第59話 駄女神は寝癖のままだが、女神降臨で国家レベルの大騒ぎ
怪物キマイラを解き放った魔人は、王国騎士団長マリアに連行された。
復命を終えたマリアは、その日のうちに王都ハイランドから始まりの村へ戻ってきた。王家の紋章を掲げた壮麗な馬車を先導して。
馬車から降り立ったのは、まさかの女王スターシア陛下ご本人。
……おい、カリス。
昨夜は村の宴に混ざって酒を飲み、今日は女王陛下を呼び寄せたのか。
迷惑が一晩で国家規模に広がってるじゃないか。
「タロウ様。勇者の御名を授かったとのこと、心よりお祝い申し上げます。
カリス様のご降臨を聞き、参上いたしました」
「あっ……その女神なら、二階でまだ惰眠を貪ってます。寝言がよく聞こえます」
「夜明けまで戦われたのですもの。食堂でお待ちしましょう」
……いや、あいつが現れたのは戦いが終わってからで、何の役にも立っていない。
「もうお昼近いですし、ギンたちも空腹でしょう」
「お腹」に反応し、ギンが右手を挙げる。
食堂では、女将さんとミナがギンたちのごはんを用意していた。
「ポンタ、カリスを起こしてきてくれ」
「おう、任せとけ!」
返事より早く、ポンタは二階へ駆け上がった。
「いやーーー!」
数秒後、宿を揺らす悲鳴が響いた。
早い。目覚ましとしては優秀すぎる。
「ちょっと、アンタなにしてくれんのよーー!」
ポンタが二階からダッシュで駆け下りてくる。
「いや……お前さん、何したんだ?」
「腹の上へ飛び乗ったら、また毛まみれになりやがった。へへっ、俺の抜け毛と引き換えにな!」
「あぁ……。でもカリス、起きたね」
「ばっちりだ!」
やがて、カリスが目をこすりながら階段を降りてきた。
白銀の髪は寝癖だらけ、寝巻にはポンタの毛。足取りもふらついている。
降臨というより、冬毛の生えた寝起きの姉ちゃんである。
「カリス、お前にお客様だよ」
「えっ⁉ お客⁉ ちょ、ちょっと待って! あたし、人前に出られる格好じゃないんですけど!」
「恩寵の女神、カリス様!」
「んぁ……? あれぇ、エルフェリアじゃない。朝からどうしたのよ」
「もう昼だ。しかも女王陛下だ。王都からお前に会いに来たんだぞ」
「えっ……あら? あなた、スターシア? ずいぶん立派になったじゃない」
「女神様、わたくしのことを覚えておいででしたか」
「こう見えて人の顔は忘れないのよ。……たぶん、八割くらいは」
女王陛下は寝癖も気に留めず、駄女神の前に跪いて両手を組んだ。
供の者も一斉に頭を垂れ、食堂は神殿のように静まった。
「なんか逆に、辱めを受けてる気分だわ……。せめて誰か毛を取ってよ」
「カリス様のご降臨と勇者覚醒を受け、創造神アフロディーテ様のご神託を賜りたく参上いたしました」
「話はちゃんとするわ。だからまず、女神らしい格好に戻る時間をもらえる?」
「大変失礼いたしました。もちろんでございますわ」
カリスは慌てて、再び二階へ駆け上がっていった。
さっきから女王陛下のほうが、よほど女神らしい。
宿屋には、エルフェリアさんもやってきた。
僕らは、村で起きた出来事を女王陛下へ報告した。
「魔獣を退けたあと、ギンたちは神獣へ格上げされ、称号と権能まで授かって……僕も勇者にされました。レベル一ですが」
「そうでしたか……。やはり、伝説に記されたとおりに」
スターシアの声が、わずかに低くなる。
千年ものあいだ王家が抱えてきた何かが、端正な横顔を曇らせていた。
「伝説……ですか?」
「タロウ様には、千年前の出来事をまだお伝えしておりませんでしたね。詳しくは後ほど、エルフェリアよりお聞きくださいませ」
「そして、その後にカリス様がご降臨されたのですね?」
「駄目だって言ったんですけどね。『女神を仲間外れにする気?』と圧をかけられ、居座られて今に至ります」
「まぁ……!」
「宴の最中、いつの間にか女神降臨の大事になっていたんです」
「女神様のご降臨と勇者の再誕。いずれも全土へ布告すべき慶事です。
しかし女神様の降臨は、世界を揺るがす異変の兆しとも考えねばなりません。
創造神アフロディーテ様から神託を託されているのかも知れません」
「あいつ、そんな大事な神託をちゃんと預かってきたのかな。宴会の余興と間違えてないだろうな……」
「改めて王都で祝賀の儀を執り行いたく存じます。詳細は後ほどご相談させてくださいませ」
ほどなく、身支度を整えたカリスが戻ってきた。
寝ぼけ顔は消え、髪も衣装も隙がない。
さすが女神。やればできる。だったら最初からやれ。
カリスは女王陛下とエルフェリアさんを自室へ招き、三人だけで話がしたいと告げた。
耳の後ろにポンタの毛が一本だけ残っていたが、本人が気づいていないので見なかったことにする。
「はぁぁ……偉い美女の相手は肩が凝るな」
僕は大げさに肩を回し、足元のギン、ゲン、ポンタを見下ろした。
「お前たち。お父さんがブラッシングでもしてやるか」
見た目は二十歳でも中身は五十六歳。若返っても、この子たちの父親だ。世話焼き気質は変わらない。
「では、俺はポンタを引き受けます。こいつ、放っておくと毛玉だらけになりますからね」
カイがブラシを手に取ると、ポンタは鼻を鳴らして、さりげなく足元へ身を寄せる。
「じゃあ、カイはポンタ。リーネはゲンをお願いするよ」
リーネの瞳が輝く。待ってました、と顔に書いてある。
「了解!」
弾むような返事と同時に、リーネはゲンをひょいと抱き上げた。
リーネはゲンの尻尾を頬へ寄せ、さっそくモフモフする。
ゲンは諦めたように目を細め、されるがまま裏庭へ運ばれていった。
「なあ、ギン。こうしてブラッシングしてやるの、なんだか久しぶりだな」
ギンは当然のように膝の上へ乗り、長々と身を伸ばした。
首筋から背中へ、ゆっくりブラシを滑らせる。
銀の毛並みが陽に輝き、喉の振動が膝へ伝わる。
――よき。
返ってきた念話は、いかにも満足げだった。
「ギンもポンタも口が達者なのに、お前さんだけ念話なのな」
何気なくこぼすと、ギンの片耳だけがぴくりとこちらへ向いた。
「ん? 話せるぞ」
ギンは顔だけを持ち上げ、あっさりと口を開いた。
「ちゃんと話せるんかい!」
ブラシが止まる。今まで念話で済ませていた意味が分からない。
「当然だ。だが、口を開くのは慣れていないし、面倒でな」
言い終えると、ギンは顎を俺の太ももへ戻した。もう説明する気もないらしい。
「念話なら、寝転んだままで済む」
「神獣として磨かれた能力の使い道が、ものぐさかよ……」
呆れながらブラシを動かすと、ギンの尻尾が満足そうに一度だけ床を叩いた。
「私にも銀猫様を……いや、ブラッシングへ加わる許可をいただけないだろうか」
振り返ると、騎士団長マリアが期待に満ちた目でギンを見つめていた。
目が合うと咳払いしたが、銀の尻尾が揺れるたび視線は正直に追いかけた。
「そうか。では、頼むよ」
ブラシを差し出しかけて、膝の上のギンへ目を落とす。
「ギンも構わないか?」
――よき。
ギンは目を閉じたまま、尻尾の先だけをマリアへ向けた。許可の印らしい。
「じゃあ、頼む」
マリアは深く息を吸って指先を落ち着かせ、そっと銀の毛並みへブラシを当てた。
“閃光”と恐れられる騎士団長も、今は銀猫を前にした乙女だった。
……いや、待て。。
ブラシを通すたび息が荒くなってるぞ。マリアの顔が次第に紅潮していく。
ギンが目を細めると、その口元にも、ちょっとだらしない笑みが浮かんだ。
いつの間にか、裏庭には村の子供たちが集まり、ブラッシングを眺めていた。
「わたしも猫ちゃんブラシしたい!」
「僕もポンタやりたいーー!」
「俺も!」「わたしも!」
裏庭は、たちまち小さな祭りになった。
子供たちの笑い声と、満足げに目を細める神獣たち。
こうして、村に穏やかな時間が戻ってきた。
今は、この平和でのんびりとしたひとときを守りたい。
――やっぱり毎日の暮らしってのは、こうじゃないとな。




