第十一話 自己犠牲
脇道の先には小さな公園があった。
古びたベンチに錆びた鉄棒とブランコ。申し訳程度に設置された街灯が一基だけ、公園の中央を照らしている。
北潟幸恵は、公園へ足を踏み入れる。
その足取りは一定で、躊躇いがない。
こんな場所に一体何の用があるのか、俺にはさっぱり分からなかった。
「栗花落君」
御子神さんに声を掛けられ、静かに公園の入り口付近まで近づいた。北潟幸恵の顔が見えるように、少し横にずれた位置から様子を窺う。
距離にして数メートル。近距離ではあるが、彼女がこちらに気が付く素振りはない。
北潟幸恵は公園の中央付近まで進み、再び立ち止まっていた。
何をするわけでもなく、棒立ちという言葉が当てはまる程、彼女はただその場で立ち尽くしている。
街灯の光に照らされたその横顔は、宗片商事を出た時の彼女の表情とは異なり、どこかぼんやりと虚ろに見えた。まるで、意識がほんの少しだけ別の場所に引っ張られているような――。
その時、ふと周囲の空気が変わった。
冷たい夜気とは違う、重く湿った感触が肌に纏わりつく。
ぞわりと足元から不快感が押し寄せてくる。
「……嫌な感じだ」
隣に立つ御子神さんが俺の気持ちを代弁するかのように、眉間に皺を寄せながら呟いた。
幸恵は未だその場に立ち尽くしている。
視線は定まらずに宙を漂っており、明らかに様子がおかしい。
「御子神さん、接触しますか」
俺が声を掛けると同時に、街灯の明かりが一瞬だけちらついた。
吸い寄せられるようにして、俺の意識はそちらに流れていく。
街灯の下、北潟幸恵の足元――。
彼女の目の前の地面が、僅かに波打ったように見えた。
目の錯覚かと思った。
けれど、それは直ぐに否定される。
「……なっ、」
地面が水面のように歪み、黒ずんだ影が滲み出してくる。
そこから這い出るようにして現れたのは、人の形をした何か、だった。
白装束を纏い、顔がある筈の場所には般若の面。二メートルは超えるであろう巨躯が全て露になると、それは静かに片腕を空に向かって掲げた。
黒ずんだ指の先――宙に現れた黒い杭。白い袖が、ゆらりと揺れる。
次に何が起こるか。思考がそこに至るまでの、ほんの僅かな時間。
――助けなくては。
俺の体は無意識に公園の柵を越えていた。
「おい、栗花落!」
背後から御子神さんの声が聞こえたが、それを無視して体当たりするような形で北潟幸恵を突き飛ばす。
それとほぼ同時に、視界の端に浮いた杭が視え――鈍い音が、周囲に響いた。
「ぐっ……!」
猛烈な痛みと熱が右腕から伝わってくる。
北潟幸恵に覆い被さるように倒れこんだ体を何とか起こして、俺は自分の腕の状況を確認した。
前腕部には怪異が放った黒い杭が、深く突き立っている。血が袖口から染み出し、地面にぽたぽたと赤い跡を残していた。じわりと脈打つような痛みと熱に思わず顔を顰める。
そんな状況でも、地面に倒れた北潟幸恵は何の反応も示さない。まるで催眠にでもかかっているかのように、表情は朧気だ。
般若の面の怪異は、突然現れた俺に首を傾げながらも、緩慢な動作で再び腕を上げた。
先程と同様に、黒い杭が指先に浮かび上がる。
その鋭利な先端は、再び北潟幸恵を捉えた。
「――っ!」
まずいと思い、咄嗟に北潟幸恵に覆い被さる。
この行動が意味を成すのか分からないが、彼女を守らなければならないと思った。
再び襲い掛かってくるであろう痛みに堪えるため、固く瞼を閉じる。
「マジで何やってんのさ!」
怒りを孕んだ御子神さんの声と、甲高い金属音。
待てど暮らせどやってこない痛みに、恐る恐る瞼を開けて顔を上げると、御子神さんの背中が視界に飛び込んでくる。
その手には韴が握られ、地面には黒い杭が転がっていた。
「考えなしに突っ込むとか頭おかしいでしょ」
肩越しにこちらを見ながら、御子神さんは怒り心頭といった声色で言い放つ。
「……すみませ、」
「謝るのは後」
ぴしゃりと言われて、俺は口を噤む。
般若の面はそんな俺たちを見ながら、再び首を傾げた。想定外の出来事を測り直すかのように、ゆっくりと。
そうして、怪異は三度目の動作に入る。




