第46話 元会社員、冒険者として再始動する!
神獣に精霊獣、それに魔獣の三頭はさておき――カイ、リーネ、そして僕は、冒険者として正式にパーティー登録をしなければならない。影の教団との戦いを考えれば、主力のギンやゲンにおんぶに抱っこというわけにもいかない。
そんなわけで僕らは、この一か月、王都でひたすら鍛錬に明け暮れていた。
その日の訓練を終え、僕が訓練場の隅でぜえぜえと息を整えていると、カイが苦笑交じりに肩を叩いてきた。
「タロウさん、最初はあまりにも体力がなくて、どうなることかと思いましたよ」
一か月前の僕を思えば、ぐうの音も出ない。額の汗をぬぐって、力なく肩をすくめる。
「いや……本当に、面目次第もございません……」
そこへリーネが身を乗り出し、僕の腕を見て目を輝かせた。
「でも、この短期間でよくそこまで鍛えましたね! もう別人ですよ!」
喜びたい。喜びたいのだが、この一か月を思い返しただけで全身の筋肉が悲鳴を上げそうだ。僕は疲れの残る脚をさすり、遠い目になった。
「学生時代の地獄みたいな部活とか、体育の授業とか……いろいろ思い出しましたよ」
もちろん、僕らだけでここまで鍛えられたわけではない。
女王陛下の妹君であるエルフェリアさんをはじめ、王国騎士団の皆さんが、惜しみなく力を貸してくれたおかげだ。
改めて引き締まった体を見下ろし、腹を軽く叩く。
ぽよん、ではなく、ぱしんと音がする。
うん。我ながら、とんでもない変わりようだ。
「自分でもびっくりですよ。キックボクシングの減量明け以来です。こんな体になったのは」
案の定、リーネがきょとんとした顔で小首をかしげる。
「きっくぼくしんぐ……って、何ですか?」
言葉で説明するより早い。僕は拳を構え、軽く蹴りを繰り出す真似をしてみせた。
「拳と蹴りで戦う格闘技です。こっちの世界にはないんですかね?」
カイが、ぽんと手を打つ。
「なるほど、格闘技ですか! タロウさん、若い頃はスポーツマンだったんですね!」
するとリーネは、出会った頃の僕を思い出したのか、ちらりと腹へ視線を落とした。
「あのお腹からは、とても想像できませんでした」
にこやかな顔で、なかなか容赦がない。
否定できないのがさらに悲しい。
僕はかつての腹をつまむ仕草をして、乾いた笑いを漏らした。
「僕も、あそこまで立派に育つとは思っていませんでしたよ……」
カイとリーネが笑い、僕もつられて笑う。けれど、その笑いは胸の奥までは届かなかった。五十六歳の体のままなら、過酷な冒険者稼業など到底務まらなかっただろう。そもそも僕は、おそらく一度命を落とし、飼い猫のギンとともに、この異世界へ迷い込んだのだ。
いくつもの出来事を経て、体の不調は消えた。段階的な若返りの恩寵まで授かり、中身はオッサンのまま、肉体だけは全盛期の二十歳になった。冗談みたいな話だ。けれど、この若さが偶然与えられたものではないことも、今の僕には分かっている。
人生、何が起きるか分からない。だからこそ、二度目に与えられた時間を、無駄にはしたくなかった。
ともあれ、鍛え直したこの体で、僕は冒険者として再出発する。
ようやく、そのスタートラインに立とうとしていた。
――とはいえ、若返って鍛えたからといって、素手で魔獣と殴り合えるほど世の中は甘くない。僕は訓練用の剣を握り直した。
「さすがに、素手で魔獣と戦うのは無理ですね」
カイは僕の構えを確かめ、満足そうにうなずいた。
「でも、武器の扱いはずいぶん上達しましたよ。特に剣は覚えが早いです」
褒められると、やはり悪い気はしない。僕は少し照れつつ、剣を肩に担いだ。
「まあ、子供の頃から剣道をやっていましたからね」
リーネが、またしても聞き慣れない言葉に瞬きをする。
「けんどう?」
ほら、やっぱり通じない。
僕は木剣を竹刀に見立て、ゆっくり振ってみせた。
「前の世界では、本物の剣や刀を振り回すわけにはいきませんから。竹で作った剣を使って戦う競技です。木剣を使った模擬訓練に近いですね」
説明を聞いたカイが、感心したように僕を見直した。
「なんだ。タロウさんも戦士だったんですね!」
どうしてそうなる。僕は慌てて片手を振った。
「いや、違います。会社員です……」
だが、リーネには会社員が何者なのか分からない。
おそるおそる僕の顔をのぞき込む。
「それは……頭脳派の職業ですか?」
説明を始めたら、話がさらにややこしくなる。
ここは笑ってごまかそう。
「まあ、ごく普通の労働者ですかね」
これで話は終わり――のつもりだった。
ところが、カイはますます興味を持ったらしい。
腕を組み、僕の体を上から下まで眺める。
「でも、タロウさんって意外と武闘派ですよね。最初は想像もできませんでしたけど」
二人のまぶしい視線が、なんとも居心地悪い。
僕は気恥ずかしさをごまかすように剣を鞘へ戻した。
「いや、三十年以上も前の話ですから」
リーネは気にした様子もなく、胸の前でぐっと拳を握る。
「でも、当時の感覚を取り戻したってことですよね!」
真正面から期待を向けられると、かえって困る。
僕は頬をかきながら苦笑した。
「いやいや。まだ新人冒険者として、スタートラインに立てるかどうかですよ……」
するとカイが呆れたように眉を上げ、僕の背中をばしんと叩いた。
「もう少し自信を持ってくださいよ!」
そうは言われても、僕としては人並みに動ければ御の字だ。
いざとなれば、ギンとゲンが何とかしてくれる。たぶん。きっと。
そんなふうに笑って任せられるうちは、まだいい。
だが、影の教団との戦いが始まれば、いつまでも二頭の背中に隠れてはいられない。
僕はいつものように曖昧に笑い、その不安を胸の内へ押し込めた。
今はまだ、二人の前で口にする必要はない。
ともあれ、この一か月で成長したのは僕だけではない。
リーネは攻撃魔法の威力も狙いも格段に上がった。
カイも戦略や戦術を学び、今ではパーティーの司令塔として頼もしい存在になりつつある。
まずはギンやゲンに頼らず、僕ら三人の力で実績を積む。
本当の戦いに臨んだ場で、守られるだけの存在で終わらないために。
それが僕らの新しい目標であり、来るべき戦いに備えるための、最初の一歩だった。




