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僕が死んだ夜、猫は「ごあん」と鳴いた ~銀色の相棒と異世界を歩く~  作者: 浮島太郎
修行は過酷でも銀猫様の粗相で全部台無し

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第41話 魔人が現れたけど、うちの猫にあっさりボコられた

街道脇の古びた祠は、轟音とともに崩れ落ちた。

砕けた岩盤の隙間から、墨を流したような瘴気が噴き上がる。

次の瞬間、瓦礫の下から巨大な腕が突き出し、入口を塞いでいた岩を吹き飛ばした。


現れたのは、もはや人間とは呼べない“何か”だった。

全身を覆う黒い鱗は鋼の鎧のように鈍く光り、額からは鬼のように二本の角が伸びている。

背中で大きく開いた蝙蝠のようなヌメヌメした翼が、周囲の瘴気をかき混ぜる。

 

森の獣が瘴気に侵されれば、魔獣になる。

ならば、人間が瘴気を取り込んだらどうなるのか。

僕らはその答えを、最悪の形で目の当たりにしていた。

 

息を吸うたび、焦げた鉄のような臭いが肺へ入り込んできた。

目の前の存在が放つ圧力だけで、膝が笑いそうになる。

隣では騎士たちが剣を抜いているが、誰もすぐには踏み込めない。


「我は魔人。闇の力によって至る新たな存在だ。貴様ら魔法使いの力など、とうに凌駕している」


「新たな存在、だって……?」


僕の呟きを拾った魔人は、裂けるような笑みを浮かべた。


「そうだ。祈るだけで力を与えられる者を、指をくわえて見ている時代は終わった。我らは自ら闇を選び、自ら力を奪い取ったのだ」


魔人が森へ向かって耳障りな咆哮を放つ。

茂みが一斉に揺れ、地面を震わせながら魔獣の群れが飛び出してきた。

先頭には五体の瘴牙猪・ヴェノムボア。

その後ろからは、二体の巨大な瘴爪熊・アビスグリズリーが迫っている。

ヴェノムボアの牙には黒い粘液がまとわりつき、踏みしめる蹄の跡から草が枯れていく。

二体のアビスグリズリーの目は赤く濁り、口の端から黒い瘴気を吐いていた。


「恐れるな! 正面は私たちが止める。タロウ殿は聖獣様たちの援護を!」

「援護って、具体的には!?」


マリアさんは剣を正眼に構えたまま振り返らなかった。

「生き延びてください!」

「要求が最低限すぎる!」


呼びかけるより早く、銀猫のギンと聖獣ゲンは地面を蹴っていた。

二体は迷いなく敵陣をすり抜け、後方のアビスグリズリーへ向かう。


――おおきいやつ、やる。

「どっちも大きいけど!?」


――くま。

ゲンが低く吠え、白い光をまとってアビスグリズリーへ突進する。

ギンはその背から跳び、アビスグリズリーの額へ前脚を叩きつけた。

ぱしん。

聖なる光が広がり、黒い瘴気が剥がれていく。


「ヴェノムボアは騎士団が迎え撃つ! 隊列を崩すな!」

騎士団長マリアの号令が飛び、騎士たちが盾を並べる。

五体の巨体が激突し、金属音と土煙が街道を覆った。


これなら役割分担は完璧だ――

そう思って振り返ると、なぜか魔人の視線が、まっすぐ僕を捉えている。

怒号の中、魔人の黄色い瞳だけが、僕を獲物として捉えていた。


「そうか。貴様が勇者の魂を持つ者か。ならば、ここで死ね!」


「いや、嘘でしょ!? 無理無理無理! そもそも勇者の魂ってなんだよ!」


魔人の掌に黒い光が集まり、空気がびりびりと震える。

逃げようにも足が動かない。


「待て待て、待ってくださーい! 僕は勇者なんて一度も――」


黒い光が拳ほどに凝縮され、粉々になった小石が、魔人の掌に吸い寄せられていく。

あんなもん受けたら跡形もない。


そこへ、ギンの念思が頭の中へ響いた。

――とりあえず、みぎ。


「その『とりあえず』の前に死んじゃうよ!」

僕は飛び退こうとして足をもつれさせ、地面へ倒れ込んだ。

黒い閃光が髪をかすめ、背後の岩を粉砕する。


その直後、浄化を終えたギンとゲンが森から戻ってきた。

――がんばった

「遅いよ、ギン!」


――おとり。

「作戦みたいに言うじゃあないか!?」

ギンは返事の代わりに尻尾を一度だけ振った。たぶん褒めている。


騎士団も負けてはいない。五体のヴェノムボアはすでに制圧されていた。

「団長、全頭沈黙しました!」

「油断するな。瘴気が残っている!」

騎士は慌てて剣を構え直した。


結果として魔人を足止めしていた僕は、迷わずギンの背中へ避難した。

銀色の毛並みの向こうで、魔人とギン、ゲンが対峙する。

さらに騎士たちが半円を描くように包囲を狭めた。


「獣ごときが、我に逆らうか!」

――ねこだ。

「そこ、訂正するところなのか?」


「小賢しい!」

魔人が両腕を振り上げ、頭上に三つの黒い火球を生んだ。

生命を凍らせるような冷気が押し寄せる。

一つはゲンの光弾が撃ち抜き、一つはマリアさんが盾で逸らす。

最後の火球は、ギンの尻尾が霧のように散らした。


ぱしん。

ギンの前脚が黒い鱗を打つたび、聖なる火花が散る。

逃れようと翼を広げた瞬間、ゲンの光の鎖が両腕と翼を絡め取った。


「なぜだ! なぜ我の力が通じぬ!」

ゲンが鎖を引き、魔人を膝につかせる。


「私は選ばれた! あの方に、神を超える力を授けられたのだ!」


「あの方?」


魔人は、しまったという顔で口を閉ざした。


「今だ! 一斉にかかれ!」

騎士たちの斬撃が鱗の隙間を捉え、白い亀裂を広げる。

魔人が翼でもがく中、僕はギンの毛へしがみついた。


「ギン、あと一発だ!」

ぱしん。

銀の軌跡が魔人の胸を貫き、瘴気の核を打ち砕いた。

やがて角が崩れ、翼が消え、黒い鱗の鎧も剥がれ落ちた。


そこに転がっていたのは、魔人でも怪物でもない。ただのオッサンだった。

「……え?」

誰かの間の抜けた声が、静まり返った街道に落ちた。

僕も同じ感想だった。


さっきまで空を覆うほどの翼を広げていた存在が、

今は破れた法衣をまとい、泥の上で浅い呼吸を繰り返している。


「生きているのか?」


「脈はある。だが、この法衣……」

膝をついた騎士が、男の胸元に残る刺繍を指でぬぐった。

泥の下から現れたのは、神殿の紋章だった。


「この男……神官だ……」

騎士の一人が男の顔を確かめ、息を呑む。

「見間違いでは?」


「いや、この顔を知っている。王都の神殿で説教をしていた男だ」


「神官が、魔人に……?」

 騎士たちの間に動揺が広がる。マリアさんだけは表情を崩さず、男の両腕を背中へ回して拘束具をはめた。


「推測は後だ。口の中も確認しろ。毒や術具を隠しているかもしれない」

「はっ!」


「それから祠の周囲を封鎖。奥へ入るのは、瘴気の濃度を確かめてからにする」


神に仕えるはずの神官が、なぜ瘴気を受け入れ、魔人になったのか。

男は厳重に拘束され、王都へ連行されることになった。

指示を出し終えたマリアさんが、ようやく僕たちの方へ振り返った。

戦いの最中は鋼のようだった表情が、少しだけ緩む。


「聖獣様方、感謝いたします。お二方がいなければ、被害は避けられませんでした」


――とうぜん。

ギンが胸を張る一方、ゲンは静かに鼻を鳴らした。

僕だけが何もしていないような気がして、そっと視線を逸らす。


「タロウ殿もだ。敵の注意を引きつけてくれたおかげで、包囲を整えられた」


「あれ、正式に囮扱いなんですね……」


「タロウ殿、よくやってくれた! 聖獣様たちも大手柄だ!」

マリアさんに力強く手を握られ、僕は反射的に背筋を伸ばした。

中身は五十六歳でも、若い身体はこういう距離の近さに慣れていない。

「顔が赤いぞ。本当に怪我はないのか?」

「いや……気にしないでください!」


僕が慌てて手を引くと、マリアさんは不思議そうに首を傾げた。

背後でギンが、いかにも呆れたように大きなあくびをする。


――だらしがない。

「年齢と慣れは別問題なんだよ」


「何の話だ?」

「本当に、何でもありません!」


どうにか笑って応じながらも、僕の頭からは魔人の言葉が離れなかった。

勇者の魂。神の恩寵を得られなかった者たち。そして、魔人へ堕ちた神官。

崩れた祠の奥には、まだ冷たい闇が口を開けている。

今回の戦いは終わった。

けれど、もっと大きな何かが動き始めた――そんな嫌な予感だけが、いつまでも胸の奥に残っていた。



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