第二章 赤髪協定 (四)
研究棟。
シャーロットは、静かにウィルソン教授の研究室を訪れた。
扉は開かれていた。
部屋の中央に、ひとりの男が立っている。
ジョン・クレイ。
ウィルソン教授の助手。
そして――この事件における、もう一人の観測者。
「……どうして、ここにいるとわかった」
声は穏やかだった。
取り繕いも、警戒もない。
「ウィルソン教授の実験は失敗する。あなたはそれを知っていたのですね」
「そうか。さすがだな」
クレイは、わずかに口元を緩めて言う
「ウィルソン教授は亡くなりました。学生たちは意識不明です。」
「やはり、操作できなかったのか」
クレイの声は静かで、奇妙なほど澄んでいた。
「私は、記録しただけだ。観測とは、存在を確かめる行為だろう?」
彼は、窓に映る紅を指先でなぞる。
「彼らは自ら、あの“色”を選んだ。私は、それを否定しなかっただけだ」
「その観測が、歪めた現実を用とした。そして」
シャーロットの瞳が細められる。
「あなたは止めなかった」
「止める理由が、あったかい?」
クレイは小さく微笑んだ。
「ウィルソン教授の理論を、最後まで証明する必要があった」
「……証明のために、学生たちを実験台につかった」
「違う」
即答だった。
「私は、観測者が世界をどこまで揺らせるのかを知りたかった。色は記号に過ぎない。だが――観測がそれを“真実”に変える」
彼の視線が、シャーロットを射抜く。
「君だって、同じだろう?」
シャーロットは答えない。
代わりに、静かに問いを重ねる。
「記録と記憶の境目を曖昧にし、観測を書き換えるために
――《ミラージュ・ペン》を使ったのですか?」
クレイは表情を変えず、淡々と答えた。
「《ミラージュ・ペン》は、観測を写す道具だ。写すだけ
――だが、観測が揺らげば、写された“記憶”も揺らぐ」
「つまり、あなたは――」
「私は、“彼らが選んだ色”を記録しただけだよ」
「赤を選んだのは、彼ら自身。
《ミラージュ・ペン》は、その選択を写したにすぎない」
クレイは一歩近づき、微笑む。
「……だが、《ミラージュ・ペン》は便利だ。観測を歪ませるのにね。歪み方次第では、世界はいくらでも“赤く染まる”」
「アドラーが持ち出さなければもっと、出来たのにな」
シャーロットは、思わず息を呑んだ。
《ミラージュ・ペン》を通した観測改変を、クレイは認めた。
「教授には、赤を背負う覚悟がなかった」
「紅魔装置の実験が成功すれば、新たな階級が存在する。そして、赤い色は全てを書き換えることができる。魔力導管の色さえも、そうすればきっと」
クレイの声が、わずかに低くなる。
「だから私が、彼の理論を最後まで証明した」
「私は、観測によって “赤をまとう存在”を創り出したんだ」
世界は、観測者の色でいくらでも揺らぐ。
「すべては――観測するものが、新たな世界を創ることができたのだ」
シャーロットは、静かに封筒を差し出した。
ウィルソン教授の署名。
「教授は、あなたの行動を知っていました」
その瞬間、クレイの瞼が、ほんのわずかに震えた。
「……そうか」
声に、初めて揺れが混じる。
「手紙を送っていたのか。まだ、理性が残っていたのだな」
沈黙が落ちた。
レストレードは影の中で息を潜め、窓辺ではワトソンがたっている。
やがて、レストレードが一歩、前に出た。
「ジョン・クレイ。魔法省監視局の名において、あなたを拘束する」
拘束具が彼の手首に嵌められる。
魔力遮断符が淡く光る。
クレイは、抵抗しなかった。
ただ一度、シャーロットを見て、静かに言った。
「観測するものである限り、君も、いずれ同じ問いに辿り着く」
彼は連行されていった。
夕焼け、紅の残光を、ゆっくりと室内を照らしていた。
紅魔装置は、新たな動力を生み出すための装置である。
色を選択することで魔法式の観測率を高めることができ、なかでも赤は、装置の出力と安定性を著しく向上させた。
だが、紅魔装置を制御し、かつ継続して安定した観測を行うためには、赤色を“固定”する必要があった。
その手段として選ばれたのが、赤髪の生徒たちである。
赤という属性を持つ存在を観測点に組み込み、観測率そのものを引き上げる。
さらに紅魔装置を介して、ウィルソン教授自身に赤色因子を混入させることで、装置と人間の双方を赤に染め上げた。
それは、構造全体をより強固なものにするための処置だった。
本来、実験は複数の色因子を対象とした観測だったはずだ。
だが、いつしか条件は切り捨てられ、残ったのは赤だけになった。
――深紅の赤だけに。
――後日。
魔法省監視局の公式報告は、ただ一文。
「観測異常による魔力暴走、実験停止を確認」
あまりにも簡潔な記述。
原因も、責任も、色も、名前も、削ぎ落とされている。
この都市では、真理よりも、 ”整合の取れる記述”が優先される。
それが――
魔法都市ロンドンの流儀だった。




