悪い大人の顔
居なくなった海陸が、どうなったのか。
それを知っているのは、俺と流輝だけだ。
――いや、“知っているつもりでいる”だけだ。
楼蘭さんには、とりあえず「居場所はわかった」とだけ伝えた。
それ以上は言えなかった。言葉を選んだというより、言葉が見つからなかった。
楼蘭さんも何かを悟ったのか深く聞いたりはしてこなかった。
整備を口実に、俺は何度も動力庁舎の奥を探った。
“F‐369の部屋”へと繋がるはずの、あの排気口の迷路。だが、警備は脱走前とは比べものにならないほど厳重になっている。近付くたび、無駄だとわかっていながら、溜息だけが落ちる。
「“F‐369、食事を拒絶”」
「“四日目”」
「“点滴処置を検討”」
蒸都の不調によって旧回線が一部復旧した。
おかげで管制通信室の流輝が再び拾えるようになった、海陸に関する情報の欠片。
聞くだけ。
知るだけ。
それ以上、何も出来ない。
わかっているからこそ、動けない。
やるせなさだけが胸の奥で渦を巻く。
それは俺よりも、流輝を確実に削っていた。
今日も、流輝は昼休みになると俺のところへ来た。拾ってきた単語を、ぽつぽつと並べて、最後には鼻をぐずぐず鳴らしている。
「泣いたって、何も変わらないだろ。」
自分でも驚くほど、声は冷たく出た。
「……泣いてないもん。」
強がりの返事。でも、その目は赤い。
最近の昼休みは、いつもこんな調子だ。休憩が終わるたび、赤い目をして席に戻っていく同僚を、管制通信室の人間たちはどう見ているんだろう。
「海陸が……何したっていうの。」
絞り出すみたいな声だった。
「脱走、だな。」
それが、蒸都にとっての“罪”だ。
どれだけ人間らしくなろうと、どれだけ穏やかに生きていようと、堅牢な囲いの中から出た時点で、海陸は『悪』になる。
そして同時に、脱走を手助けし、匿っていた“顔もわからない誰か”も。
「燈夜はさ……いつも冷静でいれていいね。」
そんなふうに見えているなら、心外だ。焦りは、俺の中にもある。
ただ__
俺たちが下手に動けば、海陸が“海陸でいられる”僅かな可能性すら、消える。
だから慎重になるしかない。
わかっていても、きつい。
この真っ暗な盤面に光が差すことはあるんだろうか。
もし助け出せたとして、海陸の記憶が無くなってたら。それはミロクと言えるのだろうか。
考えたらきりがない。
「……悪い。」
解決策も、気休めの言葉も出てこない自分が情けなくて、ようやく零れたのは、それだけだった。
流輝は、ゆるゆると首を振る。溜まった涙が落ちる前に、乱暴に袖で拭った。
ここ数日、ずっと同じ流れ。似たような会話。何も動かない現実。
――それを、無遠慮に壊してきたのは。
「おー。居た居た、機械オタク少年。」
ズン、と肩にのしかかる重み。
ふわりと鼻を突く、うっすら甘い香水の匂い。
(げ。)
反射的に顔を上げて、見てしまった。
「ちょっとツラ貸せよ。」
そこにあったのは、何かを企んでいる時の最悪に性格の悪い笑みだった。




