第十二話 祓え
栗花落君が飛び出したのは予想外だった。
――いや、そういう性分であるとは、薄々感じてはいた。
ついこの前――貉を捕獲した時も、こいつは自分の身など気にも留めず、市民のためだと言いながら、貉の前に飛び出した。そこに、恐怖という感情はなかった。
自分が負傷するかもしれない。下手をすれば死ぬ可能性だってある。そんな当たり前の思考に至らない。
勇敢なのは結構だ。だが、こいつの場合は、限りなく無謀寄りである。
ちらりと肩越しに栗花落君を見る。
杭が刺さったのは前腕部。刺さり所としては、マシな場所だ。
となると、直近の問題は目の前の怪異の対処のみ。
俺は韴を握り直して怪異を見据える。
――呪いの対処方法は二つ。
呪いを掛けた人物を殺すか、呪い自体を破綻させる。
前者は合法的ではないため、実行は不可能。結局のところ、選択肢は一つ。
この呪いは、久我英二の浮気相手を殺す呪いだ。
裏を返せば、浮気相手である北潟幸恵が死ななければ、破綻する。つまり、この怪異を祓ってしまえばいい。
言葉にするのは簡単だ。けれど、それには相応の危険が伴う。本来であるならば、身一つで呪いの怪異に挑むなんて馬鹿なことは避けて通るべきだ。
――べき、なんだけどなぁ。
俺は小さく息を吐いた。
後輩と被害者を放っておくことなど、できよう筈もない。それならば――。
怪異の腕が空に掲げられるまでの僅かな時間――地面を強く蹴り正面から踏み込む。
間合いに入った瞬間、手先ではなく体重を乗せ、般若の面――その中心へ。
韴の先端を、叩き込む。
「――ッ!」
鋭い衝撃。
肩まで痺れるような感覚が襲い、思わず歯を食いしばる。
次の瞬間――何かがひび割れる音が、確かに聞こえた。
般若の面の中央に走った一本の亀裂が、蜘蛛の巣状に広がっていく。乾いた音を立てて、面の一部が崩れ落ちた。
<――――ッ、アアアアアッ!!>
耳を塞ぎたくなるほどの絶叫が、周囲に響き渡る。それは悲鳴と言うよりも、憎悪を孕んだ咆哮に近い。
相変わらず、韴の性能には驚かされるばかりだ。
<己……ッ、己、己、己ッ!!>
歪んだ声が、何度も同じ言葉を繰り返す。
割れた面の奥――そこには、最早人の顔と呼べるものはなかった。吸い込まれそうな程の暗闇――それがただ渦を巻いている。
怪異は両手で顔を覆いながら後ろへとよろめきつつも、空中に杭を浮かべて北潟幸恵へと狙いを定める。
中々にしぶとい。それ程までに、久我昭子は浮気相手たちを恨んでいたのだろう。
俺は割れ残った面を目掛けて、再び韴を突き出す。
韴が面を砕く瞬間、先程とは比べものにならない程の絶叫が、怪異から発せられた。
流石に耐え切れずに耳を手で塞ぐ。
<アアッ、アアアッ……>
嗚咽のような声を漏らしながら、怪異の体はまるで煙のように崩れていく。
最後に、怨嗟ともとれる低い唸り声を残し――それは夜闇に溶けるようにして、跡形もなく消え失せた。
同時に訪れる静寂。
湿った重苦しさも、張り付くような気配も、嘘のように消えていた。
残ったのは、冷たい夜気だけ。
「……御子神さん」
背後から聞こえた栗花落君の声は、情けなく震えている。
振り返ると、彼が腕を押さえながらへたり込んでいた。
怪異の消失と共に刺さっていた杭も消えたのか、傷口が露になり出血が酷くなっている。
「ちゃんと止血しろよ、阿呆!」
慌ててハンカチを取り出し、傷口を圧迫して止血を試みる。
本人は「平気です」などとふざけたことを抜かしていたが、今回ばかりは聞く耳は持たなかった。
「流石にこの件は看過できないから」
「……すみません」
「もう少し危機感もってくれないと困るよ」
「……、……すみません」
……本当に分かっているのだろうか。
謝り通しの栗花落君を横目に、未だに横たわったままの北潟幸恵を見る。
呼吸は浅いが、命に別状はなさそうだ。
ここに辿り着く前の彼女の様子から、恐らく呪いによって一種の催眠状態にでも陥っていたのだろうと推測する。同じような事例は今までにも何回か経験しているが、経過観察は必須だろうな。
「救急車呼ぶから、自分で押さえて」
「……は、はい」
負傷者が出ている以上、まずはそちらの対処が先だ。
栗花落君への教育は、全てが片付いてからになりそうである。




