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春を蒔く  作者: ねるね
道まだとおく
7/11

学業と麦の両立

 セドリックとの別れから一週間後、ベアトリスは南部のバーレイ領にいた。


「お嬢様、わたくしめの耳には食器が触れる音が聞こえましたよ」


「そ、そんなはずは──!」


「トリス、昼のパンも没収ね」



 帰省したベアトリスを待っていたのは、目を見開いて笑う母と、謎の老婆だった。


 母がどこからか連れてきた細身の老婆は、かつては王女殿下の教育係だったと自称している。その王女様は今はおいくつなのか、いつか聞いてもいいだろうか。

 老婆は家族の食事に同席し、ベアトリスの一挙一動一音に目を光らせている。彼女に注意されるたびにベアトリスのパンは目減りし、五度の注意で没収となる恐怖の制度が課せられた。


 朝食後は、ヨロつく体で勉強机にたどり着き、老婆の指導を受ける。その内容は、古い貴族名鑑の暗記と写本だ。


 セドリックとの日々が、遠い昔のように思えた。彼の教え方がいかに身に則していたのかと痛感する。


 午後のお茶を終えると老婆から解放され、ベアトリスはクワを持って屋敷の裏手に向かった。


 目の前に広がる土地は、昔ポニーを飼っていた頃に放していた場所だ。ちょうど図書館の中庭ほどの広さのそこを、ベアトリスは夏季休暇の間じゅう、熱心に耕し続けた。

 石を取り除き、はびこる雑草を引きちぎる。空腹時にはこっそり失敬した保存食を食べ、日暮れまでの限られた時間をめいっぱい費やした。

 時々トムが冷やかしに来たが、手伝わないなら帰れと言って追い払った。

 ベアトリスが再び王都に戻るころ、そこはすっかり畑の顔をしていた。



 二年生に進級してすぐ、夏季休暇の課題を放置したせいでしこたま叱られたが、もう落第の危機に瀕することはなかった。


 年末年始は領で麦踏みをし、トムのおばさんたちと保存食を作った。


 図書館に一緒に通う友人もでき、王都での生活はずいぶんと充実したが、頭の中の大半は麦畑のことで占められていた。



 二度目の夏季休暇も、ベアトリスはバーレイ領にいた。

 出迎えた母のそばに老婆はおらず、成績上昇のありがたみをこのときほど実感したことはない。


 一年前に耕した土地はまた荒地のようになっていたけれど、一度耕した土は以前よりは柔らかい。昨年の半分以下の労力で、畑の姿を取り戻した。


 自身の畑と並行して、今年の麦の収穫や種麦の選別も手伝う。

 畑作りの孤独な作業とは違って、農夫たちと行う仕事は楽しかった。あまりにもしょっちゅう「嫁に来い」と言われるのには閉口したが。農夫の妻の弟の友人の息子の恩師。そんなどこにいるかもわからない相手は丁重にお断りした。


 小遣いを貯めて買い取った種麦を姉に託す。播種はなかなかに大変な作業だが、彼女は必ずやってくれるだろう。肥溜めに突き落とされたとき、『母さんに言わない代わりに何でも言うことを聞け』と約束を交わした十四才の自分をたたえたい。



 王都に戻り、三年生の秋。

 なんと図書館で、リリーベルから教えを請われることになった。

 何でも彼女はこのたびバーレイ領の隣のゴールドウィード伯爵家の嫡男と婚約が整ったため、農作について現地の話を聞かせてほしいという。


「それでね、オーリー様ったら年下なのに積極的なのですわ。私のことをミューズみたいだなんておっしゃって、頭を撫でられましたの」


「セドリックさんのことは、もういいんですか?」


 惚気話の最中に、素朴な疑問がこぼれた。リリーベルはおしゃべりをやめて目を伏せた。


「あの方から、手紙をいただきましたの。直筆の、印璽も押された正式なものですわ」


 手紙。なぜか今までその発想がなかったことにベアトリスはハッとする。


「そんなの。諦めるしか、ありませんわ」


 顔を覆ったリリーベルの頭を、ベアトリスはそっと撫でた。今度は叩き落とされることはなかった。



 翌年の初夏。

 ベアトリスは女学校を卒業した。

 卒業式後のパーティーでは、最後にダンスを踊ってほしいと女学生が殺到した。

 教師からは「あなたを無事に卒業させられて自信がついた」と言われ、半分以上はセドリックのおかげだと思ったが、言わないだけの分別はあった。




 バーレイ領に帰り、麦の収穫をおこなう。

 自分の畑で穫れた初めての麦は、脱穀したら三袋ほどにしかならなかったけれど、色つやは良く丸々としていかにも美味しそうだった。


『私が作った麦を、食べてください』


 そう書いて北部へ送った手紙には、いまだ返事は届いていない。



 きっと領の立て直しに忙しいのだろう。わずかに臆する心に言い聞かせて、ベアトリスは麦とともにグラニエール領を目指した。

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