィーは球体へ手を触れた。
「これは、人間の脳を模して作った人工観測機です」
シャーロットの目が、わずかに輝いた。
人工観測機。
観測を行うためには、当然、対象を『観る』必要がある。
以前研究されていた無観測魔法は、その工程を省略し、観測することなく魔法を発生させるという理論だった。
目の前にあるものは、その正反対だ。
観測をなくすのではない。
観測するものを作る。
だが、それならば疑問がある。
観測には負荷が発生する。
高度になればなるほど、必要となる情報処理量も増えていく。
それを人工的に再現するなら、莫大なエネルギーと処理能力が必要になるはずだ。
以前、三次元観測を実現した時でさえ、莫大な力を秘めたアグラの秘宝を必要とした。
しかし――。
シャーロットは、目の前の球体を改めて観察する。
大きすぎるわけではない。
外部から大量の魔力を供給している様子もない。
これだけで、人間の代わりに観測を行える?
「不思議に思っていますね」
エフィーが言った。
「これほど小さな装置なのに、大きな動力を使っていないから」
「ええ。人間と同等の観測を行うのなら、もっと大規模な設備が必要になるはずです」
エフィーの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
「その通りです。でも――」
エフィーは自分の頭を指さした。
「人間の脳は、そんなに大きな動力を使っていますか?」
シャーロットは黙った。
そして、自分自身を見る。
そうだ。
おかしい。
もし魔法の観測そのものに莫大なエネルギーが必要なのなら、自分が『円』を一度使用しただけで動けなくなっても不思議ではない。
だが、実際には違う。
何度も使用できる。
では、なぜ?
人間の脳に、まだ知られていない何らかの機能がある?
それとも――。
魔法そのものに、まだ知られていない性質がある?
面白い。
シャーロットの目が、人工観測機へ戻った。
これは、魔法の根源につながるかもしれない。
魔法はどこにでも存在する。
だとすれば、人間は魔法を生み出しているのではなく――。
「では、これはどうやって動いているのですか?」
「それは――」
エフィーは一度言葉を止めた。
「秘密です」
「そう」
シャーロットはあっさり答えた。
だが、その目は人工観測機から離れていなかった。




