第42話 町を襲った魔獣より厄介なのは、勇者フラグでした
街道の祠を抜けたところで、丘の向こうにレノルの城壁が見えてきた。
――おかしい。
夜通し燃えているはずの見張り火が、ひとつ残らず消えている。
その代わり、東門の上空では、煤のような黒霧が不気味に渦巻いていた。
しかも石畳には、何かを引きずったような黒い筋が、祠から町の奥まで伸びていた。
僕たちは騎士団に従い、東門脇の荷揚げ水路へ回った。
穀物袋を運び込むための狭い通用口が、今夜に限って半開きになっている。
門番の姿もない。
くっころ騎士団長マリア嬢を先頭に、騎士団、僕、三匹の順で通用口をくぐった。
「全員、止まれ! ……荷車の陰に誰かいる!」
騎士たちが一斉に、倒れた荷車の陰へ駆け寄る。
そこにうずくまっていたのは、泥と血にまみれたカイだった。
荒い息をつき、どうにか壁にもたれかかっている。
折れた剣を握るその顔にあったのは、安堵じゃない。焦りだ。
カイは震える手で、黒い筋の続く先を指さした。
「リーネが……あいつに、さらわれた……! 俺が、ついていながら……!」
けれど、ギンの背に乗ったリーネを見つけた瞬間、カイは糸が切れたように膝をついた。
リーネはうっすらと目を開け、かすかな声で言った。
「……遅いよ、カイ。待ちくたびれちゃった」
カイの顔が、泣いているのか笑っているのかわからない形に歪んだ。
「東門からグリムウルの群れが雪崩れ込んだ。俺たちが食い止めている隙に、黒い触手の化け物が現れて……リーネを連れ去ったんだ」
カイは傷口を押さえたまま、言葉を続けた。
「防衛隊と冒険者が、どうにか押し返した。だが、負傷者が多すぎる」
「動けない者は、教会のそばへ運んだ。今も手当てを続けてもらってる」
「住民も教会へ避難させた。今のところは無事だ。魔獣は聖域へ踏み込めないらしい」
だけど、安心するのはまだ早い。
あの魔人が本当に神官だったなら、影の教団はすでに教会の内側まで入り込んでいる。
「待ってくれ。ポンタがいない。あいつ、どこへ行った?」
宿屋の前まで来ると、柴犬姿のポンタが道端に倒れていた。
「ポンタ! おい、返事しろ!」
慌てて駆け寄った、その直後。
ポンタは、のんきに大あくびをした。
「んぁ……メシ? もう朝か?」
どうやら、グリムウルに変化して敵を追い払ったあと、そのまま力尽きて眠ってしまったらしい。
「いやー、狼の大群が来たときは、さすがのオイラもビビったぜ。でも、よく見りゃ昔の手下じゃん? だから親玉の姿に戻って『おまえら、森へ帰れ!』って一喝してやったのさ。そしたら、みーんな尻尾巻いて帰ってった!」
……いや、そんな雑な決着でいいのか。
異世界でグリムウルの親玉になっていたとはいえ、今回の襲撃までポンタのせいというわけではない。ただ、これを素直に手柄として褒めていいのかは、ものすごく迷う。
まあ、何はともあれ。リーネもカイもポンタも無事だった。
となれば、残る問題は町を襲った魔獣と魔人だ。
捕らえた元魔人の男には、知っていることを洗いざらい吐いてもらおう。
「ごあん」
ギンが右手を挙げ、朝ごはんをせがんだ。
――そうして、長すぎた夜が明けた。
みんなの無事は確認できた。だったら、まずは腹ごしらえだ。
レノルの町には、いつもの朝が戻りつつあった。
だが、通りのあちこちには襲撃の爪痕が残っていた。
教会へ避難していた人々も通りへ戻り、慌ただしく片づけを始めていた。
町の復興はギルド支部長を中心に冒険者たちが担い、騎士団からも応援を残してくれるという。
それでも、町を巡る魔力には、まだぴんと張りつめた気配が残っている。
恩寵の流れも、どこか落ち着かない。
カイもリーネも、まだ警戒を解いてはいない。
カーバンクルのゲンが宙に浮かび、真っ白な尻尾を揺らした。
「ご主人。影の匂いは薄れたわ。でも……消えたふりをして、まだどこかに潜んでいる。影の教団が動いた以上、残滓はきっとまた現れる。油断は禁物よ」
***
騎士団長マリアさんたちは、元魔人の男を王都へ護送することになった。
そして僕も、カイ、リーネ、三匹の聖獣とともに王都へ帰還した。
王都へ戻ると、騎士団長は捕縛した元魔人の男を地下牢へ収監した。
神殿の神官と尋問官に身柄を引き渡し、近衛の精鋭による厳重な監視もつけた。
その瞬間、謁見の間の光がふわりと揺れた。
【王宮地下ダンジョン調査:達成度一〇〇%】
【イベント達成】
街道の祠で魔人を撃退・捕縛しました。
女王陛下との謁見を完了しました。
報酬を付与します。
【報酬】
銀霜猫王ギン:神獣位階が上昇しました。
新規権能候補:浄化の光プラス
備考:本人の機嫌により発動率が変動します。
【連動報酬】
銀霜猫王の下僕一:肉体年齢が五歳プラス一歳、若返りました。
現在の肉体年齢:二十歳相当。
なお、下僕一の連動報酬【若返り】は今回で終了となります。
全身に活力がみなぎる。
息を吸えば胸が大きく開き、腰も膝も驚くほど軽い。
髪は黒々として、深く刻まれたしわも、染みも消えている。
眠っても抜けなかった疲れまで、重い外套とともに脱ぎ捨てたようだった。
けれど、肉体は二十歳でも、頭には五十年以上の記憶がある。
ならば、この若さと経験で誰かを守ればいい。
恩寵はこれで終わり――
ここからは、もう一度託された異世界での人生を、自分の力で積み上げていこう。
――じゅんび、かんりょ。
「ん? なんだ。準備って?」
――ゆうしゃ。
「え、勇者? いや、それはないわー」
神獣様と聖獣を従える下僕から脱しない限り、それはない。いや、あっても困る。
この光のアナウンスが僕を下僕呼ばわりするのをやめたら、勇者への道も考えていいかもしれない。だが、いかんせん僕はヘタレだし、力量不足なのは明らかである。
ギンとの他愛もないやり取りを、女王陛下とエルフェリアさんは笑顔で眺めていた。
「勇者アレクと、彼に寄り添った聖獣の伝説は、本人に自覚が芽生えてから話すことにしましょう」
「はい、お姉さま」
陛下は口元に手を添え、こぼれかけた笑いを上品に隠した。
対するエルフェリアさんは、呆れたように肩をすくめている。
けれど、その眼差しはどこか安堵しているようにも見えた。
「タロウ様は、ご自分がどれほど常識外れなのか、まだ理解しておられないようですね」
「常識外れって……僕はただ、ギンたちについて回っているだけですよ」
そう答えた途端、足元のギンが「にゃ」と短く鳴いた。
まるで、よくわかっているではないか、とでも言いたげに尻尾を立てる。
「ほら、本人も否定しておりません」
「今のは絶対、朝飯の催促です」
謁見の間に、ささやかな笑いが広がった。
張りつめていた空気がほどけ、カイもリーネもようやく肩の力を抜く。
長い戦いが終わったのだと、僕もそこで初めて実感できた。
けれど、女王陛下の笑みはすぐに静かなものへ変わった。
「勇者とは、剣を抜く者だけを指す言葉ではありません。人を導き、災厄の中に道を開く者もまた、そう呼ばれるのです」
陛下の澄んだ瞳が、僕ではなく、僕の足元に集まる三匹の聖獣へ向く。
ギンは知らん顔で前脚を舐め、ポンタは眠そうに欠伸をし、ゲンだけが意味ありげに尻尾を揺らしていた。
「あなたが何者になるのかは、まだ誰にもわかりません。ですが、影の教団が再び動き始めた今、神獣たちがあなたを選んだ意味はいずれ明らかになるでしょう」
背筋に、若返りの恩寵とは別の熱が走った。
二十歳の身体を得たばかりだというのに、この世界はもう、次の役目を僕に押しつけようとしているらしい。
「だから、修行よ。私たち、今よりずっと強くならなくちゃ」
念を押すように、ゲンの尻尾がゆらゆらと揺れる。
すると、ポンタが柴犬姿のまま、負けじと勇ましく吠えた。
「おう! オイラはもっともっと強くなるぜ! 影の化け物なんざ、まとめてバリバリ噛み砕いてやらぁ!」
カイが、決意を固めるように腕を組む。
「タロウさん。俺たちも、一から鍛え直しましょう」
その隣で、リーネも静かに頷いた。
「あたし、今回の件で、学校で学んだことと、実戦経験の違いを思い知りました」
そのとき、ギンが僕の足を前脚でポンポン叩いた。
「ごあん」
「……はいはい。勇者話より、昼飯だな」
笑い声に送られながら、僕は三匹を連れて謁見の間をあとにした。
けれど背後では、女王陛下とエルフェリアさんは、もう笑っていなかった。




