届かない声
F‐369を“保管”した彼らは夜になってから動いた。
病院の裏手。人の出入りがほとんどなくなる時間帯を選んで、海陸は外へ連れ出された。
「乱暴はしないであげてください。」
織玖の要望通り、乱暴に扱われることも、声を荒げられることもない。
ただ強く掴まれた腕が、逃がしてもらえないのだと印象付けた。
「来い。」
そう言われて、自分の足で歩く。身体は重いが、歩けないほどではない。
(……逃げられない、かな。)
理解するには十分な状況だ。
歩いた先、停まっていたのは、小型の蒸気車だった。装飾のない、業務用の車両。扉が開き、中へ通される。中は狭く、暗い。
揺れを抑えるための簡素なベンチに座らされると、扉が閉まった。
金属音。
外界が切り離される。
「出せ。」
運転席の方へ声が掛けられて、車が動き出す。蒸気の低い唸りが、床越しに伝わってくる。
(…帰りたい)
帰る場所。
楼蘭のいる場所。
子どもたちの声。
流輝の笑い声。
そして__
海陸_!!
聞こえた。
はっきりと。
近くはない。けれど、確かに自分を呼ぶ声。
(…燈夜?)
車の揺れの中で、息が詰まる。
すみません、人を探してるんです。
少し遠くで、誰かに話しかけている声。
俺と同じくらいの…病院に行くって出たきり帰ってなくて…そう、ですか。
探している。
(燈夜…)
心臓が、嫌な音を立てる。
海陸!!
名前が、もう一度呼ばれた。少し近く感じる焦った声。
蒸気車の窓から燈夜の姿は見えない。
(……。)
海陸は、口を開こうとして、閉じた。
ここで反応すれば、燈夜に飛び火するかもしれない。ぐっと唇を噛んで燈夜の名前を呼びたい気持ちを抑え込む。
「海陸!!返事しろ!」
すぐそばで声がした。燈夜の横を蒸気車が、通ったのだろう。海陸は、膝の上で指を強く組み、沈黙を守った。
助手席の方で、回収員が首を傾げる。
「今、外で誰か呼んでなかったか?」
「え?ああ、若いのが一人、うろついてたな。」
「迷子探しか?」
「こんな時間にご苦労なことだ。」
それだけだった。
誰も、車を止めない。
誰も、窓を開けない。
車は、そのまま進む。
蒸気の音だけが、一定の調子で鳴り続けていた。
(……ごめん)
声に出さずにそう思った。
謝りたかった相手が誰なのか、もうはっきりわかっているのに。
蒸気車は角を曲がり、燈夜の声は、夜の中へ溶けていった。




