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異相の理  作者: 赤鰯 はこぼれ
第三章 わが身ひとつの 心にも
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第十七話 ひとつ心にあらざれば

 ――御子神さんは、悪くはない。

 悪いのは執務室で、私語をしていた自分だ。だが、何だか、こう……こちらが悪いとは認めたくない理不尽な自分がいる。


「そう落ち込むなってー。どんな結果になっても、慰めてやるからさ」


 ふざけているのか、励ましているのか、馬鹿にしているのか。ガッツポーズをきめる御子神さんに、毒気も何もかもが抜けてしまった。

 ―――だが、一言言いたい。


「……別れる前提じゃないですか、それ」

「違うの?」

「……ちが――くはないですけど……」


 否定できずに口籠る。

 きっと、夕奈は俺に別れを切り出すつもりなのだろう。彼女との間に生まれてしまった亀裂が、もう手遅れな程に、深く刻まれてしまっていることは分かっていた。


「栗花落君はさ、彼女に未練があるんだ?」

「……未練と言うか、関係を修復したいとは思ってますよ」


 出来ることなら、修復したい。

 そう思うのは”普通”だ。


「本当かな~?」

「本当ですよ」

「この前も言ったけどさ。君、嘘を吐くのは程々にしないと駄目だよ」


 御子神さんは食事の手を止めて、俺の顔をじっと見詰める。


 ――嘘ではない。

 夕奈との関係を修復したいことは、本当だ。

 けれど、御子神さんはそれを否定する。


「俺が言うのも何だけど、相手が居ることなんだから、ちゃんと向き合ってあげないと」

「向き合ってますって。実際、こうして悩んでるんですから」

「いいや、それも嘘だね。何でそんなに(うそぶ)くのかな」

「……だから、嘘なんて吐いてないですって」

「俺は恋愛なんて興味がないし、アドバイスなんてする立場じゃないんだけど。真摯に向き合えてない状態で、関係を続けるのはお互いに良くない――悪影響しかないよ。栗花落君さ、彼女と関係が切れてほっとしてるんじゃない?」

「……そんなことは、」


 言われてから、俺は自分の違和感に気が付く。

 関係は修復したい。それなら――この状況に、焦燥のひとつでも感じる筈である。しかしながら、今の俺の頭は、奇妙な程に冷え切っていた。

 この妙な感覚に、俺は困惑する。


「じゃあ、さ。逆に聞くけど、何で関係を修復したいの?」

「……それは、普通そうでしょう?」


 俺の答えに御子神さんは眉を顰める。


「普通って?」


 その問い対する答えが、分からない。

 普通とは何か。

 俺は声を絞り出す。


「……恋人なんだから、関係を修復するべきだと……」

「あのね、そんな義務ないから。お前さ、彼女のこと好きじゃないでしょ」

「い、いや、好きですよ?」

「言い方が悪かったわ。”好いているけど、愛してはいない”よな。要は、好ましくは思っているけど、その人に対して特別な感情はないってこと」

「……特別ですか」

「例えば、何よりも彼女を優先的に考えたい、とか――そういう感情。ま、俺も分かんないんだけどさ。そういう気持ちがないのに関係を続けるのは、やめなさいって話。相手が惨めすぎるわ」


 ああ、そうか。


 ――私のこと、どう思ってる?


 だから、あの時、彼女は俺にそう問いかけた。確かめるために。


 夕奈は、自分が”愛されていない”と、ずっと前から気が付いていたのかもしれない。



 ***



 駅前のカフェは、平日の割に混んでいた。

 夕奈は窓際の席に座っていて、俺に気が付くと小さく手を上げた。


「ごめんね。忙しいのに呼び出して――って、どうしたの、その腕」

「仕事中に色々あって……」

「……そうなんだ」

「そっちこそ、忙しいんじゃない?」


 向かいの席に座ると、夕奈は小さく笑った。


「ううん。前も言ったけど、プロジェクトが落ち着いてきてるから大丈夫」

「そっか」


 それきり、言葉が途切れる。

 俺は店員を呼んでコーヒーを頼みつつ、彼女の表情を盗み見た。


 怒っているのか。

 悲しんでいるのか。

 ただ、彼女はどこか決心したような顔をしているように見えた。


「あのさ、柚希くんって私のこと一番に考えられる? あ、答えなくていいよ。顔見れば分かるし」


 今にも泣きそうな顔をしながらも、笑顔を取り繕うその姿に、俺は何の言葉も掛けてやれない。

 俺には、その資格がない。


「うんうん、やっぱりそうだよね。柚希くんは初めからそういう人だもん」

「…………」

「誰にでも優しくて、誰にでも平等。正直、一目惚れっていうのもあったけど、柚希くんのそういうところも好きだったからさ。受け止めきれなかった私が悪いんだ」

「……ごめん」


 絞り出すように出たのは、謝罪の言葉だった。


「俺は、多分……誰かを一番にするのが、下手なんだと思う」


 彼女は何も言わず、ただ、俺の言葉を待っている。

 逃げ場のない視線だった。


「誰かに必要とされたら、そっちを優先してしまう。それが仕事でも、人でも……多分、これからも」


 自分の声が、どこか他人事のように聞こえる。

 けれど、これは紛れもなく俺自身の話だった。


「夕奈は今でも大切に思っている。でも……」


 そこで、一度言葉を切る。

 これ以上続ければ、彼女を傷つけると分かっていたから。それでも、俺は言葉を続けることを選んだ。


「……一番にできると、胸を張って言えない」


 沈黙が落ちた。

 そのタイミングで、店員が注文したコーヒーを運んでくる。それをぎこちなく受け取りながら、俺は彼女の方へ視線を戻す。


 夕奈は視線を伏せ、少しの間だけ唇を噛み締めたあと、静かに息を吐いた。


「……やっぱり、そうだよね」


 その声は、驚くほど穏やかだった。


「うん。ありがとう。誤魔化さないで言ってくれて」


 そう言って、夕奈は小さく笑った。

 先程までの泣きそうな笑顔ではなく、どこか吹っ切れたような、優しい笑みだった。


「柚希くんは、嘘が下手だからさ。誤魔化されたら、かなりショックだったかも」


 その一言が、胸に深く刺さる。


「本当はさ、少しだけ期待してた。もしかしたらって気持ちがあったんだ。でも、こうして話せて私も踏ん切りがついた」


 責めるような言葉ではない。

 けれど、それが余計に罪悪感を募らせる。


「…………」

「そんな顔しないでよ。言ったでしょ? 全部、私の我儘なんだから……」


 夕奈はそう言ってテーブルに代金を置き、席から立ち上がる。


「ちゃんと最後に話せてよかった。今までありがとう」

「……こちらこそ、今まで辛い思いをさせてごめん」

「だから、もういいってば。辛い思いなんてしてないし」


 困ったように彼女は眉を下げる。


「――それじゃ、柚希くん。仕事、頑張ってね」

「そっちも、元気で」


 それだけの別れだった。

 振り返ることもなく、夕奈は店を出ていく。


 残された席で、俺は暫くコーヒーカップから立ち上る湯気を見詰めていた。


 これで良かったのだ。

 俺はどう頑張っても、彼女の望みを叶えてあげられない。

 そんな状態で付き合い続けるのは、彼女に対してあまりにも不誠実だ。


 何かを好きになることはある。

 だけど、それはただの好意であって、それ以上の――それこそ、”誰を呪い殺すような”――燃え盛る感情を抱くことは、俺にはやはり難しい。


「…………」


 窓の外を見ると、今にも雨が降り出しそうな雲行きだ。

 もう少ししたら、家に帰ろう。

 そう内心で呟いてみたものの俺が店を出たのは、それから一時間が過ぎた頃だった。


第三章 完

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