第十六話 月桂樹の香り
「当分、カップ麺は禁止」
御子神さんのこの言葉によって、俺の家からカップ麺が消えた。正確に言うと、全て志木さんと世良さんに回収された。
カップ麺やインスタント食品ばかりの食生活が、よくないと言われれば確かにそうだ。が、仕事で疲れた体に鞭打って、キッチンに立つのは苦痛でしかない。そんな男の一人暮らしには、必需品だというのに……。
俺の生活の面倒を見ることになった御子神さんによって、台所は隅々まで掃除され、冷蔵庫の中身も俺の冷蔵庫と思えないくらいに充実した。
「あの、これって何に使うんですか……」
冷蔵庫の中に置かれた謎の瓶。その中に詰められている謎の葉を指しながら、御子神さんに問い掛ける。
「煮込み料理とか? ただのハーブだよ」
「……変なものじゃないですよね」
「妙な言い方するなよ。それはローリエ。調べれば出てくる」
「……はあ」
「あと、ちょっと邪魔だから、用がないなら向こうで座っててくれない?」
「……すみません」
間違いなくここは俺の家だというのに、何故か肩身が狭い。
俺は御子神さんに追い出されるようにして台所から出ると、言われた通り居間のソファに腰を下ろした。
片腕が使えないというのは大層不便で、出来ることと言えば、スマートフォンやテレビでニュースを眺めることくらいで、それ以外は何をするにも億劫になってしまっている。だから、御子神さんが晩御飯の支度を終える間の空白時間は正直手持ち無沙汰なのだ。
――ローリエね。
暇潰しにスマートフォンで、例のハーブについて調べてみる。
料理に使われる一般的なスパイス、という記事がトップに出てきた。こんなもの、よく知っているな――記事を読みながら少し感心してしまった。
御子神さんが俺の世話を焼き始めて早三日。
通勤時間も短縮できてラッキー、というのが彼の本音らしく、ほぼ泊まり込み状態が続いている。
実際、飯は作ってくれるし、掃除もしてくれるし、大変有難い。特に前者に関しては、自炊の良さを叩き込むと言っていたのは伊達ではなく、出てくる飯はどれも美味しかった。これだけのクオリティを出せるのであれば、自炊も悪くない――とはいかず、それは他人が作ってくれるからこそのものだと思うのであった。
スパイスを紹介するサイトを眺めていると、暫くして食欲をそそる匂いが室内に漂ってきた。今日はシチューと、言っていたっけ。
そうこうしているうちに、御子神さんから声が掛かる。
「栗花落君、配膳手伝って」
「はい」
予告通り深めの皿にはシチューが盛られ、他にも鱈のフリットやアンチョビのポテトサラダなどという外食でしかお目にかかれないようなおかずが現れる。
それらをダイニングテーブルに並べると、小洒落た夕食の出来上がり。
「米とパン、どっちで食べる?」
「……迷いますね」
御子神さんの問い掛けに、俺は本気で頭を悩ませる。
きっとどちらも美味しい。それは間違いない。何せ、この三日間は不味い飯など一度も出てきたことがなかった。悔しいかな、御子神さんの飯は旨い。だからこそ、究極の選択にすら思える。
「……パン、にします」
「そんな絞り出すように言うなよ。どっちも食べればいいじゃん」
「流石にそれは太りますので」
「そういうとこ気にするタイプなんだ」
御子神さんはケラケラと笑いながら、手際よくバゲットを切り分ける。
「トースターとかがあれば良かったんだけど、君の家、本当に何もないよね」
「今まで必要なかったですから」
「それにしたってだよ。トースターはともかく、調味料くらいは買いなって」
「……すみません」
腕が治るまで食事を作ってくれると言い出したのはいいが、初日に砂糖がないことを知って発狂していた御子神さんの姿は、今でも脳裏に焼き付いている。
本当に今まで必要なかったものなのだから、それは仕方がないと思う。
「――じゃ、食べようか」
「はい、いただきます」
まずはシチューを一口。
やはりというか、普通に旨い。バゲットを浸して食べれば、染み込んだ旨味が口の中でじわりと広がり、これも旨い。
「それ、ローリエ入ってるよ」
「え、あ、そうなんですか?」
「だから、風味がちょっと深くなるんだよね」
「……なるほど?」
残念ながらあのハーブのあるなしによる味の違いは、俺の貧相な舌では分からない。けれど、きっと普通のシチューとはまた何かが違うのだろう。
「栗花落君さ、明日の予定は?」
「明日は昼頃から予定がありますね」
「ふーん。予定って?」
「……言う必要あります?」
明らかに興味津々といった眼差しを向けてくる御子神さんに、俺は顔を顰めた。
「……出掛けるだけですよ。買い物とか」
「へえ?」
「何ですか?」
「いや?」
含みのある言い方をされると、何とも言えない気持ちになる。
御子神さんはお茶を一口飲むと、ニヤリと笑った。
「てっきり、デートなのかなって思って」
「は?」
勢いよく図星を突かれて、俺は思わず声を上げてしまった。
それを見て、更にニヤニヤと勝ち誇ったような笑みを浮かべる御子神さんに、正直イラッとする。
「当たりか~」
「当たってないです」
「そうムキになるなって。俺は後輩の恋路を応援する、優しい先輩なんでね」
「…………」
応援するどころか、エンタメか何かと思っているような態度である。俺は内心で溜息を吐いた。
先日、夕奈から話がしたい、と連絡が来たのだ。
この前会った時は、酷い別れ方をしてしまったから、きっとそのことについての話がしたいのだろう。
「まー、あれだ。俺が言うのも微妙かもだけど、警察あるあるだから、さ」
「……何の話ですか?」
急に歯切れが悪くなった御子神さんに、俺は首を傾げる。
「警察の仕事が恋人には理解されないって話」
「…………」
俺は首を傾げたまま、最近、そんな話を何処かでしたな、と記憶を掘り起こす。
確か、あれは志木さんと世良さんに、彼女の件を相談した――。
「……っ、……あの話、聞いてたんですか!?」
「聞いてたっていうか、聞こえてたっていうか? 扉開けたのに三人とも気が付かないから」
「戻っていたなら声くらいかけてください!」
「えー、これ俺が悪いの~?」
御子神さんが不満げな声を漏らす。




