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春を蒔く  作者: ねるね
道まだとおく
6/11

遠いひと

(良かった、間に合った……!)


 行儀作法の授業の再再再補習を終えたベアトリスは、全力で王都を駆けた。

 たどり着いた貴族学園では、学生以外には固く閉ざされた荘厳な門扉が今は開かれ、中のセコイア並木が向こうまで見渡せる。


 今日は貴族学園の卒業式だ。

 

 祝いに訪れた人たちの馬車が入門していく。ベアトリスは髪をなでつけ制服の裾を整えてから、ぺこりと衛兵に礼をして門をくぐった。


 ベアトリスは芝生広場から、卒業式が行われている講堂を眺めた。

 あの場所で今、セドリックは首席挨拶をしている。どうにかして中を覗けないかと考えたが、つまみ出されてはかなわないのでそわそわと待つことしかできない。

 仕方がないので目を閉じて想像力を働かせる。

 緊張は、きっとしていないと思う。凛々しく背筋を伸ばし、彼にしては大きな声を出しているのだろう。

 何を話しているかはベアトリスには考えもつかないが、誰もが聞き惚れているに違いない。

 話し終えたら、少しだけ目もとを緩ませるかもしれない。一緒に保存食を食べながら、彼が時おり見せる優しい表情が浮かぶ。


(──?)


 運動もしていないのに、胸が苦しくなった。



 その瞬間、周囲からわあっと歓声が上がり、ベアトリスは講堂をはっと見つめた。重厚な扉がゆっくりと開き、中から学生の列が現れる。


 先頭を歩くのは、セドリック・グラニエールだ。


 以前王都を歩いたときのものではない、縁に金の刺繍があしらわれたマントを身につけている。首席生だけに許された装いの彼は、ベアトリスがどんなに走っても到底着けない場所にいるようだった。


「私、すごい人に教えてもらってたんだなあ」


 学生たちが講堂前の階段を降りると列が崩れ、卒業生や在校生、教師や家族が混ぜこぜになって別れを惜しんでいた。

 セドリックも人に揉まれて姿が見えなくなったが、しばらく経つと輪が解け始め、再び彼が現れた。


 いつものベアトリスならきっと、大きな声で彼の名前を呼んだだろう。満面の笑みで駆け寄って、保存食と綿入りの尻当てを渡して、『おめでとうございます!』と言ったはずだ。

 けれど今はなぜだか、それができなかった。


 とっさにセコイアの大木に身を隠す。

 同時に、彼のそばには佳人が寄り添った。


(セドリックさん、嬉しそう)


 麗しい姉弟が馬車寄せへと向かう後ろ姿を、ベアトリスは木の陰からいつまでも見送った。

 一度だけセドリックが振り返ったが、どうしてかたったの一歩が踏み出せなかった。



 貴族学園と時を同じくして、女学校も長い夏季休暇に入った。


『休暇には領で麦の収穫を手伝います』

 そう書いた実家への手紙には、姉から返事があった。


『あんたが落第しないように鍛え直してやるって、母さんが張り切ってるわよ』

 そんなことを知って、のこのこ帰省するバカはいない。母の愛のムチは、日照りの次に恐ろしいものだ。



 かくしてセドリックが卒業した翌日も、ベアトリスは王都に残り図書館にいた。

 昨日からまた少し強くなった胸の不調を克服すべく、尻当てを追加して重くしたカバンを持って。



 夏季休暇にたっぷりと出された課題を、自習室の机に並べてみる。

 あまりの多さにうんざりして、ため息をついてまたカバンにしまった。


 自習室よりも静かな読書席へと移動する。

 以前セドリックがいた席には、知らない人が座っていた。


(もう領に向かってるのかな)


 彼の不在が身にしみて、なぜ最後の挨拶をしなかったのかと、昨日の自分を投げ飛ばしたくなった。




 結局勉強はほとんど手につかず、ベアトリスは図書館を出ることにした。


「ベアトリス・バーレイ嬢」


 ロビーで、よく知った声が聞こえた。

 同姓同名がいるのかと思い、キョロキョロとあたりを見る。


「どこを見ているんだ、君は」


 そこには、くつくつと笑うセドリックがいた。


「だって、『嬢』なんて誰にも呼ばれたことないし」


 ドキドキと不整脈を催す胸を押さえながら、ベアトリスはセドリックを見る。

 彼はこれまでのどの時よりも晴れやかに笑っていた。


「昨日会えたら渡そうと思っていた」


 ベアトリスにマントが手渡される。いつかの夕刻、彼が羽織っていたものだ。



「君には大層世話になった。使い古しで悪いが、手持ちで価値のある物はこれくらいしかない」


「こんな、こんな大事そうなものもらえないですよ!」


 それは使い込まれてはいるが、それでも傷むことなく大切に手入れされていることが一目でわかる逸品だった。彼が手放してはいけないもののように思えた。


「いつか君から防寒着をもらっただろう。北の冬には、あちらの方が役に立つ。だからこれは君が使ってくれ」


 セドリックはそう言って腕組みをしてしまった。腕の間にねじ込もうにも、大切なものをそんなふうに扱うわけにはいかない。


「ありがとう、ございます。絶対に大事にします」


 ベアトリスは言葉どおりに、壊れものを持つように優しくマントを捧げ持った。




 セドリックはこのあと一度寮に寄って、少しの荷物とともに北部へ向かうという。

 遅くなるからここでいいと言われ、図書館の外で別れの挨拶を交わした。


「これ、邪魔かもしれないけど、馬車で使ってください」


 尻当てを差し出したベアトリスに、彼は「長旅だから助かる」と喜んだ。


「あと、いつもコレですみませんが……」


「ああ、堅焼きの保存食か。君のところの麦は美味いからな。嬉しいよ」


 晴れやかに、優しく笑った彼に、息が止まるかと思った。

 だからつい無駄に大きな声が出てしまった。


「私、卒業したら、もっともっと美味しい麦を作ります!!」


「ああ、頑張れ。君ならできる」


 彼は声を立てて笑った。

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