第十五章 銀星号事件 (八)
「どういうことだ。あれは私の手柄なのに、なぜ称賛されない」
優勝が決まった後、ロス伯爵は王族たちに挨拶をしていた。当然、私への挨拶が一番大事なはずだ。それなのに、ロス伯爵の態度は淡々としていた。
不敬だ。
その後、レースの結果を確認していた時だった。王宮親衛隊から報告が入った。
今回のレースに、不正はなかった。
それだけの報告だった。だが、私にはわかった。あれは、私に向けた言葉だ。
報告をした男には見覚えがある。たしか、庭園で起きた事件の捜査をしていた男だ。結局、ろくな捜査も出来なかった。そんな男が、今さら何を言っている。
「どういうことだと思う?」
私は、傍らで書類を確認していた相談役の男に尋ねた。
「簡単なことです」
男は書類から目を離さずに答える。
「王宮親衛隊にも、ロス伯爵にも、今回のことは知られていたということです」
「知られていた?」
「はい。ですから、これ以上は何もしない方がよろしいかと」
男は当然のように言った。
知られている。それは、他の王族にもということか。
そんなはずはない。
情報の管理には十分注意した。情報屋も雇った。こちらに都合のいい情報を集めさせ、必要なものは新聞にも流した。
レースで優勝させる。その見返りとして、軍との関係を元に戻させる。
それを拒めば、今度は不正によって優勝したという情報を流す。
その手筈だったはずだ。
「情報は押さえていたはずだ」
「押さえていた?」
男が初めて顔を上げる。
「殿下は、情報を使っているつもりなのでしょう」
「何が言いたい」
「ですが、実際にやっていることは情報を流しているだけです」
「何だと?」
「情報は、流せば支配できるものではありません。誰に、いつ、何を信じさせるのか。それが情報を使うということです」
何を言っている?
情報を利用したのは私のはずだ。
新聞も、情報屋も、軍も。
すべて私が動かしている。
「第二王子殿下」
相談役の男は静かに言った。
「進言いたします。しばらくは、何もなさらないでください」
「なぜだ。これからだぞ」
「私の師も、同じことを申しております」
師。
その言葉に、私は眉をひそめた。
「教授が?」
「はい」
「私は、まだ何も失っていない」
「そうですか」
相談役の男は、手にしていた書類を閉じた。
「でしたら、これ以上、我々は関われません」
「なに?」
男は何も答えない。そのまま席を立とうとする。
「ま、待て」
思わず声が出た。
「それは困る」
男が足を止める。
「では、わかっていただけますか?」
しばらく黙った後、私は頷いた。
「ああ」
「しばらくは何もしない。それでよろしいですね?」
「ああ。だから教授にもそう伝えておいてくれ」
「承知しました」
男は、ゆっくりと部屋を出ていった。
その日の夜。
情報屋フィッツロイは、競馬場から少し離れた通りを歩いていた。
今回の結果には納得していない。予定では、もっと騒ぎになるはずだった。
シルヴァー・ブレイズに不正があった。調教師の死には何か裏がある。ロス伯爵が事件を隠している。王宮親衛隊も、それに協力している。
そう受け取られるような情報を、いくつもの新聞社へ流した。直接記事を書かせる必要はない。疑惑さえ作れば、後は勝手に広がっていく。
そのはずだった。
だが、何も起きなかった。不正の証拠は出なかった。捏造した情報も広がらなかった。調教師の謎の死を大きく扱わせようとしたが、それもうまくいかない。
何よりおかしいのは、自分が売った情報だった。
消えている。
まるで、最初から存在しなかったかのように。
「どういうことだ……」
フィッツロイは足を止めた。
新聞社に渡した。記者にも話した。金も受け取っている。
それなのに、誰も知らない。
いや――知らないことにされている。
誰かが消した?
誰が。
第二王子か。
違う。
自分で頼んでおきながら、そんなことをするはずがない。
では――。
その瞬間だった。
背後から腕を取られた。
「なっ――」
身体をひねる間もなく、地面へ押さえつけられる。
「動くな」
低い声だった。
見上げると、見覚えのある男が立っていた。
王宮親衛隊捜査局。
グレゴリー。
「これでいいんですか?」
もう一人の男が尋ねる。
セドリックだった。
「そうだな」
グレゴリーはフィッツロイを見下ろす。
「何から押さえますか?」
「まずは貴族邸への不法侵入だ。殺人事件についても聞きたいことがある」
「わかりました」
セドリックは笑顔を崩さないまま、フィッツロイの両手を後ろで縛った。
馬鹿な男だ。
王宮の揉め事に、自分から首を突っ込むとは。
グレゴリーが第一王子から受けた命令は、第二王子と今回のレースに関する不正の調査だった。
その途中で、ロス伯爵から連絡が入った。
馬がいなくなったと。
更に妙な情報が新聞社へ持ち込まれている。
王宮親衛隊の捜査局には、王宮に関係する情報が集まってくる。タブロイド紙や地下新聞まですべてを把握することは出来ないが、大手新聞社が王族に関する記事を出す場合、事前に確認が入る。
その中に、シルヴァー・ブレイズの不正疑惑があった。
面倒なことをしてくれる。
証拠もない王宮の不祥事を広げたところで、誰の利益にもならない。
しかも今回の件は、すでに王宮親衛隊が動いている。
そんなところへ偽の情報を持ち込めば、自分から捜査局に存在を知らせているようなものだ。
フィッツロイの役目は、ロス伯爵に圧力をかけることだったらしい。
シルヴァー・ブレイズを勝たせる。
その代わりに、軍と第二王子の関係を修復する。
拒否すれば、不正による勝利だったという疑惑を広げる。
おそらく、そんな筋書きだったのだろう。
だが、計画は最初から狂った。
シルヴァー・ブレイズが消えた。
調教師が死んだ。
捜査局が動いた。
そして何より――。
シャーロットが関わった。
第二王子は、あの少女への評価が低い。
だが、捜査局の人間は違う。
シャーロットが事件に関わったと知った時点で、グレゴリーは捜査の進め方を変えた。
何を見つけるかわからない。
何を暴くかもわからない。
だからこそ、こちらも先に動く必要がある。
もっと面倒なことになる前に。
レース直前に、捜査局には一件の匿名情報が届いていた。
フィッツロイという情報屋が、今回の事件について動いている。
それだけで十分だった。
情報元は、察しがついた。
手を引くという意味だ。
「乗ってください」
セドリックは相変わらず笑顔のまま、縛り上げたフィッツロイを馬車の荷台へ押し込んだ。
捜査局の仕事は、事件を解決することだけではない。
こうした後始末も、仕事のうちだ。
グレゴリーは小さく息を吐いた。




