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さよなら

与えられた食事。食欲はない。


“君に任せるよ。このまま自分の“宝物”を守るか、蒸都を守るか”

あの人の言葉がしばらく耳から離れなかった。

これからあの部屋で、ただ生きるだけの生活をする為の心の支え。“宝物”という名の記憶。

それを持っていれば、数値のブレが出て、安定した供給に支障が出る。蒸都の、燈夜や流輝達の未来が脅かされる。

大人しく調整を受け入れ、全てを消し去ってさえしまえば蒸都は遥かに長持ちする。

燈夜がいつか語ってくれた夢も、きっと叶えられる。孤児院で仲良くなった子供達が大人になった後も安心して暮らせる。

自分一人と蒸都全土。

天秤に掛けるにはあまりにも規模が違い過ぎた。選択肢は、一つしか無かった。

(食べないと…)

調整を受け入れるにもまず弱り切ってしまってその段階まで身体が戻っていない。

目の前にしたまま、すっかり冷めた食事。体力を戻す為に無理に食べ物を口に入れる。

流輝はあんなに美味しそうに頬張っていたパン。味は感じない。

栄養を摂って身体が戻れば、調整という彼らとの完全なる別れだ。

ゆっくりと咀嚼したパンは、なかなか喉を通らなかった。

“この子むっっちゃくちゃ食べるの遅いの。もう虫みたいなんだから。”

出会って間もない時、流輝に言われた言葉を思い出した。それだけでほんの少し、胸が温かくなる。

(流輝…)

名前は口に出さない。誰が聞いているか、わからないから。

(燈夜…)

結局、ギスギスしたまま、謝ることも出来ずにこうなってしまった。

もうきっと、謝るどころか会うことも叶わないだろう。

“食べなきゃ元気、出ないだろ?”

(でも、元気が出たら…戻らなきゃいけない。)

楼蘭の言葉に、手は止まってしまった。


___


ノックが聞こえて扉が開く。

「うん、少し食べられたね。良い子だ。」

織玖さんだ。恐らくは、僕から“消された”人。ずっと僕を気にかけている。

僕が調整を受け入れるのをわかっているから、惜しみなく与えられている優しさだ。

「もう点滴も要らなくなったから、調整槽室に戻る指示が出たよ。…動けるかな?」

「はい。」

ふらつきながら立ち上がる。

「ゆっくりで良いからね。」

僕に言っているようで、後ろに控えている監査員を牽制している。前後から挟まれながら、厳重な医務室を後にした。


(あの部屋に戻ったら…)

恐らくは程なくして調律環が嵌められて整い始めたら。それを合図に調整に入るだろう。

掛けられた温かい言葉も、楽しく笑った事も、一緒に食べた記憶も、全て剥がれ落ちて何も無くなる。ゆっくり、着実に近付くその気配を感じながら調整槽室へ歩いた。


ふと、別の人の気配がして視線を上げた。

(……!)

夢か幻かと思った。むしろ、それでも良いと思った。

燈夜だ。

僕を『人形』と呼んでくるあの人と、どこかに向かって歩いている。

すれ違う。声を掛けられるわけもない。

(神様…)

信じたことも、感じたこともない『神様』という存在に、心の底から感謝した。

これから消される、大切な記憶の中の大多数に居る存在。

失くなってしまうのは_哀しい。寂しい。辛い。苦しい。

けど、

(大丈夫。)

僕が最後に燈夜に見せたのは、笑顔だった。

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