第55話 新人パーティー、総力戦で災厄級を仕留める
突如、魔人の顔から笑みが消えた。
眦を吊り上げ、両腕を天に掲げた。
「来たれ、災厄の獣よ! この世界に破滅をもたらせ!」
魔人が高らかに叫ぶ。
壊された祠の瘴気核が、どくん、と脈打った。
直後、ひび割れた表面から無数の黒い触手が噴き出し、空中で絡み合っていく。
生臭い腐敗臭が広がり、思わず喉の奥がえずく。
次の瞬間、稲妻が夜空を真っ二つに裂いた。
雷鳴が大地を揺らす。黒い塊が内側から膨れ上がった。
――闇を引き裂いて現れたのは、災厄級の魔獣・キマイラだった。
獅子の頭に、山羊の胴体。背には巨大な翼が広がっている。
大蛇の尻尾が鎌首をもたげ、牙から毒を滴らせる。
獅子の口が開くたび、喉の奥で紅蓮の焔が渦巻いた。
どうなってんだ? こいつもギリシア神話の怪物だ。
サイクロプスのお次は、お前さんかい……?
しかし、伝説の怪物そのまんまの姿とは、まったく芸がない。
神馬ペガサスに乗った英雄が、空から射抜いたんだったか。
咆哮を浴びながら、どうでもいい知識だけが妙に鮮明に浮かんでくる。
戦力的には古代の伝説には負けていない。ペガサスはいないが、こっちには銀霜猫王、カーバンクル、そしてフェンリル、神獣と聖獣が三匹もいる。
合成生物ごときが空を飛べるなら、聖獣様たちだって飛翔くらい朝飯前――
ゲンが淡い光をまとって浮かび、ポンタは空を蹴って駆け上がる。
そう思った直後。
――むり。
足元から、きっぱり伝わってきた。
「あ、ギンは空は飛べないのね……」
尻尾で叩かれた。
夜空で爪と牙が激突し、火花が散る。
三頭の咆哮と唸り声が闇を震わせた。
キマイラは獅子の口を開き、灼熱の焔を吐き出した。
だが、そこへカーバンクルのゲンが立ちはだかる。
額の赤玉が輝き、幾重もの魔法障壁が展開される。
炎がぶつかり、左右へ弾けた。
「今だ、ポンタ!」
白銀のフェンリルが、闇を裂いて牙を剥く。
尻尾の大蛇がフェンリルを迎え撃とうと鎌首を揺らす。
だが一瞬早くフェンリルの顎がその鎌首を捉え、骨ごと噛み砕いた。
キマイラの絶叫が響く。
やがて地鳴りのような蹄の音がして、騎士団が森を抜けてきた。
先頭は、“閃光”の騎士団長マリア。白馬から勢いよく飛び降りる。
「村の住民は避難を終えた! 我々も加勢します!」
「弓を持つ者は前へ! 魔法士は詠唱を!」
マリアの号令に騎士たちが素早く陣形を変える。
後詰めの冒険者たちも到着し、矢と魔法が一斉に夜空へ放たれた。
しかし、降り注いだ矢は、山羊の腹を覆う鋼鉄のような剛毛に弾かれた。
「カイ、普通の矢じゃ通らない!」
「なら、違う手段で一矢報いるだけだ」
カイは短く答え、すでに次の矢へ手を伸ばしていた。
魔法士たちも火球や風刃を絶え間なく撃ち込む。
爆炎が巨体を包み、衝撃でキマイラの高度がわずかに下がった。
だが致命傷には遠い。
煙の奥から響いた咆哮に、地上の空気がびりびりと震えた。
キマイラはポンタと牙と爪を交えながら、隙を見て地上へ炎を浴びせてくる。
獅子と狼。体格ではキマイラが一回り大きい。
それでもポンタは空を蹴って側面へ回り込み、鋭い牙で少しずつ傷を増やしていた。
そのとき、キマイラの顔がこちらを向いた。喉が赤く膨らむ。
ヤバい――そう思った瞬間には、視界が炎で埋め尽くされていた。
灼熱の火炎が背中すれすれを通り過ぎ、髪の先が焦げる嫌な臭いが鼻を突く。
「うわっ……洒落にならないだろ、これ!」
転がりながら振り返ると、さっきまで立っていた地面が赤熱し、石まで溶けていた。
「一歩遅かったら、跡形も残らなかったぞ」
――また死ぬのか。しかも下僕のまま、何もできずに?
胸の奥が冷え、呼吸が浅くなる。
でも、ここで出会ったみんなとの時間は、思っていたよりずっと楽しかった。
ギンたちの世話だって、まだ始めたばかりだ。下僕として働くにしても、せめてもう少し、この世界で生きていたい。
結成したばかりの新人パーティーが、騎士団や熟練冒険者と並んで災厄級に挑んでいる。
冷静に考えれば、とんでもない状況だ。
しかも僕は、みんなのお世話をすると決めた下僕である。
――なのに、どうして最前線にいるんだ、僕は⁉
心の中で叫んでも、火炎放射は待ってくれない。
僕は震える膝を叩き、どうにか立ち上がった。
地上では、カイが片膝をつき、静かに弓を構えていた。
怒号も爆音も届かないかのように、呼吸を整えている。
矢じりには、サイクロプス戦のものを超える神経毒。
さすがは忍だ。殺傷術も高度化している。
「掠るだけで致命傷になる。――一矢で決める」
カイの声に迷いはない。ただ、その指先には極限まで力が込められている。
キマイラが、ポンタへ前脚を振り下ろす。
その瞬間、額を守っていた獅子の鬣が大きく揺れた。
カイの目が細くなる。弦が限界まで引き絞られ――
――射つ!
弦鳴りは、戦場の喧騒にかき消されるほど小さかった。
けれど放たれた一矢は、吸い込まれるように夜空を貫いた。
矢は額の隙間へ深々と突き刺さった。
巨体が硬直する。翼が乱れ、獣の瞳から光が消えた。
カイが叫ぶ。
「リーネ、今だ!」
「はいっ!」
リーネが杖を突き出す。
足元に青白い魔法陣が広がり、大気中の水分が一斉に凍りついた。
「貫け――フローズンスピア!」
形成された巨大な氷槍が、唸りを上げて打ち出される。
動きの鈍ったキマイラは避けきれない。
氷槍は胸元を直撃し、砕けた氷片とともに巨体を白く凍らせた。
「ば、馬鹿な……! 貴様らごときに……!」
魔人の顔から血の気が引いた。
目を見開き、凍りついたキマイラと僕たちを見比べている。
キマイラは、最後の咆哮すら上げられなかった。
全身を覆う氷に亀裂が走る。地上へ墜ち始めた直後、巨体は黒い粒子となって崩れていった。
地面へ落ちたのは、真紅に輝く巨大な魔石だけ。
一瞬の静寂。
次いで、騎士と冒険者から歓声が爆発した。
「……勝った、のか?」
声がひどく頼りない。隣ではリーネが杖にすがり、それでも満足げに胸を張っていた。
逃げようとした魔人は、すぐに騎士たちへ取り押さえられた。
「離せ! 私は選ばれた存在だぞ!」
わめき続ける声も、両腕に魔封じの枷を嵌められた途端に弱々しくなる。
魔人は騎士団に引き渡され、そのまま厳重な警護のもとで連行されていった。
夜空を見上げると、ポンタとゲンがゆっくり降りてくる。
ギンは当然のような顔で、僕の足元に鎮座している。
ようやく肩の力が抜ける。
僕はその場にへたり込み、三匹を順番に見回した。
「みんな、お疲れさま。帰ったら、今日は特別にご馳走だな」
三匹の視線が一斉にこちらへ向く。




