第十六章 黄色い顔 (二)
「……というわけなのです」
寮長室の隣にある応接室。
グラントが話し終える間、シャーロットはハドソン寮長が用意してくれた紅茶を口に運んでいた。
甘い香りのする茶葉だ。
色も普段飲んでいるものとは違い、薄い橙色をしている。
口当たりも柔らかく、飲みやすい。
シャーロットは、自分のカップを置いてから、向かいに座る男のカップを見た。
紅茶の量が減っていない。
紅茶が嫌いなのだろうか。
いや、最初から口をつけていない。
香りすら確かめようとしないところを見ると、職業柄、出されたものを簡単には口にしないのかもしれない。
魔法省外務調査局。
ワトソンの知り合いに、その局員がいるらしい。
今回は、同僚の相談に乗ってほしいという話だった。
しかし、なぜ自分で相談に乗らないのだろう。
仕事ではなく、私生活の問題だからだろうか。
グラントの話だけを聞けば、最も単純な答えは妻の不貞だった。
妻が夫に隠れて隣家へ出入りしている。
それだけなら、珍しい話でもない。
だが――。
そんな話のために、外務調査局の人間がわざわざ自分の部下を紹介するだろうか。
シャーロットは、そこが気になった。
「妻は、この魔導学園で働いています」
グラントの言葉を受け、ハドソン寮長が妻の情報を確認する。
本来なら、学生でもないシャーロットに職員の個人情報を見せるべきではない。
だが、ハドソンは知っている。
ここで断ったところで、シャーロットは自分で調べる。
下手をすれば研究棟にまで入り込む。
ならば、自分の目の届くところで必要な情報だけ見せた方がまだましだった。
グラントの妻、エフィー・マンロー。
二か月前、魔導学園の研究棟にある研究室へ配属されている。
今のところ、勤務状況に問題はない。
研究分野は――魔法整備学。
魔法を用いて器具の整備や修復を行う、比較的新しい研究分野だった。
「魔法整備学……」
シャーロットの目が少し変わる。
前から気になっていた分野だ。
ただ、まだその研究室には足を運んだことがない。
これはちょうどいい。
いつの間にか、シャーロットの興味はグラントの相談よりも、エフィーの研究へ向き始めていた。
不倫は個人の問題だ。
研究は世界の問題。
シャーロットにとって、どちらを優先するかは明白だった。
「あの、聞いていますか?」
いつの間にか、グラントがシャーロットの顔を凝視していた。
先ほどよりも少しだけ、言葉が強い。
「はい。現時点で分かるのは、奥様が隣家で何かをしているということだけです。もちろん、見間違いという可能性もあります。詳しく調べない限り、それ以上は推論にしかなりません」
すらすらと答えるシャーロットを見ながら、後ろに控えていたワトソンは思う。
模範解答ね。
これはもう、別のことを考えている。
きっと、エフィーの研究の方に興味が移っているのだろう。
困ったものだ。
セドリックとは、たまにカフェで会って情報交換をする程度の仲だった。
今回の件も、外務調査局からの正式な依頼ではない。
そもそも事件でも任務でもない。ただの個人的な調査だ。
そのうえエフィーは魔導学園で働いている。外務調査局としては動きにくかったのだろう。
だから、比較的自由に動けるシャーロットに話を持ってきた。
おそらく、そんなところだとワトソンは考えている。
ただ、一つ問題がある。
シャーロットは探偵ではない。
自分が興味を持ったことを調べ、その先に問題があれば解決する。
だが、興味を失えば、それ以外のことは驚くほど気にしない。
まるで、夢中になっておもちゃで遊び、満足した途端にその場へ放り出してしまう子供のようなものだ。
それでも、シャーロットにしか解決できない事案が、この魔法都市ロンドンでは起こる。
だから困る。
結局、シャーロットは後日、隣家とエフィーの研究室を調べることをグラントと約束し、その日は解散となった。
「いいですか、シャーロット。研究室へ行くことは認めますが、問題は起こさないように」
ハドソン寮長が念を押す。
「はい、ハドソン寮長」
絶対わかってない。
ワトソンは小さくため息をついた。
そんなワトソンをよそに、シャーロットは応接室へ入ってきた時とは別人のように楽しそうな足取りで部屋を出ていく。
おそらく彼女の頭の中では、もうグラントの妻よりも魔法整備学のことでいっぱいなのだろう。
ワトソンも、その後を追った。




