第27話 王都の精鋭といえども、モフモフ神獣に即落ちです
封印隊が到着するまでに、町の南側に潜む危険を洗い出さなければならない。
地図を片手に、僕はギンと町の南側を巡った。
カイは地面に残る痕跡を追い、リーネは糸のように細い風を這わせて、瘴気の淀みを探っていく。
僕の役目は、ギンのわずかな反応を拾い、危険の種を一つ残らず地図に刻むことだ。
要するに、猫語対応係である。
――ここ。
町外れに差しかかった、そのときだった。
ギンが古井戸の前で、ぴたりと足を止める。
見た目は、ただの古びた石組みだ。ひび一つ、妙な染み一つない。
なのに尻尾は低く垂れ、耳は獲物を射抜くように正面を向いていた。
僕は地図に赤い印を付けた。
「ギン。この井戸、まずいか?」
――にがい。
「味で分かるんですか? さすが銀猫様」
いや、そこは感心していいのか。毒見の基準がざっくりしすぎだろう。
リーネが井戸の中へそっと風を送り込む。
次の瞬間、底なしの闇から冷気が噴き上がり、薄黒い瘴気が煙のように井戸の縁を這った。
カイはすぐさま木札を取り出し、井戸に掛けた。
「使用禁止だ。飲み水は北井戸に統一する」
夕方までに、南門周辺の封鎖線と避難経路はどうにか形になった。
ギンが尻尾を揺らすたび、地図に危険地点を加え、人員の配置と通行路を組み直していく。
――まだ。
「良くはなっています。でも、まだ足りないそうです」
支部長は短くうなずいた。
「封印隊が来るまで持たせる。今日やるのは、それだけだ」
その言葉どおり、町は日暮れまで補強作業と避難経路の確認に追われた。
森へは踏み込まない。町の外縁で食い止める。
そのための備えを、僕たちは黙々と積み上げていった。
地味だが、命が懸かると地味な作業ほど頼もしい。
日が傾くにつれ、南門の向こうに広がる森は、墨を流したような黒に沈んでいった。
そして――静寂を切り裂くように、見張り台の鐘が鳴り響いた。
待ちわびた援軍の到着を告げる鐘だ。
ほどなく、王都の封印隊がレノルへ入った。
南門の外に止まった馬車は三台。
先頭の馬車から白い影がひらりと舞い降りた。
外套を翻して着地したのは、一人の女性だった。
脳内に薔薇が咲いた。男装の麗人。まるで舞台のスターだ。
(あ、転んだ)
「王都封印局、隊長のセラフィナ・ローデンだ。緊急要請を受け、ただいま到着した」
(あ、くっころだ。うん。くっころだね)
日本が世界に誇る文化、「くっころ」そのままの綺麗な美人戦士さんだ。
登場は百点、躓いたので着地で減点。
だが名乗りだけで全部押し切った。強い。
その後ろから、封印術師ミルド、結界師ユーディア、盾役ガルド、瘴気鑑定士バルツが次々と降り立った。術式、結界、防御、鑑定――四人の装備を見れば、核を封じるための役割は一目で分かる。
ミルドさんとバルツさんには悪いが、ユーディアさんの豊満な胸に、どうしても目が行ってしまう。若返ったせいか、昔なら飲み込めた浮ついた考えまで顔を出す。これでは明日の作戦に集中できない。
「これが、若返りの副作用なのか」
「いや、いっそ異世界ハーレムものになったらよいのに……」
そんな僕の劣情を見透かしたかのように、
元ペットのギンが僕をじっと見つめていた。
――かお。
まず自分の顔を見ろ、とギンの視線が言っていた。
「若返っても……ハーレムは無理だな」
はっきりと、ギンの言わんとする現実が容赦なく言葉になって胸に突き刺さる。
僕は何だか、いたたまれない気持ちになって、「ごめん」と呟いていた。
そんな脳内会議をしている間に、現実の自己紹介はとっくに終わっていた。
そして当然のように、全員の視線がギンへ吸い寄せられた。
「ほう。これが神獣か」
「すごい……威厳が違いますね」
「神獣様とご一緒できるなんて、光栄ですわ」
三者三様の褒め言葉だが、視線だけはそろってギンの毛並みに刺さっている。
だが、セラフィナとユーディアの瞳は、威厳や風格とは別の何かを雄弁に物語っていた。
あの熱っぽい視線だけで十分だ。
(モフモフ……、モフモフだ……。 くっ、ここで本音をさらすわけには……)
(いやーん! モフモフに顔をうずめたい、モフモフなしっぽに巻かれたい!)
いや待て。君たち、本音が盛大に漏れているからな!?
封印より先に欲望を封じてくれ。
それにしても、みんなモフモフに弱すぎないか。
そういえば、嫁に行った娘もよくモフモフを追いかけていた。
猫に引っかかれては懲りずに抱き上げていた。
元気にしているだろうか。
不意に、支部長が深く息を吐いた。和らいでいた空気が、一瞬で張りつめる。
「よし。封印作戦は明日、決行する」
その夜、ギルドの会議室はいつになく狭く、そして静かだった。
支部長、セラフィナ隊長、封印隊、リーネ、カイ、そして僕。
そこへ銀色の巨大猫が当然のように横たわる。
会議室の余白は、ほとんどモフモフに占拠されていた。
絵面だけなら、どう見ても猫を囲む会だ。
重苦しい沈黙に耐えかねて、僕は前から気になっていたことを口にした。
「王都から封印隊が来るなんて、ずいぶん大ごとなんですね」
隣にいたグレイル支部長が、そんなことも知らなかったのかと言いたげに眉を上げる。
「ああ。王都の封印局は王の直属だからな。王命で動いている」
王の命。その言葉に、この場の緊張が少しだけ現実味を増した。
「その王様って、どんな方なんです?」
グレイル支部長は腕を組み、当然のことを説明するように答えた。
「ハイエルフの王だ。もう数百年、この国を治めている」
数百年。僕の人生を何周させれば届くのか。
言葉を失っていると、グレイル支部長はわずかに口元を緩めた。
「国民の信頼も厚い。この国で王を敬わない者は、まずいないな」
へえ、と感心しかけた僕を見て、グレイル支部長はふと思い出したように付け加えた。
「ああ、それと、エルフェリア村長も王族だぞ」
「……え?」
それも初耳だ。頭の中でばらばらだった情報が、一本の線につながった。
どうやら、この瘴気は国の中枢に近い問題らしい。
だが、驚いてばかりもいられない。
くっころ隊長が卓上の図面に手を置くと、全員の意識が明日の戦いへ引き戻された。
「作戦を確認する」
まず、三重の封印陣で瘴気脈を断つ。脈が途切れた瞬間、第二陣が核の脈動を鈍らせる。
最後は――ギンが浄化し、封印隊が縛る。僕はギンの意思を全員につなぐ。
つまり今回も、通訳の腕が命綱というわけだ。
三度目の若返りで、体は三十六歳相当まで戻り、以前よりずっと軽い。
だが明日、ギンの意思を一度でも読み違えれば、封印陣の内側で全員の命が途切れる。




