第21話 銀猫さん、初依頼を完了する
「これが、おまえたちの初依頼だ」
グレイル支部長が、受付台へ一枚の依頼票を置いた。
依頼内容は、町の北西にある浅い森での魔力草の採取と、牙鼠の痕跡確認。
討伐はなし。危なければ即撤退。
「つまり、採って、見て、まずかったら逃げる」
「軽く言うな。……だが、だいたい合っている」
グレイルは渋い顔でうなずいた。
……堅実だ。竜退治を命じられるより、よほど手堅い。
いや、初依頼で竜が出てきたら、その時点で僕は冒険者を辞退している。
若返ったとはいえ、五十一歳相当の身としては、その慎重さがありがたい。
これが僕たちの冒険者としての第一歩らしい。
そう思うと、自然と背筋が伸びた。
役割分担も、その場ですぐに決まる。
撤退判断はカイ。魔力反応の確認はリーネ。護衛と浄化はギン。
そして僕は、採取品の管理と記録係。
地味だ。かなり地味だ。
少なくとも、木箱を抱えた僕は、冒険者というより町内会の世話焼きオジサンだ。
剣も魔法も得意ではない冒険者を、果たして冒険者と呼んでいいのだろうか。
けれど、これは冒険者ごっこではない。
全員で無事に帰るほうがずっと大事だ。
翌朝、北門を出た瞬間、町の空気が背後へ遠ざかった。
カイの足音がすっと薄くなる。
リーネは杖を握り直し、ギンは当然のように先頭を歩く。
僕は木箱を抱え直し、遅れないよう一歩を踏み出した。
初日くらい、何事もなく終わってほしい……。
だが、そう願った時点で、たいてい何かが起きる。
林道の手前で、カイがぴたりと足を止めた。
湿った土に、小さな爪痕が残っている。
「牙鼠だ。四体くらい。森の奥じゃなく、町の近くまで出てきてる」
初依頼にしては、なかなか嫌な情報だ。
僕は「牙鼠四体、沢沿い、魔力草群生地付近」と記録した。
魔力草の群生地は沢沿いにあった。
葉の縁が淡く青く光り、依頼票の挿絵とも一致する。
よし、対象発見。あとは採って帰るだけ――。
そう思った瞬間、カイが片手を上げた。
止まれの合図。
ほら来た。現実というやつは、こちらの都合を聞いてくれない。
茂みの奥で牙鼠たちが動いている。
カイは「刺激するな」と囁き、リーネは火を出しかけた杖を抑え、風だけを細く流した。
風が匂いを横へ逃がし、牙鼠たちは倒木へ向きを変えた。
誰も剣を抜いていないのに、妙な達成感があった。
リーネ、お手柄です。
そのとき、ギンが右前足で群生地の一角を示した。
――におい、にがい。
魔力草の清涼な香りに混じって、鼻の奥に重く残る臭いが届いた。
あ、これ、採って帰るだけでは終わらないやつだ。
葉は黒ずみ、土も妙にざらついている。
苦い匂いの正体は、どうやら瘴気らしい。
僕が木箱を抱え直すと、ギンが森へ鼻先を向け、短く告げた。
――けがれ、はらう。
ギンの銀毛が淡く光る。
黒ずんだ土に澄んだ波紋が広がり、苦い匂いがすっと消えた。
戻ってきたのは、魔力草の清涼な香り。
「銀猫様がいなければ撤退だったな」カイが言う。
「銀猫様がいるので続行ですね」リーネが真顔で返す。
「判断基準を神獣任せにしないでくれる?」
僕は慌てて記録欄に線を引いた。
異常箇所を記録し、魔力草を必要量だけ採る。
根は残し、傷んだ葉は避け、木箱へ並べる。
リーネは手元を照らし、カイは足跡を確認する。
ギンは薬草に興味なし。仕事はしている。
しているのだが、絵面はほぼ猫様の散歩だった。
帰り道、牙鼠は追ってこなかった。
リーネが匂いを散らし、カイが足場を選び、ギンが森を見張る。
「何も起きないねぇ」
「何も起こさないために働いているんです」
「それ、冒険者っぽくないけど正しいね」
無事にギルドへ戻ると、グレイルは報告を最後まで黙って聞いた。
採取量、牙鼠の数、瘴気で黒ずんだ土、ギンの浄化。
僕のぎこちない記録にも目を通し、最後に依頼票へ印を押す。
ごん、と重い音が響いた。
「初依頼としては上出来だ」
たったそれだけで肩の力が抜ける。
グレイルの一言で、リーネの肩から力が抜けた。カイは得意げに笑う。
僕たちの初仕事は、これで正式に完了だ。
「ほら、逃げる仕事でも褒められる」
「逃げてません。計画的帰還です」
言い方ひとつで冒険者っぽさが三割増しになる。
報酬袋も、朝より少し重い。
やばい。ちょっと続けたくなる重みだ。
任務後、リーネは、腰袋から干し肉を三切れ差し出した。
ギンは当然の権利のように受け取り、行儀よく食べ始めた。
代わりにリーネは、両手を胸の前でそっとギンに差し出した。
たぶん、その時点で彼女の中の冒険者意識は半分くらい溶けていた。
任務中ずっと視界の端で揺れていた銀色の毛並み。
それが今、自分だけに許されようとしている。
ギンが一瞬だけ目を細め、
仕方ない、と言わんばかりにリーネに頭からスリスリしに行った。
リーネの指先が触れた。
ふわり。すべすべ。最後に、モフモフ。
三つそろった瞬間、リーネの表情が、ふにゃりと崩れた。
膝から力が抜け、杖を落としかける。
冒険者としての理性が、ぎりぎりで責務を果たした。
最初は遠慮がちだった。毛先を少し確かめるだけ。
けれど一撫でするたび、リーネの呼吸が深くなる。
「この手触りは、反則です……」
ギンが小さく喉を鳴らした瞬間、肩がびくりと震えた。
「ああ……これ、だめです……。尊いです……」
目を閉じたまま、完全に戻ってこない顔である。
「もう少し……いえ、もう少しだけモフモフさせて」
初依頼の達成感より、こっちのほうが明らかに大きい。
「ギン様、次の依頼も必ず成功させます。ですから、報酬はまた……」
ギンは干し肉をくわえたまま、たいへん満足そうに喉を鳴らした。
――けいやく。
「干し肉とモフモフで成立する契約、初めて見たよ」
「成立したんですか、今の」
ギンとリーネの、この裏取引について、僕は見なかったことにした。
僕は報酬袋を握る。
この仮パーティーなら、明日も何とか生きて帰れる。たぶん。
そのとき、視界の端に淡い光が走った。




