第40話 くっころとモフモフ、偽リーネをぶった斬る!
逃げたシャドウプレデターが、どうしても気になる
――カイはそう言った。
どうやら、レノルの町へ向かったらしい。
レノルはカイの故郷で、両親が暮らす町だ。
リーネもレノルの学友たちが心配だという。
「タロウ、絶対に無理はしないから、俺らだけでも先に追跡させてくれ」
「タロウさん、私も友達が心配…先に行かせて」
親子ほども年の離れた年長者としては、行かせたくない。
けれど、冒険者としての二人の意志を無視するわけにもいかなかった。
「それなら、ポンタを連れていくのはどうかな?
追跡なら鼻が利くし、いざとなればグリムウルにもなれる。戦力としても頼もしいから」
「おう、二人の面倒はこの俺様に任せろ!」
ポンタ――名前どおり弱そうで、昔はビビりな柴犬だった。
それがこの異世界では、すっかり男らしく頼れる奴になった。……まあ、魔獣だしね。
「カイ、リーネ、そしてポンタ、決して無理はしないようにね。
危険だと思ったら、すぐに逃げるんだよ」
「大丈夫、俺はシーフだよ。駄犬も鼻だけは利く」
「頼んだよ、駄犬」
「誰が駄犬じゃい!」
こうして僕たちと別れた三人は、そのままシャドウプレデターの追跡へ向かった。
ポンタの居場所なら、ギンとゲンがいつでも把握できる。
意思疎通スキルの一種らしいけど、残念ながら僕には使えない。
……さすがは聖獣様同士だ、これも野生の勘の延長なのか。
王宮の謁見の間では、女王陛下とエルフェリアさんが僕らの報告を待っていた。
ただし、そこには見るからにゴツいおっさんと、一人の女騎士まで控えている。
いやいや、これはいったいどういう状況ですかね? 物々しいにもほどがありますとも!
エルフェリアが、二人を紹介してくれた。
「王都を揺るがす大事に備え、女王陛下の命により、ギルドを束ねるギルドマスターと、王国騎士団長にも同席をお願いしました」
「ギルドマスターを務めるアイザックだ。
場合によっては、傭兵や冒険者に依頼をする必要もあるだろうとの仰せだ。
皆の安全のために、君たちの報告を聞きたい」
続いて、エルフェリアは女騎士へ顔を向けた。
「こちらは王国騎士団長、マリア・ロゼ・ロートシルトです」
「“閃光”の二つ名を持つ、聖剣士でもあります」
「王国騎士団長を務める、マリアです」
(おぉ! くっころだ……これぞまさしく、くっころの女騎士様だ。)
今さら気づいた。どうやら僕は、くっころ系の女騎士が大好物らしい。
その騎士団長マリアは、頬をわずかに上気させて――
「こ、こちらが神獣様、そして聖獣様……」
(いや、その顔は、モフモフだろ? あんたもモフモフが欲しいんだろ?)
ひととおり自己紹介を終えると、僕は女王陛下へ報告を始めた。
地下ダンジョン入口の大広間には、遠隔操作されていると思われる人型の魔物
――シャドウプレデターが五体、潜んでいた。
さらに岩陰から、地上へ続く横穴も見つかった。
おそらく奴らは、その穴を掘って侵入したのだろう。
ただし、大扉からダンジョンに侵入した形跡は確認できなかった。
大扉には黒い瘴気の痕跡が残っていた。
シャドウプレデターを使って力ずくで開けようとしたらしいが、封印と結界に阻まれ、侵入には失敗したようだ。
現在、封印局の面々が大扉の封印と結界の修復にあたっている。
逃走した一体については、瘴気の跡をたどり、敵の拠点を突き止めるつもりだ。
すでに仲間が先行して追跡している。
「騎士団も、この国を脅かす影の教団を追っている。先行した君たちの仲間が心配だ。
我々からも応援の騎士を出そう」
ギルドマスターが呻く。
「シャドウプレデター……奴らは遠隔操作されているのだろう。
影の教団……すでに王宮の地下まで入り込んでいたのか」
騎士団長が低く呟く。
「……これは、まだ序章よ。影の教団は、もっと大きな計画を持っているわ」
それから一刻もしないうちに、僕たちは王都を発った。
月は厚い雲に隠れている。街道を照らすのは携行灯と、カーバンクル――白猫のゲンの額で頼りなく揺れる赤い光だけだ。
呼びかけても返事はない。宝石の奥で誰かの影がまたたくたび、ゲンの小さな爪が僕の外套へ食い込んだ。
「にゃん!」
ギンの合図で一行が止まる。
ギンが牙をむき、喉の奥で唸る。
風は町の方角から吹いているのに、黒い霧は流されず、東門を中心に脈打っていた。
瘴気だ。だが、これまでのものとは違う。
瘴気の出どころは街道脇の祠だった。東門の外れ、古い石橋のたもとにある。
普段なら旅人が道中の無事を祈るだけの小さな建物だ。
けれど今、その観音開きの扉は内側から押し広げられ、隙間からは古い石室を開けたときのような、冷たく乾いた気配が漏れていた。
外から見れば、十歩も進めば奥へ届くはずの小さな祠だ。
なのに内部では、地下へ続く螺旋階段がぽっかりと口を開けていた。
黒い筋が生き物の根のように石段を這っていた。
壁には召喚状と同じ円環が刻まれ、その周囲を五つの窪みが取り巻いている。
四つは暗く、ひとつだけが青白く灯っていた。
階段を下りきると、白い石の広間に出た。
中央には浅い水鏡のような黒い面が広がり、その縁にリーネが立っていた。
僕たちの姿を認めると、彼女は泣き出しそうに唇を震わせた。
「タロウさん、よかった。早くこっちへ来て。足が動かないの」
一歩踏み出しかけた僕の前へ、ギンが素早く滑り込んだ。
低い唸りが広間に響く。
ゲンも真っ白な毛を逆立て、リーネに牙をむいている。
その額の宝石から漏れる赤い光と、リーネの足元の青白い光が、互いを探るように明滅する。
「どうして止まるの?」
リーネは、僕の癖を真似るようにわずかに首を傾げた。
「ギンも、ゲンも、私を知ってるでしょう」
――ちがう。
ギンが言うと、リーネの笑みが止まった。
「こいつは、リーネちゃんじゃないわ!」
ゲンが叫ぶ。
リーネの顔から表情だけが抜け落ちた。
瞬きも呼吸もせず、しばらく僕を見つめる。
やがて口元が、頬の形を無視して横へ裂けた。
「神獣や聖獣には、擬態は通用しないのですね」
声はリーネのままなのに、口から重なって低い音が聞こえた。
足元の黒い水面から細い腕が何本も伸び、彼女の背中へ縫いついていく。
髪は水中の藻のように浮かび、瞳の奥には五つの光点が輪になって回っていた。
「擬態霊体が展開する前に叩く! 騎士たちは左を封じろ!」
マリアが聖剣を床へ突き立て、騎士が盾を構える。
しかし偽物は逃げず、むしろ両腕を広げて僕たちを招いた。
ギンとゲンが同時に飛び出す――その寸前、僕は黒い水面の奥に目を奪われた。
そこに、もう一人のリーネがいた。
水鏡の遥か水底、黒い触手に手足を絡め取られ、必死にこちらへ何かを訴えている。
声は届かない。けれど、その唇は確かに動いていた。
――私ごと、斬って。
「私を傷つければ、器となった人間も壊れる。とても公平でしょう?」
偽物のリーネは、水底の彼女とまったく同じ笑みを浮かべた。
「さあ、どちらを選びますか。四の魂」
「くっ! 手が出せない」
と、言いかけた騎士団長の足元を、ギンが銀の風となって駆けた。
ギンの爪は偽物の身体には触れず、その背でうごめく黒い触手だけを断ち切った。
続いてゲンが低く飛び込み、噛みついた黒い触手を水鏡の外へ引きずった。
切れた触手は床でのたうち、偽物の輪郭が大きく揺らぐ。
偽物そのものが本体じゃない!
リーネを縛る黒い触手を通して、リーネの姿を水面へ映しているのだ。
「本体は黒い触手だ! 触手を切り離して、水面から引き離してください!」
「僕が潜ります!」
ゲンが僕の肩から跳び、水面の縁へ前脚を叩きつけた。
円環の青白い灯が一瞬だけ消え、リーネを縛る黒い触手から力が抜ける。
額の宝石から赤い輪が広がり、黒一色だった水鏡に、細い透明な亀裂が走る。
僕は息を吸い、ゲンの開いた亀裂へ飛び込んだ。
水じゃない。これは、二つの場所を重ね合わせる膜だ。
冷たさも水圧もなかった。
上下さえ曖昧な暗闇の中で、リーネだけが遠ざかっていく。
伸ばした指がリーネの手首に触れた瞬間、知らない記憶が僕の頭へなだれ込んできた。
泣き叫ぶ旅人、名を奪われた兵士、同じ祠の前で何度も繰り返される別れ。
偽物が集めてきた声だった。
「タロウさん……来ちゃったの?」
弱々しい声。それなのに、どこか呆れたような響きが混じっていた――それだけで十分だ。
「助けを呼ばれたからね。本物の君に」
消えていた鎖が再び輝き、僕らを締め上げる。
外からギンの咆哮、ゲンの唸りが重なった。
胸の奥で、あの遠い鐘が鳴る。
硬い音が一度だけ響き、拘束は粉々の光になって消えた。
広間へ押し戻された僕たちは、水鏡の縁へ転がり出た。
マリアがすぐにリーネを抱き起こし、脈を確かめる。
浅いが、息はある。
リーネは目を閉じたまま、僕の袖を離さなかった。
支えを失った偽物は、ギンとゲンの間で膝をついた。
偽物リーネの顔が、黒い水へほどけていく。
それでも五つの光点だけは宙に残り、輪を描きながら僕たちを見下ろしていた。
「四つは揃った。五つ目も、間もなく目を覚ます」
声が途切れると同時に、水鏡が底から割れた。
白い石壁が震え、天井から砂が降る。
僕はリーネを背負い、ゲンが退路を照らす。
僕らは崩れ始めた螺旋階段へ駆けた。
地上へ飛び出した、その直後――背後で祠の入口が轟音とともに崩れ落ちた。




