第28話 神獣様が用を足したら、なぜか希少精霊獣が一匹増えた
翌朝。レノル南門の外に、封印隊が整然と並んでいた。
セラフィナ隊長が手を上げる。隊列が動き、僕たちは南門を背に森へ向かった。
目的は、森の奥の瘴気核を封じること。
南門をくぐった途端、ギンの耳がぴたりと前を向いた。
尻尾が沈む。僕の背筋も粟立った。
ユーディアが境界石を調べ、顔を曇らせた。
「報告より、ずっと深いです。漏れだけ止めて進みますか? それとも、ここで直しますか?」
ユーディアは指先の光を弱め、首を横に振った。
「ただ、本格修復は無理です。森全体となると、私とミルドだけではもちません」
「なら、綻びだけ止める。二分半くれ」
封印術者ミルドは即座に膝をつき、境界石の亀裂へ封印符を叩き込んだ。
森へ入った途端、音が消えた。
鳥も鳴かず、風さえ枝葉の向こうで息を潜めている。
ギンは匂いを探り、森の奥へと進んだ。
先には、直径二メートルほどの黒い瘴気溜まりがあった。
鑑定する。放置すれば小動物が魔獣化するが、今なら浄化できる。
「カイ、リーネ、火を寄せてみようか。」
僕たちは三方向へ散り、初級浄化の火で瘴気を囲んだ。
拳大の淡い橙色の火が、黒い霧をジュッと焦がす。
そこへギンの前脚が、ぱしん。
叩かれた土が元の色を取り戻した。
温めて、叩く。
焦げついた鍋底を落とすような、妙に生活感のある連携だった。
中心に残った黒い泡を、火と猫パンチが同時に捉える。
ぷつりと弾け、霧も悪臭も消えた。
視界の端に、半透明の表示が浮かんだ。
『森の境界異常調査:進捗八〇%』
浄化手順〈温火補助+銀猫打撃〉を確認
ギンが満足そうに鼻を鳴らした。
だが、ギンは森の奥を見たままだ。
――まだ。
ここは、流れ込んだ瘴気がたまっただけ。
水たまりを干しても、源を塞がなければ終わらない。
やがて地面に、どくん、どくんと脈打つ黒い筋が現れた。
瘴気脈だ。前回は、ここを通ってシャドウプレデターが襲ってきた。
背中を冷たい汗が伝った。
奥へ進むほど瘴気脈は太くなり、足裏にまで不気味な鼓動が響いた。
さっきまでなら「猫パンチで世界を救う」とか言って笑えたのに、
もう冗談を挟む余裕は欠片もない。
「ギン。まずいと思ったら、すぐ逃げるぞ」
――わかった。
低い唸りを返す相棒に先導を任せ、僕らは黒い筋を避けて進んだ。
空地の中央に、倒木じみた黒い塊が根を張っていた。
すべての瘴気脈がそこへ集まり、脈動のたびに空気が重く沈む。
『瘴気核。境界石を侵食する発生源。
浄化難度:高。単独対応非推奨。
銀霜猫王の権能(スキル浄化)に反応あり
最終目標を見つけた!
核が瘴気を吸い戻す。隊長の号令が飛んだ。
「散開! ユーディア、結界! ガルドとカイは脈を断て! バルツは解析、ミルドは封印! リーネとタロウは――ギンの道を開け!」
僕たちの火が殻を炙る。
ひび割れた箇所をギンが剥がし、露出した黒い肉へミルドの封印符が突き刺さった。
瘴気脈が地面を抉り、幻惑が頭を揺らす。結界が軋み、盾が黒く染まった。
あと一つ、――最後の封印点へ手を伸ばした瞬間、脈動が逆流した。
「浄化を止めろ! 封印に切り替え!」
号令と同時に全員が杭へ飛びつく。
核がうねり、衝撃で僕の身体が地面を滑った。
「押し返せ! 退けば森が呑まれる!」
隊長が瘴気脈を斬り、ギンが残りを断つ。
「捕まえた――封印!」
ミルドが両手を合わせると、白い封印輪が一気に閉じた。
鼓動は弱まった。だが、核も地下へ伸びる瘴気脈も消えてはいない。
視界に表示が浮かぶ。
『森の境界異常調査:進捗九〇%』
表層浄化および一次封印に成功。
ギンが封印された核へ鼻先を寄せる。
――まだ、いる。。
ギンが封印輪の脇へ向かい、前脚で土を掻き始める。
ざしゅ、ざしゅ。
「待て、ギン。まさか、ここで……?」
――ぎしき。
本人が言うなら、儀式なのだろう。たぶん。
儀式か用足しか。僕には分からない。
ギンは掘り終えた窪みにちょこんと収まると、こちらを一度だけ振り返った。
――みないで。
精鋭たちは一斉に顔を背けた。統率が怖い。
その直後、ぴちょん、とあまりにも日常的な音がした。
封印輪が金色に染まり、核が最後の抵抗のように脈打つと、内側から澄んだ光があふれ、瘴気脈は白い灰へ変わっていった。
薄闇が裂け、木々の隙間から陽光が差し込む。
浄化跡を包むように、七色の美しい虹が低く森の中に弧を描いた。
虹の光が、サーッと僕たちへ降り注いだ。……少し躊躇する。
温かな光が全身を抜ける。疲れが消え、手の甲の皺まで薄くなっていた。
……これは、ただの回復じゃない。
視界の表示が、目を開けていられないほど強く輝く。
【依頼を完了:達成度一〇〇%】
【イベント達成】
「森の瘴気源封印作戦」を完了しました。
【報酬】
銀霜猫王ギン:神獣位階が上昇しました。
新規権能候補:サイズ変更/身体可変レベルが上昇しました。
備考:ペットモード(ミニマム化)を獲得しました。
【連動報酬】
下僕一:肉体年齢をさらに五歳若返らせました。
現在の肉体年齢:三十一歳相当。体重65キロに減量。
下僕三名に、浄化の火魔法(中級)を付与
ギンの額に蒼い紋が浮かび、淡い光輪が耳のあいだに灯る。
僕はまた、五歳も若返った。異世界の報酬は加減を知らない。
カイとリーネの掌にも、新しい光が脈打っていた。
王都の精鋭たちは、浄化された跡地とギンを交互に見た。
全員、同じ顔をしている――どう報告書に書けばいいんだ、という顔だ。
「浄化塔を全部使っても、数か月はかかる核だぞ? それを……猫の、あれで?」
「その『あれ』は何だ」
「あれではない。儀式だ」
ギンは胸を張った。
――ふんすっ!
「そこ、胸を張るところなのか?」
セラフィナ隊長はこめかみを押さえた。
しばらく天を仰いだあと、それでも厳粛な顔へ戻ってうなずく。
「報告書には『神獣の浄化儀式』と書く。異論は?」
誰も手を上げない。
「よし。決まりだ」
張り詰めていた空気が、ようやく緩みかけた――そのとき。
浄化された瘴気核の残骸が、ぱきりと割れた。
裂け目から、熱のない四色の炎が噴き上がる。
火の粉が虹を呑み込み、その中心で小さな影が身を起こした。
白い獣。その額には赤い宝石が輝いていた。
『カーバンクル。浄化された地脈の火と虹光から生じる希少精霊獣。敵意なし』
「ん? いや、ちょっと待て、おまえ……?」
丸い目も、欠けた左耳も、昔飼っていた白猫そのものだった。
胸の奥で、忘れたふりをしていた記憶が一気にほどける。
でも、ゲンは死んだ。三十年も前だったが、確かに僕の腕の中で見送ったはずだ。
白猫は額の赤い宝石をきらりと光らせ、昔と同じように前脚を上げた。
「よっ、ご主人! 久しぶり! あの世に召されて以来!」
涙が半分引っ込んだ。この遠慮のなさ、軽薄さ。
「そうそう。白猫のゲンちゃんだよ。起きたら進化しちゃった、みたいな?」
「……そういうキャラだったの?」
ゲンは、神獣ギンを見て止まった。
宝石と光輪が鳴り合う。
――しってる。
「あそこから出してくれてありがとう。でも、どうやって?」
ゲンはギンを上から下まで眺めた。
僕はゲンを抱き上げた。
「知らない方が良いことも多いんだよ」
記憶より温かい。ゲンは胸へ頭を押しつけ、ギンは尻尾を鳴らす。
「で、新入り。おまえ、どっち側で寝る?」
――僕の異世界生活は、猫一匹分、扶養家族が増えて、さらに騒がしくなりそうだ。




