第24話 北の森から迫る気配
宿の裏庭へ出た瞬間、僕は思わず足を止めた。
目を覚ましたギンが、門の方を向いて静かに座っていたのだ。
前脚をきっちりそろえ、尻尾を巻いたその姿は、命令を待つ武士そのもの。
――いや、待て。主君はギンで、命令を待つのは僕の方だった。
肉皿から顔を上げたギンが、ぴたりと耳を北の森へ向けた。
――けがれ。
低く、短い。いつもの気の抜けた響きは欠片もない。
僕らには見えない何かを、ギンだけはとっくに捉えている。
こういうときの猫は、だいたい人間より話が早い。
――ちかい。
空気が冷え、ギンの尻尾が止まった。
エルフェリアはギンの警告にうなずき、僕らを見渡した。
「皆さん、お願いします。この異変を、グレイル支部長に報告してください」
村人たちの視線を受け、彼女は言葉を継ぐ。
「村長として、ギルドに正式な調査と援軍を要請します」
結界が破れかけているなら、発生源の調査にも村の防衛にもギルドの判断が要る。
カイは食べかけのパンを皿へ戻し、身を乗り出した。
「確かに。まずギルドへ話を通すのが筋だな。
村長。俺たちが戻るまで、村は大丈夫ですか?」
エルフェリアは即座にうなずいた。
「結界は私が支えます。村人には森へ近づかせず、見張りも立てます」
リーネが北の森へ意識を澄ませる。
「今はまだ、精霊さんたちの声が聞こえます。
でも、これ以上瘴気が濃くなったら……」
肩が強張る。窓辺の淡い光も、ほとんど消えていた。
「急いだ方がいいです」
ポンタが短い前足で胸を張る。
「おいらも行くぜ! エルフェリアの姉さんのおかげで、もう全快よ!」
だが、エルフェリアは即座にしゃがみ込み、首を振った。
「あなたはダメです。まだ、しばらく様子を見ます」
きっぱり止められ、ポンタの耳がしゅんと垂れた。
そこからの動きは早かった。
危機対応に必要なのは、会議ではなく即行動。
元会社員としては、実にありがたい職場である。
エルフェリアは異変と結界の状態、正式な要請を封書にまとめ、僕へ差し出した。
「これをグレイル支部長に渡してください。
きっとすぐに動いてくださいます」
ミナも「女将さんからです」と保存食の袋を差し出す。
大人たちも、子供への注意と見張りの手配を急いでいた。
最後にエルフェリアは、胸元から親指ほどの銀の鈴を取り出した。
「この鈴は、結界の乱れに反応します」
「鳴り続けたら、レノルまで待たず、最寄りの詰め所から早馬を出してください」
封書を懐へ収め、鈴を握る。
「分かりました。必ず、グレイル支部長に届けます」
「ええ。どうか、急いで」
足元でギンが立ち上がる。金色の瞳は北を向いたままだ。
――じょうか。
頭の奥へ一語が落ち、リーネが目を細めた。
「銀猫さま、やる気みたいです」
僕らはすぐさま村を発ち、来た道をレノルへ引き返した。
カイが先頭に立ち、リーネが並ぶ。僕も鈴を胸元へ収めた。
道中、胸元の銀の鈴は一度も鳴らなかった。
それでも安心はできない。警告ごと途切れたようで、かえって不気味だった。
昼前、町門をくぐるなり、僕らは冒険者ギルドへ駆け込んだ。
事情を告げると、すぐ奥へ通された。
封書を読み終えたグレイル支部長の眉間に、深いしわが刻まれる。
「瘴気の根が、まだ残っているということか。放置はできんな」
重い沈黙のなか、支部長の指先だけがせわしなく机を叩く。
やがて音が止まり、支部長は依頼票を一枚取り出した。
「あいにく、今は人手が足りん。第一報を届けた君たちに、引き続き頼みたい」
支部長は依頼票を滑らせかけ、ふと手を止めた。
「危険と判断したら、王都から専門家を呼ぶ。まずは、その判断材料が欲しい」
僕らの顔を順に見渡し、依頼票の末尾を指で叩く。
「依頼名は『森の境界異常調査』。報酬は銀貨三枚。それと――銀猫様の食費補助」
その一言に、胸元の銀の鈴より早く、僕の心がちりんと鳴った。
「やります!」
考えるより先に口が動いた。
仕方ない。正義感より先に家計が反応することだってある。
食費補助は、それくらい魅力的だ。
即答に目を丸くした支部長は、取り繕うように咳払いした。
「では、これが正式な依頼票だ。出発は明朝。今のうちに装備を整えておけ」
依頼票「森の境界異常調査」
1.確認事項
① 境界石の異常
② 瘴気の濃度
③ 魔獣の痕跡
2.調査範囲:旧街道沿いの森の入口付近まで。
3.調査期間:日没までに帰還すること。
※ 報告書提出必須




