勝負の後には、宴がある。
終わった。
私の長い一日が、ようやく終わった。
まさか、まさか、ロイヤルアスコット杯を目の前で、それもゴールのすぐ近くで見ることができるなんて、思いもしなかった。
最後のシルヴァー・ブレイズの走りは圧巻だった。
最後の直線。
他の馬を一気に抜き去って、先頭でゴールを駆け抜けたあの瞬間。
思い出しただけでも胸が熱くなる。
気づけば、感動のあまり涙が溢れていた。
隣にいたワトソンさんが、何も言わずにハンカチを差し出してくれる。
ありがとうございます。
この感動を誰かと分かち合いたい。
そう思ってシャーロットさんの方を見ると――。
双眼鏡で、まったく反対方向を見ていた。
……え?
もしかして、この人。
ずっとそちらを見ていたのですか?
えっと。
何をしているのですか?
あのレース、見ていなかったのですか?
し、信じられない。
あんなにも、このレースの醍醐味や歴史、それに出場する馬のことまで、事細かに伝えたのに。
私がどれだけ楽しみにしていたと思っているのですか。
いや、私が楽しみにしていたことは関係ないけれど。
でも、あれを見ないなんて。
あまりの衝撃に、私はその場で固まっていた。
すると、肩にそっと手が置かれた。
ワトソンさんだ。
私は金縛りが解けたように、ゆっくりとワトソンさんの方を向く。
ワトソンさんは何も言わず、ただ小さく頷いた。
その顔を見て、なんとなく意味が分かった。
ああ。
まあ。
シャーロットさんだし。
きっと、レースよりも気になる何かがあったのだろう。
そう思ってもう一度シャーロットさんを見る。
双眼鏡の先はゴールではない。
貴賓席の周辺だった。
王族の方々。
王宮親衛隊。
その周辺を行き交う人たち。
いったい何を見ているのだろう。
そう思っていたのだけれど――。
その後、シャーロットさんは、いつの間にかいなくなっていた。
……まあ、いつものことだ。
そう思って隣を見る。
ワトソンさんもいない。
…………。
え?
私、一人?
辺りを見回しても二人の姿はない。
どうしてこうなるのですか。
そんな私を置き去りにして、優勝セレモニーの準備が始まった。
係員たちが忙しそうに動き回り、観客席からも大きな歓声が上がっている。
仕方がない。
せっかくなのだから、セレモニーを見よう。
そう思って貴賓席の方を見た時だった。
王族の方々の前に、誰かが立っている。
見覚えのある銀色の髪。
……シャ。
シャーロットさん?
その隣には、王宮親衛隊のグレゴリーさんまでいる。
何をしているのだろう。
二人で王族の方々に何かを説明しているように見える。
まさか。
実は、シャーロットさんが本当の馬主だったとか。
いやいや。
そんなわけはない。
……でも。
シャーロットさんなら、あり得るような気もする。
いや、やっぱりない。
たぶん。
私が一人で混乱している間に、二人は王族の方々へ挨拶をすると、そのままどこかへ行ってしまった。
相変わらず、何をしているのか分からない。
そんな時だった。
ふと、こちらに視線を感じた。
ヴィクトリア王女殿下だ。
一瞬。
本当に一瞬だけど。
目が合ったような気がする。
いや。
気のせいだろう。
王女殿下が、こんなところにいる私を見つけれるわけがない。
そう思ったのに。
王女殿下は、こちらを見ながら軽く微笑んだ。
…………。
いやいやいや。
気のせい。
絶対に気のせいだ。
私は何も見なかったことにして、正面へ視線を戻した。
やがて、優勝セレモニーが始まった。
ロス伯爵とシルヴァー・ブレイズが姿を現すと、会場中から大きな歓声が上がる。
やっぱり格好いい。
さっきまでの妙な出来事など忘れて、私は夢中でその姿を見ていた。
しばらくして。
気づくと、ワトソンさんが隣に戻ってきていた。
何かを食べている。
「ワトソンさん、それは?」
「屋台で買ってきたの」
見ると、手には紙袋がある。
「ステラも食べる?」
「いただきます」
渡されたのは、まだ少し温かいドーナッツだった。
一口かじる。
甘い。
おいしい。
口の中で、ふわっと甘さが広がっていく。
さっきまで興奮しっぱなしだった頭に糖分が入り、少しずつ落ち着いていくような気がした。
「飲み物もどうぞ」
「はい」
差し出されたものを、反射的に受け取る。
冷たいレモネードだった。
一口飲む。
冷たい。
酸味と甘さが、喉を通って体の中へ染み込んでいく。
……生き返る。
私はドーナッツを食べながら、もう一度競馬場を見渡した。
レースは終わった。
事件も、たぶん終わった。
シルヴァー・ブレイズは無事に帰ってきて、そして優勝した。
本当に、長い一日だった。
でも。
悪くない一日だったと思う。




