第18話 銀猫さん、冒険者(仮)登録する
昼前には、森の切れ間の向こうにレノルの石壁が見えた。
灰色の壁が陽を受けて長く続いている。
門前には荷車と旅人の列ができ、商人の呼び声や馬のいななきが、こちらまで届いていた。鉄の匂い、焼き物の煙、知らない香辛料の気配。
村では一つずつ感じていた生活音や匂いが、ここではまとめて押し寄せてくる。
冒険者ギルドがあるという大きな町――レノル。
その入口を前にして、僕はようやく、自分が本当に異世界の町まで来たのだと実感した。
門番は僕たちを見るなり槍を持ち直した。
視線は当然、僕ではなく、隣を歩く銀色の巨体に釘づけである。
「止まれ。その獣は何だ」
「猫です」
「猫にしては大きすぎるだろ」
「僕もそう思います」
問答が長引く前に、僕はエルフィリアの封書を差し出した。
封蝋を見た若い門番が詰所へ走り、すぐに年配の門番を連れて戻ってくる。
年配の門番は封書を読み、ギンを見て、僕を見て、もう一度ギンを見た。
確認作業というより、現実を受け入れるための時間らしい。
「銀霜猫王……本当に、伝承の神獣の名が書いてあるな」
――しんよう、ある。
「村長の封書を確認してくれたんですよね」
年配の門番は深く息を吐き、門の脇へ寄った。
「通っていい。ただし、町中では走らせるな。あと、屋台を丸ごと食べさせるな」
――ごはん、たくさん?
「許可は出た。メシの話はギルドでしよう」
大通りをまっすぐ進む。
商人の呼び声、鍛冶場の槌音、焼き串の匂い。
その全部にギンの耳と鼻がぴくぴく反応するものだから、
僕は尻尾の向きまで気にしながら歩く羽目になった。
通行許可より、屋台対策のほうがよほど難題である。
剣と盾の看板が見えたところで足を速め、冒険者ギルドの扉を押し開ける。
中の視線が一斉にこちらへ向いた。
正確には、入口の半分をふさいでいる銀色の巨体へ、である。
木杯を掲げた男は乾杯の姿勢で固まり、若い剣士はぽかんと口を開けた。
若い受付嬢は羽ペンを落とした。
「……クマさん?」
「猫です」
僕は反射で答えた。
町に着いてから、もう何度目かの説明である。
そろそろ『猫です』と書いた札を首から下げたい。
異世界の分類能力は、ギンを前にすると『魔獣』『クマ』『神獣』の三択まで急激に雑になるらしい。
「エルフィリア様の封書ですね。少々お待ちください。
……銀猫様は、椅子を破壊しない範囲でお待ちいただけますか」
受付嬢は封書を読み終えると、ギンを見上げ、僕に視線を戻した。
「では、まずタロー様の登録を。お名前と、技能の申請をお願いします」
「タロー。年齢は……五十一歳相当ですかね。出身地はかなり遠方。
技能は、簡単な火と、猫の通訳です」
受付嬢の羽ペンが、また止まった。
「猫の、通訳?」
「ごあん!」
ちょうどいいタイミングで、ギンが右手を挙げた。肉球つきの、ごはん要求である。
「今のは、肉があるかの確認です。かなり切実です」
「え、待って待って、その仕草、反則じゃないですか!
可愛さが限界突破してるんですけど! 」
受付嬢の口調が、受付業務から観客席へ一瞬で吹き飛んだ。
「はい、まあ、こんな感じで通訳を……」
「ハッ!」と我に返った受付嬢は、再び困ったように食堂のほうを見た。
「たいへん失礼いたしました……。少し違う世界に行っていたみたいで……。
食堂はあります。
ただ、この大きさの猫さんに何をどれだけ出せばいいのかは、私では判断できません」
「支部長を呼んできます。その間に、タロー様には技能の確認をお願いします」
(いや、翻訳が必要なのはギンじゃなくて、今のあなたの発言だから)
話は早かった。というより、早くするしかなかった。
僕はそのまま隣の訓練場へ案内される。まずは基本的な戦闘能力の確認だ。
木剣が木人の肩を叩くたび、乾いた音が訓練場に響いた。
冒険者たちのざわめきが、少しずつ変わっていく。
珍獣見物のそれから、実力を見る目へ。
――まあまあ。
「身内評価、辛いな!」
次に、僕は右手を前に出した。小さな火を思い浮かべる。
手のひらの上に、ガスの抜けた百円ライターより小さい火が灯った。
昼の光の中では頼りないが、火は火だ。
受付の女性は帳面に何かを書き込み、隣の職員が小さくうなずいた。
「火属性、魔力低出力。ただし瘴気への反応あり。近接戦闘は基礎あり。
銀猫様との意思疎通能力あり。……かなり特殊ですね」
「僕としては、生きるのに必要なスキルが良かったんですがね……」
評価がまとまりかけたところで、訓練場の扉が開いた。
片目に傷のある大柄な男が現れ、冒険者たちが自然に道を空ける。
「支部長!」
(おぉ、支部長登場。分かりやすいテンプレ、嫌いじゃない)
残念ながら、オジサンの語彙力では、この程度の感想しか出てこない。
「レノル支部長のグレイルだ」
支部長は、まずギンを見た。
入口を通れるか。床が耐えるか。苦情が何件来るか。
そのあたりを、すべて同時に見積もっている目だった。
「ウチの受付嬢が、二度も羽ペンを落とす案件は久しぶりだ」
「僕は、地味で穏便な初日を期待してたんですけど……」
「伝承級を連れているんだ。仮登録でいいから、すぐに登録してやれ。
ランクは銅級見習い。銀猫様はタローの相棒として扱う。……これで問題ないな?」
「相棒」その一言で、ギンの耳がぴくりと立った。
――げぼく。
「銀猫様も、お気に召したようです」
ここだけは、体面を保つために意訳した。
少し待っていると、受付嬢がにこやかな営業スマイルで、
僕に薄い金属板を一枚差し出した。
「タロー様、銀猫様、登録おめでとうございます!」
表面には簡単な紋章と、僕の名前らしき文字が刻まれている。
読めないはずなのに、なぜか意味だけは分かる。
異世界仕様、便利なのか不便なのか判断に困る。
【仮登録証】
氏名:タロー
ランク:銅級見習い
備考:銀猫様の相棒。火が少し使える。本人はやや心配性。
「やや心配性……性格診断か」
支部長が僕の肩を軽く叩く。
「無謀な新人より、少し心配性なくらいのほうが長生きする。ドンマイ!」
ドンマイ、じゃねーよ。
だが、登録証があれば、この町での信用はひとまず確保できる。
あとは――
――ごはんは?




