第45話 大魔女、モフモフとドジっ子に翻弄される
結界訓練を終えた翌朝の王都魔法学院。
火球の爆ぜる音、雷撃の閃光、学院生たちの悲鳴と笑い声――
訓練場はいつものように騒がしく、どこか牧歌的な空気に包まれていた。
訓練場の中央では、すでにリーネが杖を両手に構えていた。
その勇姿は歴戦の魔女のようだ。
だが、白くなるほど握り込んだ指と震える杖先が、彼女の緊張度合を物語っている。
今日の課題は、影の教団との戦いに備えたリーネの攻撃魔術強化。
訓練場の奥には標的が五つ並び、念入りに防護結界が張られている。
学院側の警戒ぶりに、僕は今日も平穏には終わらないことを悟った。
「今日は攻撃魔法の精度を上げます。私も確実に敵を倒せるようにならないと……」
その決意は本物だ。
リーネは魔力量も瞬間火力も学院上位。座学でも優秀な成績を収める、期待の新人魔女だ。
だが、狙いだけは壊滅的で、昨日の攻撃訓練でも、なぜか斜め後ろの訓練旗を吹き飛ばしてしまった。
だから標的側に立っていた僕は、さりげなく射線を外れ、石壁のそばまで下がった。
「タロウさん、どうしてそんなに標的から離れるんですか?」
「いやぁ……全体を見渡せる位置が大事かなって。監督役として」
「目をそらさないでください!」
隣ではカイまで僕と壁の間に入り込み、ちゃっかり安全地帯を確保していた。
――考えることは同じらしい。
だが、その喧騒がふっと吸い込まれるように静まり返った。
風が止んだわけでも、誰かが合図をしたわけでもない。
ただ――空気そのものが、ひとつの方向へ“跪いた”。
白亜の校舎の影から、淡い光が揺れた。
ゆっくりと歩み出たのは、
銀の髪を肩に流し、薄い外套を風に揺らすひとりの女性。
その姿を見た瞬間、学院生たちは一斉に背筋を伸ばした。
「……エルフェリア様だ」
誰かが息を呑むように呟いた。
王都の大魔女。始まりの村の村長にして、女王陛下の妹君。
祝福の魂と、もっとも深く響き合う存在。
その名を知る者なら、誰もが自然と頭を垂れる。
エルフェリアは静かに微笑み、訓練場の中心――リーネの前へ歩み出た。
その歩みは音もなく、まるで空気が彼女のために道を開いているかのようだった。
「皆さんが訓練をされていると伺いました。私も、お手伝いできればよいのですけれど」
柔らかな声なのに、胸の奥まで響くような深さがある。
リーネは杖を抱いて硬直し、耳まで真っ赤になった。
「ど、どうして……大魔女様が……ここに……」
「リーネ、呼吸して。顔色が危ない」
「だ、大丈夫です! たぶん!」
慌てて息を吸い、今度はむせる。たぶんと言ってる時点で大丈夫ではない。
そんな中、まったく空気を読まない銀猫様がとことこ歩み寄り、エルフェリア様の足元にどかっと座った。
――なでよ。
「えっ……?」
大魔女の眉がわずかに跳ねた。
「……少しだけですよ?」
指先が銀の毛並みに触れた瞬間、ギンは満足げに喉を鳴らした。
――よき。
訓練場の空気が一気に緩む。
そこへゲンがふわりと浮き、エルフェリアの外套の裾をつんつんと引っ張る。
「わたしも、なでてほしいわ」
「えっ……あ、はい……」
ポンタまで尻尾を振りながら寄ってくる。
「オイラも――!」
訓練場の空気は完全に崩壊した。
「みんな! 今は訓練中だよ!」
リーネが叫ぶが、モフモフ三匹は完全に大魔女を囲んでいた。
エルフェリアは困ったように笑いながら、三匹を順番に撫でていく。
「……タロウさん、これ、訓練になります?」
「いや……これはこれで、恩寵の流れが整ってる気がする……」
「では、続けましょう。リーネさん、火球を」
エルフェリアがリーネの杖先をそっと持ち上げた。
リーネは深呼吸し、杖を構える。
「ファイヤー!」
火球が生まれ――標的へ向かう。
バシッ!
標的の中心に、見事に命中した。
「やったぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
リーネが跳び上がる。
だがその瞬間、ギンが尻尾でリーネの足をちょんと叩いた。
――ごほうび。
「えっ、今っ!?」
リーネがよろけて杖を振り上げる。
ぼふっ。
火球が暴発し、エルフェリアの外套の裾をかすめた。
「リーネさん……」
エルフェリアの声が低くなる。
「ご、ごめんなさいぃぃぃぃぃ!」
「次は雷撃魔法です!」
リーネが杖を掲げた瞬間、学院生たちは無言で三歩下がった。
昨日の暴発を覚えているらしい。
杖先に青白い稲妻が集まり、空気がぴりっと震える。
だが次の瞬間――リーネの杖先がつるりと滑った。
「えっ、ちょっ……!」
杖先がわずかに横へぶれ、雷撃の軌道が標的を外れた。
その先にいたのは――よりにもよって、大魔女エルフェリアだった。
「リーネさん」
エルフェリアの声が低く落ちる。
「では、気を取り直してもう一度です」
ふたたび杖の先に稲妻が集まる。
ばちっ!
雷撃が生じた、その瞬間――今度はギンが飛び出した。
ぱしん!
雷撃はギンの前脚で弾かれ、軌道が逸れて地面へ落ちた。
――雷光の余波がエルフェリアの外套の裾をかすめた。
「ジュッ」
淡い布の端が黒く焦げる。
訓練場が完全に静止した。
ギンは静電気で膨らんだ尻尾を揺らしながら、エルフェリアの足元へ戻ってきた。
その顔は誇らしげで、「ふんッ!」と鼻息も荒い。
――まもった。
「いや、誰も護れてないから。むしろ危険に晒してんだが……」
「……リーネさん」
エルフェリアの声が、さっきよりさらに低くなる。
リーネは土下座した。
「ご、ごめんなさいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
エルフェリアは焦げた外套の裾をそっとつまみ、悲しげに見つめた。
「怒ってはいません。ただ……これは……わたくしのお気に入りだったのですけれど」
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
リーネは、さらに深く額を地面へこすりつけた。
「リーネさん。あなたは力を怖がり、最後の瞬間に押さえ込もうとしています」
エルフェリアはリーネの背に手を添えた。
「力を敵だと思わず、少しずつ自分の魔力と仲良くなりましょう」
リーネは涙をぬぐい、杖を構える。
「……もう一度お願いします。今度は逃げません」
エルフェリアは静かに頷いた。
「では、あなたの魔力を信じて」
リーネの魔力が高まり、訓練場の空気が震える。
その高まりに寄り添うように、エルフェリアの手から温かな魔力が伝わった。
「大丈夫。あなたはできます」
リーネは深く息を吸い――光が杖先へ収束する。
「ライトニング!」
青白い雷撃が一直線に放たれた。
バシッ!
標的の中心が雷撃で爆ぜた。
リーネは涙目で笑った。
「できた……!」
エルフェリアは静かに頷いた。
「ええ。あなたは必ず強くなれます」
ギンが尻尾を立てて言った。
――よき。
「いや、全然よくないわ!」
僕の声だけが訓練場に響いた。




