第44話 銀猫様の見守り訓練は、昼寝と報酬つきでした
僕らは、マリア騎士団長の厚意で、王国騎士団から戦闘訓練の手ほどきを受けることになった。
王都外の訓練場は土煙と掛け声に満ち、学院の優雅な魔法訓練とは空気がまるで違う。居並ぶ王国騎士たちの白銀の鎧が朝日に輝き、剣戟の乾いた音が響く。
(うん。これは見学では済まないやつだ……)
僕の腰が、早くも帰りたがっている。
まずは体格と得意分野を見極め、そこから戦闘スタイルを固めることになった。
訓練教官だけでなく、王国軍の戦術士官までついてくれるらしい。僕らのパーティー構成と一人ひとりの特性を確かめ、職業や役割分担を助言してくれるという。
戦術士官は手元の記録板に目を落とし、まずゲンとギンを見比べた。
「神獣様は我々の枠には収まりませんので、いったん別として……精霊獣カーバンクルのゲン殿は、膨大な魔力をお持ちです。前へ出るより、後方から魔法に特化して戦っていただくのがよいでしょう」
ゲンは神妙に耳を傾け、こくりと頷いた。
「皆を守る結界と援護は、わたしに任せて! でもレディーに“殿”はやめて」
その隣で、別枠扱いされたギンは当然だと言わんばかりに前足を舐めている。
戦術士官は一瞬だけ目を細めたが、何も言わず次へ進んだ。
「柴犬のポンタさんは……現状のままでは、残念ながら戦力外です」
「せんりょくがい……だと!?」
ポンタの耳がぺたりと伏せた。
だが、教官が記録板を指で叩きながら言葉を継ぐ。
「ただし、魔獣化した際の身体能力は別格です。変身後の力と速度、それに理性を保つ訓練を重点的に行いましょう」
「なんだ、そっちか! 任せろ。でっかくなったおいらは強いぞ!」
たちまち尻尾が勢いよく振られた。
戦力外という言葉は、もうきれいに忘れたらしい。
「リーネさんは、魔法学校でもかなり優秀だったと聞いています。精霊獣様が防御と援護を担うなら、このパーティーでは攻撃魔法の強化が課題になるでしょう」
「攻撃魔法……ですか」
リーネは胸元で杖を握りしめた。
ゲンが力強く頷くと、彼女も迷いを振り払うように背筋を伸ばす。
「わかりました。皆さんが前で戦っている間に、確実に敵を仕留められる魔法を身につけます」
「いい覚悟です。ただし、味方ごと吹き飛ばさない精度も同時に磨いてください」
「そ、そこはもちろんです!」
リーネの返事が一段高くなり、僕は念のため彼女の射線から半歩だけ外れた。
「カイさんは、パーティーの司令塔が相応しいですね。シーフとして培った敏捷性を活かし、索敵と牽制。場合によっては敵の指揮官を狙うのも役目です。得意の弓術を伸ばすのがよいでしょう」
「了解しました」
カイは短く答え、背負った弓の弦を指で確かめた。
口元はいつもどおり穏やかだが、目だけはすでに遠くの標的を捉えている。
「前衛が崩れそうなら、すぐ援護に回ります。タロウさんが無茶をする前に止めるのも、僕の役目ですね」
最後に、みんなの視線が僕へ集まった。
教官は僕の肩幅を見て、腕を見て、腰回りを見て、それから妙に長い沈黙を置いた。
「タロウさんは……まず、身体づくりをしっかりやっていきましょう」
戦術士官まで真顔で頷く。
「剣も魔法も、立っていられる体力があってこそです」
「当面の役割は、脱落しないことですね」
リーネが気遣わしげに目を伏せ、ポンタは励ますように僕の膝へ前足を乗せた。
「大丈夫だ、ご主人! おいらが引っ張って走ってやる!」
「それじゃあ、犬ぞりだよね?」
ギンだけは興味なさそうに欠伸をしていた。
神獣様には、僕の体力問題など取るに足らないらしい。
最初にデモンストレーションを披露するのは、ポンタだ。
指南役の騎士が、ずらりと並んだ木製の魔獣模型を示す。
合図と同時に、模型が次々と放り投げられた。
ポンタの身体が黒い靄に包まれ、ひと回り大きなグリムウルの姿へ変わった。
「ポンタ殿、魔獣化したときこそ、その力を制御できねばならん! 標的だけを砕け。隣の味方まで噛むなよ!」
「任せろ!」
その瞬間、地面を蹴った姿が残像になり、敵役の模型だけが一瞬で噛み砕かれていく。
最後の一体を砕いた牙が、味方役の人形すれすれで止まった。
訓練場が静まり返る。
「……ポンタ!」
呼びかけると、赤みを帯びていた瞳が揺れる。
数秒後、彼はゆっくり牙を引いた。
「……ご主人の声、ちゃんと聞こえたぜ」
得意げに笑う口元には、味方人形の袖が一切れ引っかかっていた。
しかも人形は肩を丸出しにされ、妙に哀愁の漂う姿になっている。
「うん。惜しい。ものすごく惜しい」
騎士が感心する。
「瘴気狼は、もともと影に強い魔獣だ。タロウ殿のパーティーにとって、最強の前衛になるぞ」
ポンタは嬉しそうに尻尾を振った。
僕は、みんなから離れて訓練場の外周で基礎鍛錬から始めた。
実際、元の世界では三十を過ぎたあたりから、ゴルフと釣りくらいしか体を動かしていない。
そして、気づいたら九十キロ近い見事な太鼓腹のオッサンができあがっていたのだ。
異世界転移と若返りの恩寵は、僕を喜ばせるためのご褒美でも、宝くじの当選でもない。
きっと、この世界で果たすべき使命がある。
そして、それは自分のためではない。
考えてみれば、若返りの恩寵を得るまでのミッションは、五十六歳のオッサンでも遂行できる程度だった。
これから待ち受けることは、若くなければとても務まらないという意味なのだろう。
僕は最低限の自覚と使命感をもって、鍛錬して強くならなければならないのだ。
今、与えられた身体は二十歳相当。まさに肉体の絶頂期だ。
身体の隅々から活力がみなぎって、何でもできそうな気がする!
走る。跳ぶ。木柵を越える。剣を振る。
だが、現実は厳しい。訓練場をたった一周しただけで肺が焼け、二周目には足が鉛になり、三周目には地面が寝床にしか見えなくなった。
「タロウさん、まずは体力をつけていきましょう。これは長期戦になりますね」
涼しい顔で並走するカイが憎い。汗ひとつかいていない。爽やかすぎる。
むしろ僕の周りだけ気温と湿度が異常に高い気がする。
すでに酸欠で気が遠くなりそうだ……。
休む間もなく模擬戦が始まった。
教官騎士の木剣が右から迫る。
受けるだけで腕が痺れ、次の一撃には反応が遅れた。
祝福剣を振るうたび淡い光がこぼれるものの、剣に振り回されているのは明らかに僕のほうだ。
それでも倒れるたびに立ち上がった。
影の教団を前にしたとき、「歳だから」「素人だから」では誰も守れない。
怖さをごまかすように柄を握り直すと、掌の光がほんの少し強くなった。
「タロウ殿、剣筋が少しずつ安定してきましたね」
教官騎士の言葉に気を良くした瞬間、踏み込んだ足がもつれた。
前のめりになった僕を、教官が襟首をつかんで止める。
「足腰はこれからだね」
官の慰め方は、たまに刃物より鋭い。
「影の教団との戦いは必ず来ます。その前に、“一緒に戦える集団”ではなく、“本当のパーティー”になりましょう」
カイのその言葉が胸に落ちる。
僕は祝福剣を握りしめた。
「……うん。僕らはもっと強くなる」
強さは、一人で敵を倒す力だけじゃない。
誰かが崩れたとき、隣で支えられること。
呼ばれたとき、迷わず応えられること。
僕は何度も仲間に助けられてきた。
僕だって、その輪の一人になりたい。
夕方、僕らはへとへとになって宿へ戻った。
「銀猫様も訓練したことになるのか?」
カイが真顔で問うと、ギンは堂々と胸を張った。
――とうぜん。
「寝てたよね?」
――みまもり。
「それを世間では睡眠と呼ぶんだが」
――しんじる、こころ。
急にいい話へ着地させようとしないでほしい。
笑いながらも、足取りは昨日より少しだけ軽い。
しばらくは、こんな騒がしくも頼もしい鍛錬の日々が続きそうだ。
できれば次回は、僕の体力にも多重結界を張ってほしい。
ギンの鼻がひくひく動いた。勢いよく駆け出し、リーネの腰袋めがけて一直線。
――ほうしゅう。
「何の報酬なんですか⁉」
――みまもり。
「いやーん! くすぐったいですぅ~!」
また始まった。
リーネは素直に腰袋をギンに手渡しつつ、銀猫様のモフモフを堪能したのであった。




