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春を蒔く  作者: ねるね
麦ふみ
10/12

確かめたいこと

 干ばつの翌年は、前年を取り戻すかのように豊作で、ベアトリスの三つの畑もよく実った。

 穂が色づく前には大群のホタルが麦畑を飛び交い、ベアトリスは王都のまばゆい光を思い出した。


(セドリックさん……)


 彼とホタルのことを話してから、もう六年も経った。卒業後の彼と会ったのはたったの一度きりだ。

 だというのに、彼の声を思い出すたびに心のどこかがキュッとなる。

 これは、何なのだろう。




「なあ、ベア。お前ここを出るって本当なのかよ」


 荷造りに追われるベアトリスは、ここのところよく会うトムにまたしてもつかまった。


「うん。ちょっと確かめたいことがあって。トム、今年はたくさん手伝ってくれてありがとう。Rベ03号が特に豊作だったのはあんたのおかげよ」


「あーるべ…? まあ、それはいいけどよ。ちょっと頼みたいことがあるんだよ」


 トムは口ごもりながら、気まずそうにチラチラとこちらを見ている。


「あのさ、俺も一緒に連れてってくれない?」



「は?」とひと言発したベアトリスに、トムはペラペラと堰を切ったように話し出した。


「だってよ、レイナのやつ浮気ばっかしてるんだぜ。肉屋の息子と、うちの農夫六人と、酒場に来た流れ者と、他にも数え切れねえくらい。やっぱさ、俺お前といるのが楽しいんだよ。あんなやつもう信用できねえ」


 トムはひと呼吸おいて、真剣な表情をした。


「俺は役に立つぜ。頼む、行ってもいいと言ってくれ」



 ベアトリスは、一瞬たりとも迷わなかった。


「私も、信用できない人はいやだな」


 当たり前である。あの収穫祭の日まで、ベアトリスだって幼馴染みと多くの思い出を共有して、それを楽しいと思っていた。なのにトムは、心のなかでこちらのことを嘲笑っていたのだ。

 そんな相手とどうやって、もう一度信頼関係を築けるというのか。こんなやつとは幼馴染みとしての距離感くらいがちょうどいい。それがベアトリスのここ数年の思いだった。


 決め顔で固まったままのトムを「邪魔」と押し退け、荷造りを再開した。




 それから数日後。家族と使用人、近所の人たちに見送られながらベアトリスは発った。大きな荷物を持ったトムが、おじさんに押さえつけられていた。



 今回は商隊ではなく自分で北行きの手はずを整えた。荷物はベアトリスの畑で穫れた麦と、領の農家から買い付けた丸々とした一級品だ。

 これを、今度こそセドリックに贈り物として受け取ってもらう。

 どんなに固辞されたって、ベアトリスには策があるのだ。


「負けないわよ、セドリックさん」


 決意に燃える目で、北を目指した。




 四年ぶりに訪れたグラニエール邸は、以前よりも活気が見えた。

 応接室の様子も前回よりも明るくなった気がして、セドリックを待つ間につい不躾に見回してしまう。


「わかるか? 調度を買い戻したんだ」


 くつくつと笑いながら現れたセドリックに、思わず肩を跳ね上げた。

 二十四になったセドリックは、落ち着きがさらに増していた。ベアトリスの母なら『あら、いい男ぶりね』とでも言いそうだ。

 ベアトリスは、ぶんぶんと頭を振って意識を切り替える。ぼんやりしていて勝てるほど彼は甘くない。


「セドリックさん。先日は美味しい芋をありがとうございました。おかげさまで無事に冬を越せて、今年はとんでもなく豊作でした」


「そうか。役に立てたのなら良かった。あれは四年前の保存食の礼だ。遅くなったが結果的に良い時機となって何よりだ」


 ベアトリスは「あれ?」と思った。なんだか良くない雲行きを感じる。


「それで、とびきり良くできた麦を持ってきました! 芋のお礼です!」


「そうか。ではありがたく、すべて買い取ろう」


 おかしい。なぜまた四年前と同じ言葉を聞くことになったのだろうか。


「お礼ですよ? 私たち、あの芋で本当に助かったんです。だからこの麦は、私たち家族からのお礼として受け取ってください」


「芋は保存食の礼だと言っただろう。礼に礼で返すのはおかしい。そう思わないか?」


「い、いきなり送りつけてきて、礼だなんて勝手です!」


「勝手だって? 君も保存食を勝手に置いていって、今回も突然やってきたじゃないか」


 はく、と口を開いたが、もう策は尽きていた。礼だと言えば受け取るだろうと思っていたのに。首席の口のうまさに、ベアトリスは完敗した。



 打ちひしがれるベアトリスに構わず、セドリックは麦袋を数えて戻ってきた。


「大袋が十だな。少し数が多いから、借用書を書こう」


 ベアトリスはハッとした。

 借用書。またセドリックにそんな散財をさせるわけにはいかない


「じゃあ、北の麦と同じ値段で買ってください。私が勝手に来たんですから、セドリックさんは買い叩くべきです」


「しかし南の麦は貴重だ。市場価値を崩すわけにはいかない」


 またこの人はそんなことを言っている。生真面目すぎて生きづらくはないのだろうかと本気で心配になった。


「バーレイ領の麦は豊作すぎて値崩れを起こしてます。ほら、もっと値切ってください。貴重なお金で無駄遣いなんてしたら暴動が起きますよ」



 売り手と買い手、価格交渉の力関係がいびつなままに、どうにか双方の合意点が決着した。

 セドリックは疲れを隠そうともせず目頭を揉んでいる。


 ベアトリスは大きなカバンを持って立ち上がり、言い忘れたことを付け加えた。


「私、しばらくグラニエールにいますので、どこかで会うかもしれません」


「え?」


 セドリックらしからぬ、気の抜けた声が聞こえた。


「Rべ号の成育実証をここでやります」


 ベアトリスは、自身の畑の麦が詰まったカバンをポンと叩いた。

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